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ドイツの新兵器群

独ソ戦車サイズ

【ドイツ】

・Ⅲ号戦車 :全長6.41m、車体長5.56m、全幅2.95m、全高2.51m

・Ⅳ号戦車 :全長7.02m、車体長5.89m、全幅2.88m、全高2.68m

・パンター :全長8.66m、車体長6.87m、全幅3.27m、全高2.85m

・ティーガー:全長8.45m、車体長6.32m、全幅3.71m、全高3.00m

※Ⅲ号突撃砲:全長6.77m、車体長?.??m、全幅2.95m、全高2.16m


【ソ連】

・T-34中戦車:全長8.15m、車体長6.10m、全幅3.00m、全高2.72m

・KV-1重戦車:全長6.89m、車体長6.75m、全幅3.32m、全高2.71m

 ドイツは、1938年にはⅢ号戦車及びⅣ号戦車に交代する中戦車を、1941年春には88mm高射砲を戦車砲に使った新型重戦車を開発する計画を立てていた。

 これは独ソ開戦前の事である。

 開発にはそれなりに時間が掛かる。

 独ソ開戦後、確かにT-34ショックは有った。

 傾斜装甲、幅広の履帯による軟弱地盤での軌道性、長砲身76mm砲の攻撃力は、ドイツの戦車開発に影響を与える。

 そんな中で、ついにV号パンター中戦車とⅥ号ティーガー重戦車がロールアウトした。


 ドイツ軍需省は、生産性の無い規格外のものを好まない。

 パンターもティーガーも、基本的に交通インフラの整った西欧、砂漠の北アフリカ、泥濘の多い東欧や北欧、山岳の中欧で普遍的に使える仕様である。

 そんな軍需省でも、ソ連の寒さは特別仕様で対策せざるを得ないと考えた。

 そこでオプションパーツを付けた寒冷地仕様版を開発する。

 豹を意味するパンターの寒冷地仕様機をシュネーパンター(雪豹)、

 虎を意味するティーガーの寒冷地仕様機をサーベルティーガー(剣歯虎)と言う。


 凄く真っ当な理屈である。

 潤滑油やエンジン回りに、別系統のストーブから暖気を送る、それだけだ。

 ではあるが、ただ単に戦車の中でストーブをつけるだけなら酸欠になりかねない。

 その為、換気には気を使っている。

 また、強烈な寒気に対抗するだけの熱気を送る為、その分の燃料消費も多い。

 断熱素材を使っているが、ストーブから少し離れた場所にストーブ用の予備燃料も置く。

 この為、弾薬を減らさざるを得なくなった。

 その他、増加装甲(シュルツェン)を応用した追加断熱材や、不凍液・不凍オイルの開発も行い、冬季でに動く戦車を作り上げた。

 接地圧の低い冬季用履帯(ヴィンターケッテ)への交換も行う。


 まさに

「こうするしかなかったのはわかるが、そこまでしてやる理由がわからない」

 という代物である。


 この寒冷地用暖気装置を、大量に現地に送り、既に行動中のⅢ号戦車やⅣ号戦車、突撃砲、半軌道車にも取り付けろ、と命令する。


 だが、こうして行われた2月攻勢は失敗に終わった。

 年間で一番寒さが厳しい2月に攻勢をかけた事自体、チャーチルに言わせたら「正気の沙汰ではない」のだ。

 だが、ヒトラーは待てなかった。

 暖気装置自体は1942年の9月には既に完成していた。

 それから大量生産を始めたのだが、まず取り付けが面倒臭い。

「オプションじゃなく、がっつり改造だ」

 と技師を泣かせる程、作業は簡単ではない。

 一回装甲を取り外し、中のパイプ、油圧、吸排気装置等の付近に熱供給管を取り付けたら、また装甲を元に戻すという工程となった。

 これを技師ではなく戦車兵が自ら行う。


 次に、ティーガー戦車及びパンター戦車の数が少ない。

 まだ初期不良が残っている状態で戦場に送られる。

 ティーガー戦車は1942年の夏季にレニングラード戦線で初陣なので、まだ数がある。

 パンター戦車は、1943年1月に初期生産型であるD型が出来たばかりだ。

 よって十数両のみが寒冷化対応を施され、東部戦線に送られる。

 この東部戦線で、中央軍集団と南方軍集団に更に分割された。


 完成品の戦車の代わりに、暖気装置が大量に送られた。

 これは十分な数があり、ドイツ軍の全車両は南極でだって動けるように改造出来る。

 ヒトラーはそれで十分だと考えた。

 だが、それは夏の場合である。

 冬に戦車兵が、野外で、初めて見る装置を取り付けるのである。

 それも、工場の技師が面倒臭いと文句を言うような作業工程だ。

 そしてこの装置は、大型のパンター戦車やティーガー戦車に合わせた設計である。

 Ⅲ号戦車やⅣ号戦車に合わせた取り付け方の説明書はついていたが、現地の戦車兵からしたら一々マニュアル通りには作業しない。

 不便だったら勝手に改造した。

 こうして取り付けこそしたが、後々問題を起こす事になる。

 更に、暖気装置を運ぶ輸送部隊が、ソ連の交通インフラの悪さから到着出来なかったり、攻勢開始直前に到着したりした場合もあった。

 届かないなら諦めもつくが、届いた場合突貫工事を、行う。


 こんな感じで改造された機甲部隊を前面に立てた2月攻勢は、完全な奇襲となった。

 ソ連軍は戦車も動かない、機械は砲も含めて凍結しているという状況で、だから建物か穴に籠ってひたすら守りに徹していた。

 そこに雪煙を巻き上げながら迫るドイツ戦車を見て大いに驚く。

 陣地を捨てて逃げ出し、そこで凍死する兵士も相次いだ。


 だが、ドイツ戦車も問題多発。

 確かに車内は温かい。

 操縦室は汗ばむ熱さである。

 だが、熱気供給は上手くいっていない。

 その為、ある車両は油圧部分が凍り付いて動かなくなる。

 逆にエンジン部分に熱を多く送り過ぎ、オーバーヒートでガソリンが爆発する車両も出る。

 ストーブへの給気部分がいい加減な作りの上、熱気が上手く外に出ずに不完全燃焼を起こし、一酸化炭素中毒となり死ぬ戦車兵も出る。

 暖房とは別に、ティーガー戦車は足回りが壊れる。

 パンター戦車は初期不良を起こす。


 2月攻勢は一ヶ月と持たずに頓挫した。

 まず砲弾を減らし、航続距離も減った戦車は得意の後方突破には不向きであった。

 また、戦争は戦車だけで行うのではなく、主力である歩兵の装備で相変わらずドイツ軍は不利であった。

 彼等の癖である、精巧過ぎる銃の構造が冬季には役に立たない。

 粗雑なソ連兵の小銃、機関銃の方が有効であった。

 防寒着も、ソ連軍は綿製のものを重ね着をしてマイナス30℃までは何とか対応可能となった。

 ドイツ軍のオーバーコートは羊毛製で保温力は高いが、ここ最近は羊毛不足となっている。

 輸入では燃料と食糧を優先し、兵器では戦車や砲を重視した為、後回しにされた。

 結果、ドイツ兵の動きは鈍く、戦車の突破が戦果の拡大に繋がらない。


 この2月攻勢は第一次世界大戦のソンムの戦いと似た状況になった。

 衝撃は与える。

 しかし実害は小さい。

 そして、早々に大量に鹵獲されてしまう。




 ヒトラーがさっさと攻略、もしくは焦土化しろと言ったウクライナ。

 その中のハリコフにT-34の生産工場がある。

 そこに持ち込まれたドイツの暖気装置。

 それを取り付けたⅢ号突撃砲の車内では、戦車兵が汗をかきながら、一酸化炭素中毒死していた。

「これを後から取り付けたんですか?」

 工場の技師たちは呆れる。

 複雑だ。

 まるでボトルシップを組み立てるようなものだ。

 そりゃ、エンジンに送る熱は高過ぎたら駄目だし、外気に触れやすい部分に送る熱は高い方が良い。

 それを同時にこなす。

 その為、給気パイプの位置関係が複雑で、それをそれぞれの戦車に合わせた現地改修で対応する。

「ドイツの戦車兵も、よく取り付けられたものですよ」

 ドイツの戦車兵の練度や機械習熟度は大したものである。

 なんとかこの複雑な配管を現場改修で取り付けている。

 一方ソ連は兵士に過度の期待を寄せていない。

 彼等にこんな装置を与えても、現地改修で取り付ける事などまず無理だ。


「発想としては優れているので、最初から組み込んだT-34を作りますね。

 あと、操作を簡単にしないと、ですね」

 こうして戦車兵が苦労せず、中戦車用に最適化された寒冷地仕様車の設計が始まった。


 同様に、いまだドイツ・フィンランド連合軍の包囲下にあるレニングラードにも、暖気装置が幾つか強硬空輸される。

 ここにはKV-1重戦車の製造工場があった。


「あ、これは良いな」

 KV-1及び少数生産のKV-2重戦車は、車体長はティーガー重戦車よりも長い。

 全幅も3メートル以上あり、ドイツ兵がⅢ号戦車やⅣ号戦車に取り付けるよりも、こちらの方が改造を少なくして設置可能だ。


 そして、T-34とKV-1にはドイツ戦車よりも有利な特徴がある。

 エンジンがディーゼル機関なのだ。

 引火点が約マイナス40℃と危険なガソリンに対し、ディーゼルエンジンの軽油のそれは約50℃。

 ストーブの位置や間に入れる断熱材に気を使わずとも良い。

 さらに、ガソリンはストーブに使用出来ないが、軽油は使用出来る。

 燃料を別系統ではなく、共通化出来るのだ。


 こうして完熟していない内に実戦投入された寒冷地対策装置は、ソ連にコピーされ、逆にソ連軍を利する事となった。




 1943年4月、恐ろしい発表がイギリスからされたのだが、今更どうにも出来ない。

 ドイツ、ソ連とも相手に一撃与えて勝利という形を取らないと収まりがつかない。

 そこでスターリンは、全軍に攻勢を命じる。

 2月攻勢の失敗したドイツ相手に、痛打を与えてヨーロッパまで押し返したい。

 冬季装備を施した戦車や自走砲も投入しようとしたが、ジューコフ上級大将が

「試運転も十分ではない出来立て少数を投入し、我々に鹵獲されたドイツの愚を、今度は閣下が犯すのですか?」

 と言われて断念した。

 現在の戦車、自走砲、航空機で反攻を行い、冬季仕様のものはその時まで貯めておこう。


 そんなソ連軍に、翼に長大な対戦車機関砲を積んだスツーカが襲い掛かる。

「なんだ、あれは?」

 如何にも操縦性の悪い機体なのは明白なのに、その37mm砲を積んだスツーカは戦車の弱点である上からの攻撃で、多数の軍用車を撃破する。


「戦闘機が来たぞ!」

 ソ連空軍が、小癪な大砲鳥を撃墜しようと駆け付けて来た。

 だが、ドイツ軍も戦闘機を出撃させる。


「なんだ、あれは?

 エンジン音が違うぞ」


 アルプス山脈より北、スカンジナビア山脈より南、ウラル山脈にぶつかるまで、この緯度は強風が通過する。

 西太平洋で発生した風は、北米大陸消滅以前はロッキー山脈に遮られていた。

 それが無くなった今、地球をほぼ無抵抗で半周する風は、どんどん強風となってヨーロッパ上空を吹き荒れる。

 イギリス上空等はそれで風の防壁が出来て、要塞化していた。

 内陸に入り、大分弱まるものの、それでも強風には違いない。

 イギリス空軍は、大馬力エンジンを搭載した戦闘機を開発する。

 あまりにトルクが大き過ぎて、操縦性がピーキー極まりない。

 それに対し、ドイツはジェット戦闘機を開発した。

 1942年に試作機の初飛行を終えたメッサーシュミットMe262は、多少の問題に目を瞑って量産を始める。

 それ程、ソ連上空の強風も問題化され始めていた。

 また、「飛ぶ戦車」とも言われるIl-2シュトゥルモヴィクを撃ち落とす為、大火力の30mm機関砲を搭載した。

 この強風に負けない推力の戦闘機が、ソ連空軍機を撃墜していく。

 その間に戦車狩りエースの搭乗する大砲鳥は、悠々と引き上げていった。

 この後も、ソ連戦車部隊は大砲付スツーカに破壊されまくる。


 だが、これもドイツの悪弊、少数をすぐに投入してしまい、衝撃を与えるも、戦果は拡大しない。

 東部戦線は再び長期戦の様相を見せ始めていた。

次話は18日17時にアップします。

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― 新着の感想 ―
[一言] エスニックジョークって面白いですよね。 フランスの兵器 「何がしたかったのかはわかるが、やりかったことというのはその程度なのか?」 イタリアの兵器 「どうしてそうなるのかはわ…
[良い点] 史実と違って西部戦線が無いから大寒気に襲われてもドイツはなんとか持ちこたえている感じが良いですね。
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