北米浅海の行方
※この時期、まだプレートテクトニクスの概念は存在していない。
大陸移動説はマントル対流によるという理論が最新である。
松岡は研究機関から大事なデータを託されていた。
それは東大地震研究所や文部省中央気象台及び地方測候所等で記録した、北米大陸が消滅したであろう日時の地震波形記録である。
他にも潮汐記録、その副振動記録、気圧変化等、日本で観測したありとあらゆる地球物理学のデータの複製であった。
彼以外の者が持ち運んだなら、外国の間諜への情報提供と勘繰られた可能性が高い。
その複製情報数部の内、一部は昨年来日した、第三次日英同盟締結の御礼使節がハンドキャリーで本国に持ち帰った。
今頃はケンブリッジ大学辺りで分析されている事だろう。
数部の内の一部を松岡が、厳重な湿気対策をされた鞄に入れて北極海まで持参したのは、ここに世界の海洋学や地球物理学の頭脳に当たる学者が来ている為である。
ロンドンに戻るのではなく、現場で、データと見比べて分析をしたい。
「これは…………」
地震国である日本のデータは、ヨーロッパの学者たち垂涎のものである。
量、質、種類共に豊富であった。
日本以上の観測と科学大国であったアメリカ合衆国が消滅した事で、日本は世界最高の地震・海洋・気象科学大国となっていた。
ヨーロッパでも記録は残している。
これと太平洋側の日本のデータを照らし合わせ、既に立てていた仮説が合っているか確認する。
「北米大陸の消滅の仕方は、自然ではない。
もしかしたら、人為的なものかもしれない」
そう言ったのはアレクサンダー・デュ・トワ、ロンドンのグラスゴー大学で学んだ南アフリカの地質学者である。
アルフレッド・ヴェーゲナーの大陸移動説を支持し、自身も南北両半球にローラシア大陸とゴンドワナ大陸という両大陸が在ったという仮説を出した。
アルプス・ヒマラヤ造山運動についても触れていて、大陸の合体や上下動に関する研究では世界最高と言えよう。
「人為的ですって?」
「そうです。
この波形、通常の地震とは全然違うように思います。
時間をかけてじわっと海水が消失した場所に入り込み、海水の質量変動で地震が起きた」
「この気圧のデータもですね。
時間を掛けて、少しずつ下がっている」
そう応じたのはヴィルヘルム・ビヤークネス、ドイツ占領下ノルウェーの海洋学者・気象学者である。
現在はイギリスで生活している。
(残念な事に彼の息子のヤコブ・ビヤークネスは、1940年に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校気象学教授となった為、北米大陸と共に消滅してしまった)
大気の状態の時間変化を観測し、気象予測を研究した。
それは流体力学と熱力学を使った、経験則に因らない、科学的な予測である。
気圧、風向の他、潮位の変化も不思議な数値を叩き出していた。
サー・ジェフリー・イングラム・テイラーはイギリスの流体力学及び固体力学の大家である。
その彼が言うのは
「やはりというか、日本のデータを見るにつけ、北米大陸は一瞬にして消えたのではなく、時間をかけて消滅した事がはっきりした。
まあ、地質学からしたら瞬時なのだが」
であった。
瞬間的に消えたのであれば、急激な質量消滅による揺れがあり、急な海水面の変動が起こって、津波の被害は観測されたものより遥かに甚大なものになっただろう。
彼は水中爆発についても研究しており、水中で急激な変化が起こった時にどうなるかを熟知していた。
北米大陸なんていう巨大なものが一瞬にして消滅したなら、それは超巨大な爆弾が炸裂した後の空間に急激に海水が流れ込み、それだけで衝撃波や海水面及び海底での反射波が観測される。
ところが今まで各地のデータを見ても、全くそれが見られない。
時間をかけて陸地が消えていく、じわっとそこに海水が入っていったのだろう。
「分かってはいましたが、上下動では全く説明が出来ません」
これはマントル対流について提唱したイギリスの地質学者アーサー・ホームズの言である。
こういうヨーロッパ最高級の学者が居る中、日本からは宇多隆司という海洋学者が来ただけであった。
今村式強震計を開発した地震学者・今村明恒も来たいと言っていたが、老齢なのと、従三位を授けられた権威という事もあり、北極という日本にはよく分からない場所への派遣を認められなかった。
こういう所に、日本の科学に対する考えが出ているのだろう。
科学者集団を集めて、一大プロジェクトチームを作ってヨーロッパと渡り合っても良かったのだが、縦割り意識や権威主義、冒険を嫌う考えから官僚的な者ばかりがこの観測所に来てしまった。
詰まる所、日本の国としての危機感の足りなさが、老齢だからとか、何だかんだと理由をつけたのだろう。
だが、海洋学の権威同士の話でも十分問題がある事が分かって来た。
幌筵島で聞いた話の具体的なものとなる。
要は北半球において「暑い所は更に暑く、寒い所は寒く」となる。
ヨーロッパは本来寒い場所だ。
高緯度に存在する。
それが暖流の恩恵を受けていたのだが、本来の緯度相応の気温に戻るという事だ。
ただの高緯度地域になる。
そして、それは内陸部程顕著になるだろう。
そこに人が住んでいなければ、暑い所は暑く、寒い所は寒いで科学的な課題に終わる。
だが、ヨーロッパには合計して5億人に達する人口が居る。
南欧は助かるとして、北欧・中欧・東欧に住まう人は、南に逃れるか死ぬかだろう。
凍死もあるが、農業生産がそれだけの人口を支えられなくなるからだ。
その上、現在はドイツとソ連が血みどろの戦争中である。
どれだけの死者が出るだろう?
「北極海航路はどうなるのでしょうか?」
科学者に対し、場違いなのを承知で松岡は質問した。
返って来た答えは全く意外なものである。
「グリーンランドからスバールバル諸島、バレンツ海、カラ海にかけて海氷が発達し、航行不能になる可能性が高い。
北極海の水温は非常に下がる。
暖流の影響は、精々ベーリング海からクイーンエリザベス諸島の辺りまでで、その他の海域は逆に寒冷化する」
北極海まで大西洋の暖流が到達しない上に、増えた降水量により、スカンジナビア半島やソ連の河川から淡水が多く流れ込み、その塩分濃度の低い水が海氷となる。
アルベドというものがある。
これはアメリカの天文学者ジョージ・ボンドが提唱した概念で、簡単に言えば「白いものは光を多く反射する為、受け取る太陽エネルギーが低い」というものだ。
海氷が多くなれば多くなる程、アルベド(反射比)は高くなり、太陽光をより多く跳ね返す為寒冷化が加速する。
やがてはヨーロッパ北部を氷河が覆うかもしれない。
実際、最終氷期にはイギリスの三分の二を氷河が覆っていたという。
極東の高温化とは裏腹に、北半球の西側は氷河期に突入するかもしれない。
これがヨーロッパの科学者が、海水温の測定と海流の影響消失から辿り着いた結論である。
「だが、いつまでも今の状態は続かない」
そう反論する者も居た。
マントル対流の提唱者アーサー・ホームズである。
「北米大陸にはいくつもの火山が在った。
北米大陸が消滅したとは言え、たかだか水面下50ヤード(45.7メートル)までに過ぎない。
その下のマントル対流は生きているだろう。
すると多くの造山活動が起こり、あの海域には多数の火山や、噴火による大地が出来るのではないだろうか。
そうなると、その形次第でメキシコ湾流相当の暖流が復活するかもしれない」
だが、一体何時の事になるだろう?
それまでは氷河期という事か。
「そんなに長くないかもしれない」
ノルウェーのエクマン教授が話す。
「アイソスタシーというものを知っているかね?」
アイソスタシーとは、軽い地殻はマントルによって上に押し上げられるというものである。
北欧で見られる事だが、氷河が発達して重かった時期、地殻はより深くマントルに沈んでいた。
しかし氷河が消滅し、軽くなったと共に、反発して上に持ち上げる力が働く。
フィンランドとスウェーデンの間にあるボスニア湾がそうである。
年間数ミリメートル単位で隆起が観測されている。
これから考えると、ロッキー山脈の辺りは北米大陸の中でも重い部分であった。
それが急に消滅した。
ロッキー山脈が在った辺りは、今は海底となっているが、やがてアイソスタシーによって隆起して来て、陸地になるのではないか。
また、元カナダのハドソン湾も、カナダ存在時から既にアイソスタシーによる隆起が確認されていた。
つまり
「北米大陸は、元の形では無いにせよ、復活するかもしれない。
そうなるとメキシコ湾流も復活し、ヨーロッパはまた温暖な大地に戻るかもしれない」
(悠長な話だな)
流通関係の官僚である松岡はそう感じる。
数万年規模でも「地質年代からすれば、ごく短期間」とする学者の思考に対し、彼は長くても数年で国がどうなるかを考える。
造山運動であれ、アイソスタシーであれ、北米大陸が復活するのはこの数年では無いだろう。
代わりに、ヨーロッパ北部を発達した氷河が覆うというのもずっと先の事と考えて良い。
彼が生きている間は、そこまで大がかりな変化は無いが、それでも多くの人が死ぬような気候変動を体験する事になるという事だ。
(それに比べれば、北極海航路の問題は大した事ではない)
一応結論は貰った。
北極海は引き続き氷に閉ざされる。
北米大陸が消滅した以上、北極海を使って交易するならヨーロッパが相手になるが、特に西半球が氷に閉ざされる以上、その航路は使用出来ない。
そして海軍が懸念、いや期待か? しているソ連のバルト海の艦隊が北極海を通って極東に現れる事も無いだろう。
それどころかバルト海自体が氷結する可能性すら出て来た。
そういった報告をしようと考えている松岡に、科学者ではない男が声を掛ける。
「それで、君は日本はどういう方針でいけば良いと思うのかね?」
その者はイギリスの大物政治家と言って良いだろう。
こんな場所に来ているというのがおかしい。
その者の名はハリファックス子爵エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド。
かつてネヴィル・チェンバレン内閣で外務大臣を務め、今はエイヴォン伯と交代したが、チャーチル内閣でも1940年の内は外相だった男である。
かつてインド総督も勤めた貴族政治家であった。
その者が、一介の官僚に過ぎない松岡に、日本の今後を問うたのだった。
18時に次話アップします。