大誤報
「チャーチル首相、IOCが
『イギリスは戦争してないから、来年のオリンピックよろしく』
って言って来ています」
「連中は阿呆か?
参加国がどれだけあるというんだ?
大体それどころではない!」
「では、返上と連絡しますか?」
「いや、それも連合王国の名誉に関わる。
よし、
『冬季競技のみ開催可能』
と伝えてやれ」
「閣下、それは冬季競技会開催予定のイタリアに喧嘩を売っています!」
「良いのだ。
そろそろ連中にも何が起きてるのか、気づいて貰うからな」
(※夏季と冬季の五輪は同年に開催されている)
それはこの海域に調査任務で派遣されているイギリス海軍の空母「ヴィクトリアス」艦載機が発見した。
「ヴィクトリアス」は1941年3月末に「勝利する相手」がとりあえず無いまま竣工。
そしてこの空母は、訓練も兼ねて北米浅海において調査に協力していた。
「まったく、このアルバコアって艦載機はいただけませんね。
新型の癖に、全く新型じゃない!」
「じゃあ、更に新型のバラクーダに乗るか?」
「あんな『未亡人製造機』は嫌ですよ」
「じゃあ我慢する事だ。
航続距離はこいつの方が長いからな」
「でも、ソードフィッシュの方がもっと航続距離長いでしょ。
あーあ、ストリングバッグ(ソードフィッシュの愛称)を返して欲しいもんです」
日本海軍の九七式艦上攻撃機の全金属低翼単葉に比べ、イギリス海軍では羽布張り複葉の古めかしい艦載機フェアリー・ソードフィッシュ攻撃機が使われていた。
そのソードフィッシュから交代すべく開発された新型・フェアリー・アルバコア攻撃機は、密閉式キャノピー、可変ピッチプロペラ、ダイブブレーキにも使える油圧式フラップを備える、「力入れるのはそこじゃないだろ!」という部分が近代化された複葉機である。
そんな機体で、訓練と何も無い海上を「調査」として流す任務、そんな中でそいつは発見された。
「機長、影が見えます」
「どれ?
方角は?」
「十二時の方位です」
「どれ?
うむ、確かに黒いのが見える。
だがそろそろ燃料切れだ。
引き返すぞ」
重大な発見である。
北米大陸は消滅した。
何も無くなってしまい、ただ水深50メートルの浅い海が広がっているだけだった。
そこに黒い影が見つかる。
岩礁か? それとも陸地か?
だがここで、新型機(?)に文句を言いながらやっていた訓練飛行兼務の調査が災いする。
どうせ何も無いだろう、という緊張感の無い飛行でもあり、座標を誤って報告してしまう。
その為、報告を受けて発艦した第二次調査機は、暫く迷ってしまう。
だが、大体の場所は合っていたせいか、この機も燃料ギリギリの所で黒い影を発見する。
もう引き返さざるを得ない状態だった為、上空通過は出来ない。
遠目で「陸地の可能性がある黒い影」を確認すると、その報告を入れて帰投してしまった。
空母「ヴィクトリアス」は騒然となる。
だが、「ヴィクトリアス」自身もそろそろ補給の為に戻らざるを得ない。
重要な一報を本国に入れると、交代艦に希望を託してバフィン島臨時泊地に進路を取った。
伝言ゲームの末「陸地発見」という報をチャーチルは聞く。
流石にチャーチルは
(本当か? 情報が錯綜していないか?)
と疑って何度も確認を取り、『陸地らしき影を発見』が正確な情報である事を突き止める。
だが、それでも極めて重要な情報には違いない。
チャーチルは科学者を呼び出して、この影響について尋ねる。
「見つかった海域が北の方ですので、今は意味が無いでしょう。
しかし、もしも我々の想像以上に早く大陸が復活するなら、氷河期は免れられます。
メキシコ湾流が復活すればヨーロッパは救われます」
「そうかも知れんな。
だが、君たちは大陸復活は早くても千年後だと言っていたじゃないか」
「既存の科学的知見からはそうです。
しかし、そもそも北米大陸が消滅する事が、我々の常識を超えています。
計算以上の大陸回復があっても、そういうものだと納得する以外にありません」
「では、北米大陸は復活するのかね?」
「今の段階では情報が少な過ぎます。
判断出来ません」
「それもそうだな……」
チャーチルは、果断な彼にしては判断に困って保留を選ぶ。
国民の七割以上の疎開は、動き出したら
「やっぱりやめた」
が通じるものではない。
もしも数年以内に大陸が復活し、メキシコ湾流が戻って来るなら、その数年を耐えさえすれば良いのだ。
それだけの食糧なら、植民地からかき集めれば有る。
燃料だって、中東で増産すれば何とかなる。
大体、イギリスは石炭の産地だ。
暖は取れる。
かくして1月4日年頭の挨拶で「氷河期到来」を発表する予定を延期し、調査船団を派遣して、結果を聞いてから再判断と決めた。
場所が太平洋寄りの海域である為、日本にも調査を依頼する。
そして、バミューダ島に居た調査隊からも報告が入る。
ここから連日飛び立っているショート・サンダーランド飛行艇が
「遠方に謎の影を発見。
陸地、あるいは岩礁と思われる」
と報告して来た。
(もしかしたら、ヨーロッパは助かるのか?)
チャーチルにしては珍しく、希望的観測をする。
いよいよ調査に期待を寄せる。
だが、バフィン島を進発した調査船がもたらした結果は、残念なものだった。
確かに黒い影はあった。
かなり広域に拡がっていて、調査船団も一瞬期待する。
だが、ベテラン船員は早くも否定的な事を言い出した。
「でもあれ岩とかにしてはさぁ、白波が無いじゃん。
陸地なら当然、岩礁でも極端に浅いと、波が砕けて白波を立てる。
それが無い。
あれは陸地とか岩とか、そんなものじゃないだろう」
「だから海底の隆起とかかもしんないけど……」
「陸地かい?
本当に?」
「陸地だって!
あんなデッカイ影ないって!」
「ちょっと冷静沈着……沈着冷静に」
沈着冷静に用心を重ね、暗礁に乗り上げないよう遠くに船を泊めて、ボートを使って接近する。
「ああーーーーー!!!!」
「どうした?」
「海藻だ。
僕は今とらえました、ひらひらしてるのを」
「そうだよね、陸地じゃないよね、あれは」
「海藻でした」
英名ジャイアントケルプ、和名オオウキモ。
茎状部は海面に達するまで伸び続け、50メートル以上に達することもある。
海面に達した後は、海面上に広がるような形で成長する。
これが密集した場所では、「ケルプの森」と言われる長大な藻場が形成される。
成長のスピードは極めて速く、一日に50cm近くにもなる。
北米大陸が消滅してから2年、ケルプの森が成長するには十分な時間であった。
元々アラスカからカリフォルニア沖にかけては、このケルプの森が在った。
大陸は消滅しても、海に漂う海藻の遊走子を全て道連れには出来ない。
この海域に漂っていた遊走子が、浅く、波の弱いこの広大な浅海で大繁殖をしたのだ、それも海岸線とか島とかよりも遥かに広い、陸地レベルで。
このケルプの果てしなく広大な森が海面を「黒い影」として見せていた、それが真相である。
燃料が十分で、低空飛行をしながら直上観測したなら、すぐに陸地じゃないと分かった筈だ。
だが、偶然が重なり遠くからの観測しか出来ず、要詳細調査とそこまでに留めた報告が期待を持たせる事になったのだ。
報告を受けたチャーチルは、はあーっと深く溜息を吐く。
彼とて、ヨーロッパが氷河期に突入する事を望んでなんかいない。
氷河期にならない、そういう結果が欲しかった。
「残念ですね。
発表が遅れた事で、我が国の民衆は兎も角、他国は対応が更に遅れてしまいました。
多くのヨーロッパの民間人が死ぬ事になりますね」
そう言う官僚にチャーチルは
「それのどこが残念なのかね?
我々は連合王国の国民にのみ責任を負えば良いのだよ。
他国の民衆が何千万人死のうが、それは無能な彼等の政府が悪いのだ。
私が残念に思うのは、あくまでも気候と生活の問題だけだ」
「…………」
「しかし、この感じではバミューダからの報告の方も期待は持てそうにないね。
こっちも海藻でした、って結果じゃないのかね?」
「かもしれません。
それでは閣下、氷河期到来について、バミューダの調査結果を待たずに公表しますか?」
チャーチルは、ちょっと考えた。
「髭と髭の戦争はどうなっているかね?」
「両軍冬営中です。
動くに動けないでしょう。
彼等も学習していますよ」
「それもそうか。
つまらん。
折角遅れたのだから、奴等がまた殺し合うまで待つのも面白かったのだが」
「閣下!」
「何を不快そうな顔をしているのかね。
隣国の不幸は我が国の利になるのだよ。
残念だが、奴等の戦争を終わらす契機を作ってやろうか……」
そこに情報が入る。
「ドイツ軍、攻勢を開始したとの事です」
「奴等は馬鹿か?
こんな時期に戦争だと?
自殺したいのか?
いや、チョビ髭自身が死ぬ訳じゃないから問題無いのか……。
いや、だがチョビ髭がおかしな命令を出したとて、余りにも失敗が目に見えるものなら周囲が止めるだろうし、それくらいはあいつも理解するだろう。
という事は、ドイツはこの寒気を克服した????」
「閣下?」
「よし、氷河期についての発表は、バミューダの結果を待ってからにする。
と同時に、ドイツの暴挙についても情報収集だ。
何故奴等が攻勢に出られたのか、調べ上げろ」
ひと月後、バミューダの方からも調査結果が届く。
「やはり海藻でした」
「そうかね。
まったく、ケルプってやつは凄いね」
「少々違います。
正体はサルガッスムでした」
英名サルガッスム、和名ホンダワラ。
同じホンダワラ科には、ヒジキやアカモクがあり、日本では食用にされる。
海底から成長するケルプと違い、サルガッスムは浮遊性である。
北米大陸の沿岸地域に多量に発生していた。
バミューダ近くには海流に乗ってこの海藻が大量に集まったサルガッソー海が存在する。
古くは船体に海藻が絡みつき、動けなくなる「魔の海」なんて言われたりした。
そのサルガッスムの群体が、大西洋と太平洋が貫通してしまった事により、西に流れる。
その一部が、流れの淀んでいる北米浅海に留まり、そこで繁殖を始めた。
浮き海藻なので、位置が一定しない。
当初、サンダーランド飛行艇が「謎の影」を発見した海域も、次の調査の際にそれらは無かったりした。
少々時間が掛かったものの、陸地と見間違う程の巨大な海藻の塊が集合したり、離散したりして錯覚させていたと判明する。
チャーチルはもう溜息も吐かない。
そろそろ振り回されるのにも疲れた。
4回目の冬を迎える前に、動き出した方が良いだろう。
かくしてチャーチルはヨーロッパに氷河期が到来するという発表をする事に決める。
この頃、ドイツとソ連の戦争はまたも激化し、発表が有ったからと言って簡単には止められない状態に陥っていた。
僅か数ヶ月の遅延のせいで、戦争は終わらなかった。
「海藻でした」
は、出来るだけ間抜けな声で、
「シカでした」
の声調で再現してくれたらありがたいです。
18時に次話アップします。