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(解説)ヤンガードリアス期

解説回その2

 北大西洋海流が止まり、高緯度に熱が運ばれない事は有り得るのか?

 過去に実際に有った。

 1万2900年前から1万1500年前にかけて発生したヤンガードリアス期と呼ばれる時期に、それは起きた。


 ドリアスとはバラ科の高木チョウノスケソウの事である。

 いわゆるツンドラ植物で、極地や高山の寒冷地に生息している為、氷期の指標となっている。

 ヤンガー(younger)に対し、オールダー(older)もあるが、そちらには触れない。


 最終氷期の終了に伴い、地球は温暖化し、暖流のメキシコ湾流は北大西洋海流として高緯度まで達するようになった。

 その放出された熱により、ヨーロッパは高緯度まで温暖化が進んだ。

 北米大陸でも大陸氷床は後退していた。

 融解した氷床は、五大湖よりずっと巨大なアガシー湖となっていた。

 このアガシー湖の大量の淡水が、ある時セントローレンス川を通って北大西洋に流出する。

 この膨大な量の淡水は、比重が海水より小さく、北大西洋の表層に広がって北大西洋海流の北上を止めてしまった。

 そしてヨーロッパは再び寒冷化する。


 この時、グリーンランドの山頂部では現在よりも15℃寒冷となった。

 イギリスでは、年平均気温がおよそマイナス5℃に低下し、高地には氷原や氷河が形成された。

 スカンジナビア半島では、形成されていた森林が氷河性のツンドラ(ドリアス)に変わる。

 この変化は発生から僅か数十年の期間で完了し、以降約1300年間続いた。


 約1300年、それは地質学的には、あっという間の時間に過ぎない。

 しかし、人間の歴史からしたら、一個の文明が発生して滅亡する程に相当する。


 1万3000年前、その時既に現生の人類は存在していた。

 氷期の終了により温暖化が始まり、それに伴って自然の食糧が増え、人口も増えた。

 狩猟採集生活と共に原始的な農耕も始まる。

 しかし、温暖化に沿って行われていた人類の営みは、ヤンガードリアス期到来で変わる。

 各地で大型哺乳類が絶滅し、狩猟で得られる食糧は減る。

 急な寒冷化は、果実や堅果類の生育に障害をもたらした。

 最早自然に頼った生活では、増えた人口を支えられない。

 人類は、より一年草の穀物に依存するようになった。

 自然種のイネや豆は、栽培されている内に多年草から一年草に変化したという。

 収量が多いものが残り、次第に栽培種という農業用穀物が生まれた。

 そうして中国長江流域では稲作が、中東レバントでは麦作が盛んになる。


 この寒冷化事変に関わる断片的な情報は、1942年までに既に何個か発表されていた。


 まず、氷河期というものについては、19世紀頃にその概念が提唱される。

 それより以前の18世紀から、アルプス山脈の渓谷にある迷子石から、

「氷河は過去にはもっと広大だったのではないか?」

 という疑問が持たれるようになっていた。


 ノルウェー人の地質学者イェンス・エスマルクは、1824年に発表した論文で氷河期というものについて提唱する。

 スコットランドや、ドイツのテューリンゲンまで氷河が拡がっていたと述べた。

 これを契機に、氷河期についての研究が始まる。

 氷河期という名前は、ドイツの植物学者カール・フリードリヒ・シンパーが造語した。


 1837年にはアメリカの地質・生物学者で、シンパーの友人であるルイ・アガシーはヨーロッパだけでなく、北半球全体が一つの巨大な氷河であったという、より大規模な氷河期を提唱した。

 当時は「そこまで広域が氷河に覆われる等有り得ない」と反対する意見も多かったという。

 だが、議論が深まっていき、北米大陸の氷河・氷床の覆い具合についての研究が行われる。


 1879年、ウォーレン・アパムは北米の地形を調査し、氷河融解水で出来た巨大な湖を定義する。

 北米大陸はかつて巨大な氷床で覆われていた。

 氷河期が終わり、地球が温暖化すると氷河は融けて水となる。

 それが巨大な湖を作っていた。

 この湖の名前は、ルイ・アガシーに因んでアガシー湖と名付けられた。

 アガシー湖は、北米五大湖を合わせたものよりも、更にはカスピ海よりも広く、黒海の大きさに匹敵したとされる。

 アガシー湖の最終排水は、推計で0.8~2.8メートル海水面を上昇させた。


 まだ研究は、アガシー湖の排水が北大西洋を覆い、熱循環を阻害したという事を発見してはいない。

 現時点では北米に巨大な氷河融解湖があり、それが北極海に排水されたと考えられていた。

 故に、まだこの時点ではアガシー湖から流れ出た淡水がかつて地球に亜氷期をもたらしたという事は分かっていない。


 だが、まだ具体的な時期こそ断定出来ないが、過去に何らかの気候変動があったという証拠を、地質学以外の分野から得る。

 まずは考古学。

 1928年、イギリスのイスラエル考古学研究所に招待された考古学者ドロシー・ギャロッドは、シュクバ洞窟を発掘調査して、先史時代の石器を発掘する。

 やがて「ナトゥフ文化」と名付けられた。

 ナトゥフ文化の遺跡を調査すると、1931年には石器の鎌を発見する。

 それ以前の自然穀物の貯蔵痕も発見された。

 この時期が採集や自然種を移植する原始農耕から、計画して行う農業への過渡期と判明する。

 ドロシー・ギャロッドはこのナトゥフ文化の時期を、旧石器時代と新石器時代の中間、中石器時代あるいは亜旧石器時代、約1万年前と推定した。


 また、1916年以降花粉の分析技術が上がる。

 花粉学者は北欧の泥炭層に埋もれた花粉を調査、研究する。

 まだハッキリしないが、ある時期に森林の花粉が無く、チョウノスケソウ(ドリアス)の花粉が増え、また森林に戻る異常が見つかった。

 ある時期に植生が大きく変化しているようだ。


 断片的には様々な証拠が見つかっている。

 しかし1942年の時点では、ヤンガードリアス期という亜氷期についてはまだ誰も気づいていない。

 現在起きている暖流の流れる向きの変化による寒冷化と、かつて起きたアガシー湖決壊による暖流停止による寒冷化は、やがて誰かが気づくだろう。





 ヤンガードリアス期は、1000年後に終了する。

 寒冷化により再度氷河が発達し、淡水の北大西洋流入路を堰き止めたのだ。

 現在のヨーロッパの寒冷化も、止まる時期が来る。


 最終氷期、氷河の発達に伴い海水面は低下した。

 およそ120~135メートル低下したという説がある。

 北米浅海は水深約50メートルである。

 最終氷期程でなくても、ある程度氷河が発達して海水面が低下すれば、大陸が復活する。

 そうなると、地形に変わりはない為、表層流は再び元メキシコ湾で温められ、北大西洋を北上する。

 ヨーロッパは復活するだろう。


 問題は、そうなるまでに何年かかるか、である。

 アイソスタシーによる大陸再上昇が、5mm/年の隆起速度でも1万年、5cm/年でも千年かかる。

 地質学的に高速でも意味は無い。

 ここ数年をどう生きるか、それが問題だ。


 ヤンガードリアス期と北米消滅事件による寒冷化は、完全に一致はしない。

 北半球全域規模の寒冷化を起こしたヤンガードリアスイベントに対し、今回は極東地域の高温化が起きている。

 海流の流れは、堰き止められたのではなく、ダイナミックに変化した。

 より大きく温められ、より長く冷やされる。

 海流の北上する場所が大きく西にずれた。

 ヤンガードリアス期の情報は、ヨーロッパの寒冷に対する予測にはなるが、極東や熱帯地域については全く当てはまらないだろう。

 地球の気候変動について、過去は参考にはなるが、そのまま適用は出来ない。


 さて、どう生き抜くかな?

次は8月12日17時に更新します。

(お盆は作者多忙につき、この前の「連休だから1日に4話一気に更新」みたいな事は出来ません……)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 普通にためになる。 こう言う話を分かりやすく説明出来るのは凄い。 [気になる点] お盆、多忙……日本人って不思議ですね。
[良い点] アガシー湖から始まる説明は、とてもわかりやすい。 潮流に深く突っ込まず植生に移った事で、主題が明確になった素晴らしい説明だと思います。
[良い点] すごく勉強になった。 海水塩分の濃淡も気候に影響を与えるのか。
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