日本列島改造
総力戦研究所の存在は余り知られていない。
松岡の報告会も、総力戦研究所に職員を派遣した政府機関と、北極調査に関わった研究機関から傍聴者が集まっただけで、庶民はそんな報告会自体知らない。
当然、企業も何が起きているのか知らないまま、ただ政府からの発注を受ける。
一部を除いて、唯々諾々と従うだけであった。
東京飯田橋にある土木建築業・田中建築事務所の社長・田中角栄は、理化学研究所の大河内正敏から急な呼び出しを受ける。
災害復旧は土建業にとっては掻き入れ時である。
不幸に遭われた方には申し訳無いが、大は堤防修復や発電所の修理、小は個人の住宅改修まで仕事が殺到する。
有能な土建業者である田中角栄は多忙であったが、徴兵前にやっていた会社が理研コンツェルンからの仕事を数多く引き受けていた事もあり、大河内正敏の為になら時間を作ってでも駆け付ける。
「君、堰堤作ってよ」
いきなり凄まじい仕事の依頼が来た。
ここで
「無理です!」
とか
「何でですか?」
と言ったら、この後大口の仕事は来なくなるだろう。
そして角栄はそんな愚鈍な経営者ではない。
「それは防災用の砂防ダム多数ですか?
貯水用、発電用の大型ダム1基ですか?
どの河川ですか?」
「話が早くて毎度助かりますよ。
その選定作業からお願いします。
技術者は私の伝手を使って手配して下さい。
まあハッキリは分かりませんが、数としては100以上。
規模としてはフーバーダムみたいなのを想定して下さい」
正直、無茶ブリもいい所である。
田中建築事務所はダム工事などした事は無い。
その田中建築事務所に100ヶ所以上のダムを造れと言うのだ。
(だが、俺に全てをやれとは言っていない。
技術者を連れて来て、設計をし、人を手配し、あとは地元の業者に任せればよい)
総合工事業者になれば良く、その為の名前に大河内と理研コンツェルンを使って良いという事だ。
ここまで聞いて作業に掛かると言った上で、疑問をぶつけてみた。
「大河内先生は、治水と発電を同時に整備する気なんですか?」
大河内の答えは
「本当は治水だけで良いのです。
日本の課題はそこになりましたから。
ですが、その先を見据えれば電気は必要でしょう?」
である。
そしてそれ以上は話さないし、田中も一礼すると事務所に戻って行った。
(大河内先生は日本の産業育成の為、基礎的な事業、ガス検定器とかピストンリングとか錫メッキ線とかを造らせている。
本来なら電力が一番重要と言った筈だ。
なのに、治水が先で発電はその次、その次と言ってもおまけではないが、そんな事言ったのが妙だ。
どうも日本のここんとこの暑さとか、滝のように降るにわか雨とか、俺の故郷の豪雪を超えた豪雪とか、何かもっと危機が迫っているんじゃないだろうか?)
田中角栄という、高等小学校までしか出ていない実業家の凄まじさは「先読み」である。
大河内の発言から、色々読み取った角栄は、色々なコネを辿って、ついに商工省の松岡成十郎という官僚が北極で見聞きした事を発表した日から、色々と動きが起きている事を調べ上げる。
そして松岡との会う約束まで取り付けていた。
彼の売りの一つ「行動力」の賜物である。
「今帰ったぞ」
「お帰りなさい、社長。
どうされました、顔色が悪いですよ」
「悪くもなるさ」
松岡と会い、話を聞いて来た角栄は部下に語る。
「俺はこの日本列島を改造せにゃならん」
「またまた、社長の大風呂敷が出ましたね」
「時間が無いんだ」
「一体何を聞いて来たのですか?」
松岡から聞いた話を、角栄は更に自分たちの領分だけに落とし込んで話した。
部下たちは、去年今年の猛暑と豪雨なんていう問題ではない、と理解はしたが、まだ納得はしていない表情だった。
地球科学に無知なのに、すんなり理解した角栄は、やはり異能である。
田中角栄の学歴は高等小学校までで、中学校以上には進んでいない。
しかし理化学研究所から派遣された帝国大学卒の技術者を使える程、色々な勉強をしている。
彼は、地球科学はさっぱり分からない。
海流がどうだ、気象がどうだ、という話は人並み程度に「ああ、危険なんだ」と理解する程度だ。
だが、台風の頻発度合い、豪雨災害の多発、それに伴い道路が寸断されたり、低地が水に浸かってしまう事で何が起こるかは、実感をもって理解出来る。
恐怖という実感。
(物流が停止してしまう。
物があっても現場に届かない。
工場は河川近くに造られるし、倉庫は港の近く、つまり海の傍だ。
それが水に浸かったら使い物にならなくなる。
日本という国が立ち行かなくなる)
だが、それは「このままなら」である。
災害に強い国土にしてしまえば良い。
堤防を強化し、排水能力を高め、山崩れが起きないよう土地を固める。
(大河内先生がダムを造れという筈だ)
ダムは単にダムなだけでは意に沿えない。
発電能力が高くても、豪雨の際に大量に貯水出来なくては意味が無いし、放水した後で流路に氾濫を起こす等は以ての外である。
更に大量の水に耐える設計、きちんとしたコンクリート工事も重要だ。
設計はともかく、質の良いコンクリートを大量に投入し、ムラなく工事する施工主を選定しないと。
(まあ、良い、土建業者冥利に尽きるわい!)
困難故に逆にやる気みなぎる角栄であった。
「ところで、俺最近夢を見るんだ」
唐突に話題を変える。
「はい??」
「夢だよ、寝て見るやつ」
「なんでその話題を?」
「いいから聞けよ」
角栄は、昭和十五年十一月、徴兵され赴任していた中国で倒れる。
クルップ性肺炎と診断され、内地に送り返され、それでも快復までは死の縁を彷徨った。
その焼けるようで息苦しく、眠りさえままならない病の床で、時々意識を失うという形で眠りにつき、何度も「ハッキリした」夢を見るようになる。
中国の騎兵連隊酒保で伝え聞いたアメリカ合衆国消滅。
夢の中ではアメリカ合衆国は健在であった。
今とは比べ物にならない程豊かな日本とアメリカは、どうもアメリカが優越した関係ではあるようだが、友好関係にあるようだ。
消滅直前の対立関係が丸で嘘のように。
(ああ、夢だよ、これは。
でも、こんな夢なら楽しいじゃないか)
意識が戻ると死を意識する苦しみを味わいながら、現実逃避のように夢を見ていた。
「その時なあ、尻を丸出しにしながら丸坊主の子供がな、
『おらの春日部を案内するんだぞー』
と言いながら、広い原っぱに連れて来るんだ。
そこには地下があり、そこは教科書でしか見た事が無いが、まるで古代ギリシャの神殿みたいになっていたんだ」
「地下に神殿ですか?」
「いや、神殿の柱のような物が多数並んだ巨大な空洞になっていた。
それでこれは何だと聞いたら、雨が降ったら分かると言われた。
そして、最近見られるような物凄い雨が降って来た。
するとその空洞に水が流れ込む。
どうも、氾濫しそうな近くの川から水を流し入れたようだ。
そして、物凄く大きな縦穴に水を落とし込み、エンジンを回して江戸川に排水する」
「そうしたら江戸川が洪水になるでしょう」
「いや、江戸川は中々洪水を起こさない、余裕がある川なんだ。
つまりその空洞は、洪水を起こしそうな川の水を貯め、余裕がある川に流す巨大な装置だった」
「へえー、妄想もそこまで来れば大したものですね」
「妄想で片づけるなよ」
「いやいや、社長。
世界のどこにそんなもの作れる国があるんですか?
地下神殿のような空洞すら無理でしょ。
重さで潰れちゃいますよ。
そして、洪水しそうな川から水を引いて洪水を防ぐとか、絶対無理です」
「いや、妙に生々しかった」
「社長のホラ話としては面白かったですよ。
でも、消えちゃったアメリカさんでも、世界最高の技術大国ドイツでも、無理ですよ。
出来るんならとっくにやってるんじゃないですか?」
「まあ、出来ないとは思うんだが、いつかは出来るんじゃないか。
いや、出来るようになりたいもんじゃ」
「そういう妄想を、書き留めておいたら、面白い空想科学本として売れるかもしれませんよ。
何か他にそういうの無いんですか?」
「よし、話してやろう」
部下は一瞬(余計な事を言ってしまった)と思ったが、まあ今は終業後に茶飲みで一杯酒を飲んでいた時間である。
社長のホラに付き合うくらい良いだろう。
「俺が見た夢ではなあ、弾丸列車が走っていた」
「えーっと、鉄道省が言ってたやつですか?」
「かもしれないけど、ちょっと違う。
俺が乗ったのはなあ、東京から新潟まで二時間で行けるのだ」
「いやいや、なんで東京~大阪間みたいな重要路線を差し置いて、新潟なんてとこにそんな弾丸列車走らせるんですか?
それに、社長も知ってるでしょ?
上野~新潟でしょ」
「東京~大阪も走っていたぞ。
それどころか、東京から博多まで行けるし、函館まで船を使わずに行けるそうだ。
東北本線や上越線も上野止まりじゃなく、東京駅まで来てた。
あと、新潟まで弾丸列車を繋げたのは、俺だそうだ」
「はっはっはっはっは!
それは豪儀な夢ですねえ。
そうなるよう会社を大きくしましょうや」
「それだけじゃないんだ。
今の話は弾丸列車なんだが、他にもドイツのアウトバーンのようなのが日本中を走っている。
俺はその夢の中で、目白に住んでいるんだが、その目白から新潟の家まで、三回角を曲がるだけで着くような道路を作ったっていうんだぜ」
「いやー、嫌な事忘れるくらい、図々しくも愉快な夢ですな。
まあ、夢はそれくらい大きく持ちましょうよ。
そんで、まずは現実と向かい合いましょう。
明日、内務省に出頭して下さい。
大河内先生の紹介状は机の上にあります。
河川事業は内務省の他に、最近は海軍も関わってますからね。
そっちの呼び出しもあると思いますよ。
あと、逓信省からも呼び出し受けてます」
ダム事業は、内務省土木局が管轄している。
ダムを使った水力発電については逓信省電気局管轄である。
大河内の紹介とは言え、全くの新規事業者に対して彼等は不安を抱いている。
ここをクリアして事業を発注しなければならない。
その為に、きちんとした事業計画書を提出する。
「分かった、分かった。
そういうお偉いさんとのやり取りは俺に任せんかい!
お前らは現場の事だけに専念出来るようにするからな」
かくして終業後の事務所での一杯も終わり、皆が帰宅する。
そんな中、角栄は一升瓶を片付けると、机に向き鉛筆を持つ。
「そうだな。
俺が見た夢を書き留めておくとするか。
俺の手で日本列島を改造したい。
いや、せにゃならん。
その時、夢を忘れないようにな。
土方は地球の彫刻家さ。
一級品の彫刻を作るには、一級品の想像が必要だろう。
俺が見た夢は、今は実現不可能かもしれんが、あれは『ミロのビーナス』やロダンの『考える人』に匹敵する一級品だと思う。
いつかは実現するさ。
いつかは俺の手で作ってみるさ」
技術・科学を知る者と対等に話せるが、専門知識に支配されず、「不可能です」ではなく「どうにかすれば出来るんじゃないか?」と考えるのが角栄であった。
そうして角栄は、自分の夢を書き綴るノートに表題を入れた。
『日本列島改造計画』と。
18時に次話アップします。