国会紛糾
アメリカ海軍拡充計画:
■第二次ヴィンソン案(下院議員カール・ヴィンソンが提出)
サウスダコタ級戦艦3隻
エセックス級航空母艦1隻
■第三次ヴィンソン案(日本の④計画に対抗)
アイオワ級戦艦2隻
エセックス級航空母艦3隻
■スターク案(ドイツのパリ占領を受けて立案)
アイオワ級戦艦2隻
モンタナ級戦艦5隻
エセックス級航空母艦7隻
製鉄は鉄鉱石を高炉で溶解して銑鉄を作り、転炉を使って炭素や硫黄等を取り除いて鋼とする。
これは官営製鉄所を起源とする日本製鉄が行った。
一方、鉄くずを溶かして再利用する方法もある。
平炉という転炉を利用するもので、民間業者が主にこの方法で製鉄をした。
日本では鉄鉱石がほとんど産出されない。
鉄鉱石は外国からの輸入に頼る。
その他に、製鉄された鉄も輸入する。
かつては中国やインド、日本領朝鮮で作られた銑鉄を輸入していた。
やがて鉄くずを使った製鉄が主流となっていった。
昭和十四年の時点で、日本は推定で年間約340万トンの鉄くずを利用した。
工場や家庭からの回収分は約226万トン、約47%は国内再利用で賄えた。
残る255万トン分を輸入した。
その内、約220万トンがアメリカ合衆国からであった。
アメリカ合衆国では鉄くずの値段が値下がりした為、それを大量に輸入した。
そして、それに依存するようになってしまった。
そのアメリカ合衆国がもう存在しない。
海軍は昭和十六年、⑤計画を提出しようとした。
改大和型戦艦1、超大和型戦艦2、装甲空母3、超甲巡2等の建造計画である。
アメリカで1940年7月に成立した両洋艦隊法、そして艦艇大増強計画であるスターク案に対抗して立案されたものだ。
スターク案は、新型戦艦及び新型航空母艦など合計135万トンを建造する計画で、このトン数は当時の連合艦隊の総戦力147万トンに匹敵する。
だが、⑤計画は航空本部長の井上成美中将に
「アメリカ合衆国が消滅したのに、こんな軍備不要でしょ。
相手が居なくなったのだし。
今の状況では、戦艦より航空を重視する方が良い。
今後は航空戦力を充実させた方が得策だ」
と言われ、改められる事になった。
その井上成美は第四艦隊司令長官に転任する。
海軍は戦艦と超甲巡を取り消し、空母16隻を建造する改⑤計画を提出する。
井上成美はこう言いたいだろう。
「そうじゃなくてな。
俺が言ったのは、航空戦力の不足なんだよ。
航空母艦が足りないなんて言っちゃいないんだよ。
大体、アメリカが居ないのに、何でそんなに艦が必要なんだよ!」
総トン数115万トン、全部が鉄では無いにせよ、相当量の鉄を消費するこの計画。
議会は紛糾する。
第81回帝国議会は、昭和十七年十二月二十六日から開かれていたが、本格的な議論になったのは昭和十八年の一月を迎えてからだった。
昭和十五年十月、共産党や一部政党を除く大半が解散し、大政翼賛会が結成される。
その前月に北米大陸が消滅していたが、当時の近衛文麿総理は一国一党組織への流れを止めようとしなかった。
しかし、近衛は昭和十六年に辞任。
天皇は激怒したが、周囲が押しとどめたのと、以前田中義一総理に対しきつい詰問をして死に追いやった事から、死は免れた。
しかし、政治家としては死亡したも同然である。
何度も総理大臣を経験した政治家であり、五摂家出身であり、時代は昭和だというのに、前時代的な閉門状態となり、本人も座敷牢ではないにしても、窓を釘打ちした一室から出る事は無くなった。
(ただし、江戸時代と違い便所と風呂の時は部屋から出る)
近衛失脚と共に政党復活の動きが出て、元民政党の町田忠治と元政友会の鳩山一郎らが、翼賛会の議員を引き抜いたりして一定数を確保、政党を再度立ち上げた。
これをきっかけに政党が多数復活し、大政翼賛会と多数の自主政党という構図になる。
しかし、任期的に翼賛選挙で当選した議員がそのまま議会に残っていて、議席配分は全く民意を反映していない。
鳩山一郎は翼賛会非推薦で出馬、無所属で当選だから筋が通っているが、466議席中381議席は翼賛会推薦議員なのだ。
無論、無所属の85人では少数で翼賛会に太刀打ち出来ない。
だから彼等は翼賛会の議員を切り崩し、自派閥に入れるよう運動する。
岸信介が統制経済の為、特高警察を抑えつけたのも、この政党活動の復活には効いてしまった。
かくして選挙を行わない状態で、大政翼賛会が分裂し、多数の派閥が出来てしまったような状態となる。
東久邇宮総理が
「国民の信を問うて解散総選挙をしよう」
と言ったのは、単にチャーチルが行うであろう地球の気候変動の演説を受けて、政府の方針を国民に問う事が目的ではない。
現在の、大政翼賛会として当選していながら、分離して多数派工作を行って政党乱立となった議会を整理したい、という意図も含まれていた。
そして、
「政府・与党の言う事には何でも反対」
という翼賛会以前の体質は全く改まっていない。
政府は海軍の改⑤計画について、認めない、それどころか現在建造中の艦についても廃艦、材料を国に戻すように求める。
及川古志郎海軍大臣は大いに不満で、辞任をして後任を出さない策に出ようとするが、それが出来なくなった。
かつて海軍次官を勤め、現在は連合艦隊司令長官となっている山本五十六が
「及川さんの気持ちは分かるよ。
だったら僕が海軍大臣をするよ。
どうせ僕は嫌われてるからね。
僕が代わりに軍縮をする」
と言い出したのだ。
これでは軍縮派の海相が出てしまう。
だが、ここで野党である鳩山一郎の日本自由党が、いつか見た論法で海軍の計画廃案に反対する。
「これは統帥権干犯に該当する。
海軍は陛下の海軍である。
その軍備について、政府と言えども口出しは出来ない。
軍艦の整備計画は、あくまでも海軍の問題であり、ひいては陛下の権限である」
こうなると、海相を交代して山本五十六海相になると、海軍の側から廃案を言い出しかねないので、及川海相は居座る方が良い。
そして、必ずしも閣内一致で海軍軍備案廃案ではない。
東條陸相は、別に海軍の味方ではないが、軍備縮小自体は反対で、この件では海軍のシンパである。
これは巡り巡れば陸軍の軍備縮小も言われかねないからだ。
だが、彼は東久邇宮を支える閣僚であり、天皇の忠臣であり、そして気候変動について知っている。
心情として海軍に同情しているが、実情として廃案やむなしと考えている。
岸信介は
(こんな事なら、特高を無力化するんじゃなかったワ)
と一瞬思ったりした。
だが、そう行動しないのが彼の胆力である。
統制経済は緊縮経済と相性が良い。
自由にやれる程豊かなら、統制自体必要ではない。
管理しないと厳しいから統制するのだ。
それからすると、軍部の際限の無い予算要求は統制経済の敵ではある。
だが一方で、統制経済は「軍事費を捻り出す為の手法」でもあるのだ。
だから、軍事費の為の統制経済で野放図な軍事費を抑えるというのは、矛盾である。
東條もその辺は分かっていて、ジレンマを抱えている。
(まあ、良い。
今は我慢の時だ。
チャーチルがあの事を発表すれば、世論も議会も納得するだろう)
そう思う岸だったが、意外にもチャーチルは予定の一月四日どころか、一ヶ月経っても動きを見せない。
(一杯食わされたんじゃないだろうな?)
次第に不安を感じる岸。
一部情報解禁も、チャーチルがいずれ発表する事を前提にしている。
そして、各地の土木工事に対する出費も、その発表によって議会が納得すると想定して予算に組み込まれた。
ところが一向にチャーチルが発表をしない。
海軍の建艦計画廃案と同じ時期に出した「昭和十六年、十七年風水害被災地復興計画」では、大量の公共事業費が計上されていた。
当然これにも野党が噛みつく。
「海軍の途方も無い建艦計画に歯止めをかける。
それは理解出来る。
被災地復興、それも理解出来る。
だが、この予算は主にダムや鉄道、幹線道路の整備に当て込んでいるではないか。
これでは軍艦を造る造船会社の代わりに土建業者を肥やすものだ。
到底認められない!」
協同民主党の三木武夫(翼賛会非推薦で当選)は批判する。
正しい。
全然間違っていない。
普通の状態ならば。
「チャーチル首相は、まだ情報公開をしないのですか?」
岸に非公式にせっつかれた松岡は、イギリス大使館のサンソムに問い合わせる。
「実は新大陸跡地に陸影を発見したという情報が入りました」
「陸が?
本当ですか?」
「それを調査中です」
「何故教えてくれないのですか?」
「王立海軍から帝国海軍に連絡済みですよ。
日本側からも調査して欲しい、と。
貴方の方こそ聞いていないのですか?」
「…………失礼しました」
建艦計画で揉めている海軍が、情報を上げなかったのだ。
だが、イギリスの事情は掴んだ。
海軍の意図的なサボタージュも判明した。
この事により、及川海相は辞任に追い込まれる。
後任に、山本五十六大将が自薦する。
海軍次官・連合艦隊司令長官を務めた彼は、既に同期の吉田善吾が海相になった事もあり、順番的には適任であった。
しかし、かつて海軍三羽烏と呼ばれた左派で、軍縮を自ら言い出している山本を海軍艦隊派は好まず、山本と同じ海軍兵学校32期で同期の嶋田繁太郎を推す。
そして中々海軍大臣が決まらない。
政権的には山本が適任であるが、山本は東條陸相を嫌い、それが伝わったのか東條も山本を嫌っている。
この海軍のゴタゴタに加え、そもそも及川海相を辞任に追い込んだ理由そのものが秘匿されている為、野党は一層政権を攻撃する。
信頼と、折角高めている松岡の価値を損なわないよう、クレイギー大使はサンソム氏を通じ、海軍を通す事無く松岡に直接最新情報を伝える。
「どうも海藻だったそうです」
「は?」
「ジャイアント・ケルプといって、巨大な海藻が大繫殖して森のようになるそうです。
あそこの海は浅いので、それが海を覆って陸影のように見えたとの事です」
「見間違うものなのですか?」
岸の疑問はもっともだが、元々大陸が在った浅い海に、四国や九州の面積程のケルプの森が拡がれば錯覚もしようものだ。
「黒い影という視認情報で、正体不明ながら陸地や暗礁の可能性があった、という事です」
「では英国の方針は変わり無く?」
「はい、予定では四月二日金曜日の演説で発表との事です」
「二日?
一日でも良いのでは…………あ」
「そうです。
四月一日だと嘘だと思われますからね」
かくして昭和十八年四月二日20時(グリニッジ標準時では12時)、総理大臣の指令によりラジオを必ず聴くよう言われていた日本国民は、ようやく今地球で何が起きているのかを知る。
18時に次話アップします。