北アメリカ大陸が持っていったもの
1925年、時の蔵相ウィンストン・チャーチル氏は、とある経済学者にガンガン批判されながらも、イギリスを金本位制に復帰させた。
1942年の今は?
チャーチル曰く「一体いつの話をしとるのかね?
状況は変わっているのだよ!」
「金本位制について話をしようか」
とてもここは北極海にある孤島とは思えない話題である。
「ミスターマツオカ、紹介しよう。
こちらはジョン・メイナード・ケインズだ。
知っているかな?」
「初めまして。
お会い出来て光栄です。
論文は拝読させていただきました」
ケインズは、後の世に比べれば知る人ぞ知る学者である。
だが松岡のような経済・流通系の官僚は、各国で発表された学術論文を査読する時がある。
昭和十年(1935年)にはケインズの『貨幣論』が和訳、出版されている。
松岡も『貨幣論』は読んだ為、その著者が北極海まで出向いていたのには驚いた。
病み上がりで、大蔵省に復帰したばかりだと聞いている。
そんな人物まで引っ張り出すとは、イギリスは一体どれほど本気なのか、松岡には計り知れなかった。
ケインズは金本位制に反対している。
管理通貨制度を説いている。
著作を読んだ松岡も、金本位制の問題点は把握していた。
金の保有量によって通貨量が制限されてしまい、先日の経済恐慌の時の打開策、インフレ政策が採れないのだ。
故に1931年には真っ先にイギリスが金本位制から離脱し、1937年のフランスを最後に全ての国がこれを止めた。
であるが、松岡の疑問は
(イギリスが余りにもポンドは刷り過ぎると、信用が低下して金本位制が復活するのではないか?)
というものである。
これに対し、本職の経済学者は
「世界は戻りたくても、金本位制には戻れない」
そう言った。
「今現在、世界にどれだけ金が有るか、この資料を見て欲しい」
ケインズは各国中央銀行の金準備トン数を示した。
1939年の各国の金保有量は以下の通りであった。
・イギリス:1,777トン
・フランス:2,666トン
・ドイツ:133トン(非合法取得500トン)
・日本:608トン
・アメリカ合衆国:19,543トン
おまけで
・カナダ:191トン
「……………………」
松岡は愕然として言葉が出ない。
ソ連はよく分からないところがあるから除いて考えるが、
それでも全世界の金の80%近い金が、どこぞに消滅して返って来ないという事実に変わりは無い。
確かに金本位制に戻そうとしても、絶対量が足りな過ぎて無理だろう。
金が少な過ぎて、まともな紙幣量を保証出来ない。
「ドイツの金が少ないのには理由がある」
これもケインズが説明する。
ドイツは第一次世界大戦の敗戦直後、810トンの金を保有していた。
だが、この時ドイツは深刻な食糧危機にあった。
「金貨を口に咥えて餓死する」等と言われる状態だったのだ。
ベルサイユ条約で多額の賠償金を負わされたドイツは、他に支払える物が無かった為、持っていた金を支払いに使用したのだ。
「それでドイツの金準備は減少したのだが、貴方も知ってのように、今のドイツは特に困ってはいない」
ワイマール共和国の時のドイツは、金本位制に復帰したのだが、その後の金融恐慌解決の為に敷かれたブロック経済に苦しめられる。
ヒトラーは金本位制を離脱し、自国で通貨量を管理した。
これに先立ち、過大な賠償金の支払いを停止し、自国通貨の流出を防いだりもしている。
「金本位制からの脱却と、管理通貨制度への移行。
大量に通貨を発行すると発生するインフレーション。
それは私も理解している。
政府が錬金術と勘違いし、無制限に通貨大量発行をした場合はその政府の責任だろう。
だがそうではない理由、その政府が通貨を大量に発行するのは外国への支払いがある場合だ。
ドイツの莫大な賠償金もその一つだ。
他の理由でマネーゲームがある。
ナチス党はマネーゲームを禁止した。
そのようにする必要はある。
そして、マネーゲームのプレーヤーもまた、北米大陸と共に消滅したのだ」
ゴールドマン・サックス、モルガン・ギャランティ・トラスト、グレアム=ニューマン・パートナーシップ、キャピタル・インターナショナル等の金融企業は、物理的なウォール街と共に消滅した。
投資企業が消えた。
大資本を得られない代わりに、アメリカに配当が流れて行く事も無くなった。
「ですが、そういった企業はイギリスにもあるでしょう?」
松岡は尋ねる。
イギリスにはロスチャイルド家(ロンドン家)、マン・グループ等の金融強者が居る。
「難しいところだ……」
ケインズは語る。
アメリカ合衆国は大量の金と、それに基づいた資本と共に消滅した。
今現在、世界的に資本が不足している。
通貨インフレを起こさないようにして資本を増やす。
それには通貨に価値を付けなければならない。
これまで通貨の価値は金によって保証されていた。
それを脱却し、国の信用というもので価値を保証する、それがケインズの貨幣論である。
価値を高める為に、多少の投機は必要だろう。
「先物取引や信用取引は古くから在った。
今更それを全面禁止には出来ないだろう。
だが、彼等が国内に在って、他通貨圏に富を流さなければ制御可能と考える。
過度な賭博的投機は規制されねばならない」
そこまでは理解出来る。
だが、イギリスのこの言はどうだろう?
「だから、日本円はスターリング・ポンドと提携し、その為替を固定化し、発行量も協調して決めた方が良い」
イギリスの主張はこうだ。
日本は第一次世界大戦時に既に金本位制を停止し、交換をしなくなった。
それは戦後の金本位制復帰を見越しての措置だったが、戦後は不況に関東大震災等で経済が混乱し、円の価値が低下する。
この低下した円の為替レートを上げようと努力するが、この価値が乱高下する通貨は投機筋からゲームの対象とされた。
対金での平価を切り下げて金本位制に復帰し、価値を安定させようという動きもあったのだが、
「円の切り下げは国力の低下という事になり、国辱である」
という金融や為替を知らない感情論で実現しなかった過去もある。
更に、金本位制に復帰するという事は、通貨量を国が保有する金準備に応じた量に減らす事に繋がる。
これを陸海軍ともに望まなかった。
軍事行動の為、積極財政、つまりは莫大な軍事費を望み、それには投機筋も含んだ方々からの借款を必要とした。
こうして身の丈に合わぬ通貨量、つまりインフレ状態で昭和金融恐慌を引き起こす。
この時起こったのは、時の片岡蔵相が
「現に今日正午頃に於て渡辺銀行が到頭破綻を致しました。
是も洵に遺憾千万に存じますが……」
と、いまだ経営している銀行について破綻を宣告し、混乱を招いてしまう。
これによって預金の引き出しが相次ぐ。
予算や金融の世界で流通している通貨量に対し、実際に発行されて市民の生活に出回っている「現金」の量は少ない。
逆に言えば、市民の生活に関わる現金を遥かに超えた規模で、通貨は貯金や国債、金融商品の形で流通している。
(これはどこの世界でも変わらないが)
この取り付け騒ぎを収拾する為、現金供給が急がれ、片面だけ印刷して裏が白い二百円札まで発行された。
これは偏に、日本という国の経済規模が小さく、その割に通貨量が多い為、ちょっとした事で動揺が拡がる為に起こる事なのだ。
そこでイギリスは言う。
「イギリスの傘下に入り、経済統合をすれば良いではないか」と。
問題の解決法の一つは、金本位制への復帰で、通貨価値と量を安定化させる事だが、その原資たる金の8割がもう世界のどこにも存在しないのだ。
ケインズは言う。
「貴国の金融政策は未熟だ。
経済規模も小さく、国の信用も無い。
認められるのは、国家事業による公共事業を多くしている事だ。
どうだ、連合王国と一緒にやっていかないか?
私が教えれば、日本はもっと強力な国になれるぞ」
確かに、イギリス経済に組み込まれ、その通貨政策・金融政策に沿った形で財政を行えば、日本の経済は安定するだろう。
対ポンド固定相場となり、円の乱高下も無くなる。
だが、明らかにイギリスの属国になれ、と言われているに等しい。
多くの感情的な日本人は納得しないだろう。
それに
(イギリスが失敗しないと、誰が言い切れる?
イギリスだって何度も金融恐慌を起こして来たではないか)
そうも思う。
松岡は全権代表ではない。
ただのメッセンジャーに過ぎない。
言われた事を聞くだけ聞き、国に持ち帰るとしか言えなかった。
それは官僚的に事を先送りにしたのではなく、そもそもそんな権限も無ければ、北極海行きは気候変動の調査の為であり、データの受け渡しの責任者として政府に近い人間として選ばれたに過ぎない。
会談の最初からその事は伝えてあるし、あくまでも
「茶飲み話に付き合っている」
という形なのだ。
ハリファックス卿もケインズも、性急に結論を求めない。
「いやいや、老人の繰り言に付き合ってくれて感謝していますよ」
なんて言って、松岡との会談を終えた。
測量艦「筑紫」はこのまま調査続行し、北極海に残る。
宇多が率いる科学者はこのまま残留する。
一方、砕氷船「宗谷丸」は補給の為に一旦日本に戻る。
代わって物資を満載した砕氷船「亜庭丸」が来る為、交代という形だ。
この「宗谷丸」に乗って、松岡も本国に帰朝する。
重過ぎる土産を抱えて……。
データ引き渡しと連絡業務担当の官僚が、これ以上科学者たちの中に居ても役に立たないからだ。
物資も限られているし、不要な人員は帰国となる。
「例の日本人はどうだったかね?」
やはり帰国したハリファックス卿とケインズは、対ドイツ意識では真逆にいるチャーチルに報告を入れる。
帝国主義に対する考え、金本位制に対する考えで、彼等はチャーチルと全く合わない。
チャーチルもケインズの経済政策の提言を聞き入れる事は無い。
だが、そんな仲であっても、今は協力し合っていた。
彼等を北極海に送ったのは、チャーチルの肝煎りであった。
「優秀ではありましたが、決定権は無い。
どれだけ今後、彼に伝えた事が形になりますやら」
ハリファックス卿とケインズは松岡をそう評す。
それに対してチャーチルは笑ってこう言った。
「人間の価値なんてものは、後天的に決まるものだよ。
我々が彼に与えた情報によって、彼は日本において重要人物になるのだ。
彼は君たちと会った事により、更に日本の意思決定に近づく事になるだろう。
上手く遠隔操作し、日本を制御しようじゃないか」
(人の価値は後天的に決まるとか、人種差別主義者の貴殿がよく言えたものだ!
それにあの男、我々の主張を鵜呑みにし、親英に傾いたようにも見えない。
一筋縄ではいかぬだろう。
だが、何も為さぬ事も考えられない。
今後に注目だな)
イギリスは帰国した松岡の動向を、長い目で見守る事とした。
種は撒いたのだから。
おまけ:
では銀本位制は?
銀は生産量箇条により値下がりしていた。
特に北米から大量に売られる「銀のナイアガラ」により世界市場は混乱する。
そこで1933年、イギリスのピットマンは銀協定をまとめ、銀の輸出に制限をかけた。
今現在、国内の銀移動を制限し、その銀によって貨幣(銀貨)を流通させてはいるが、
中世から近世のような銀本位制にはもう戻らないだろう。
なお、「メキシコ湾流以外要らない」などと言われたメキシコも有力な銀産国であった。
かつての貿易通貨であったメキシコドル銀貨も、もう戻らない。