ベンガル暴動
1931年、インド自治から独立要求に発展しそうなのに、無関心な民衆に対するチャーチルの発言:
「彼らは失業と増税の心配ばかりしている。
あるいはスポーツと犯罪報道に夢中だ。
今、自分たちが乗っている大型客船が静かに沈みつつあるというのが分からないのか」
なお、この時のインド総督はアーウィン卿(1934年にハリファックス子爵家を継承)。
(2話「フィラデルフィア実験でテスラ・コイルがバミューダ・トライアングルの門を開き……」
に登場したイギリス外相で、この後の回でも登場予定)
イギリス国王はインド皇帝を兼任する。
その国王に代わってインド帝国を統治するのはリンリスゴー総督である。
彼に与えられた使命は、イギリス本国の為に食糧を調達する事であった。
チャーチル首相はインド人に対して人種的嫌悪感を抱いていた。
有色人種全般に嫌悪を抱いている感はあるが、立憲君主国で列強の一角である日本にはそれなりに敬意を持ってはいるようだ。
以前は支援をしていた中国人に対しては、逆に明らかに差別的に見ている。
日本の満州事変について
「日本人が中国で行っている事は我々がインドで行っていることと同じ」
と理解を示し、
「これで中国も少しは治まるのではないか」
と言ったりもした。
蔑視はアフリカの黒人に対してもそうだ。
「中国人は好かない、インド人は野蛮な宗教を信じている、アフリカの人間は子供っぽい」
このように言っている。
更に踏み込んでインド人に対する発言は辛辣を通り越し、憎悪に満ちていた。
「インド人は嫌いだ。
野蛮な地域に住む汚らわしい人間たちだ」
「インド人はウサギのように繁殖する」
余りに酷い言い様にインド担当相レオ・アメリーは
「貴方とヒトラーの考え方に大きな違いがあるとは思えない」
と苦情を言ったくらいである。
そのチャーチルは、本国と本国人が生き残る為に植民地からの食糧調達を徹底させる。
エジプトの農作物が、湿気が高くなった事で逆に不作となってしまい、他の植民地の負担が大きくなってしまった。
北米大陸消滅による影響は、僅かだがインド洋にも及ぶ。
赤道域を流れる海流が、途中で北米大陸に遮られる事なく、太平洋と大西洋を繋げて流れる事で、赤道付近の気温が高くなってしまった。
この暖かい空気塊は、貿易風によって太平洋からインド洋上空に運ばれる。
これにより風の強さや雨の量が増える。
マラッカ海峡を超えて流れ込む暖流の量は少ないから、暖流による熱影響は小さい。
しかし高温空気塊によって、インド洋近辺も気温が上昇する。
この低緯度地域全体の温暖化で水蒸気蒸発量が増え、かつ上昇気流も強くなる。
インド洋で発生する熱帯低気圧も強くなってしまった。
このサイクロンは1941年夏頃から度々ベンガル地方を直撃する。
洪水や高潮が海抜の低いこの地域を荒らす。
そして多くの穀物が台無しとなっていた。
しかし、イギリス本国はそれでも食糧を求める。
貪欲に求め続ける。
エジプトが駄目だっただけに、インドには過度に期待をして食糧を買い漁る。
インドの商人たち、それはインド人もだし現地在住イギリス人もだし別の国も人もいるが、彼等は喜んだ。
穀物価格は上昇している。
昨年から天災が続いているから、仕方の無い高騰ではある。
ベンガルの地の肥沃さで、こんな被害を受けながらも、二期作、三期作で米は作れていた。
ではあっても、ここにも人は住んでいるし、食糧が余っているという訳ではない。
それでもインド総督の肝煎りで、高かろうがイギリス本国がどんどん買っていく。
変に交渉して値下げもせず、金額よりも量を優先して買い付ける。
こんなビジネスチャンスはそうは無い。
商人たちは穀物を貯蔵し、小出しに値段を更に高騰させながら売り、大儲けをする。
高騰した食糧を、インドの低所得層は購入出来ない。
それどころか、インドならではの「そういう階層」の者を使って、まるでどこかの世紀末におけるモヒカン入れ墨のような暴力でもって、村に隠し持たれていた食糧をかき集めていく。
有る場所には大量に有るが、無い場所には全く無い。
かくしてベンガル地方では徐々に飢餓が発生して来た。
飢えは貧しい者、弱い者を先に襲う。
それは農作物を作っているベンガルの農民たちであった。
多くのベンガル人が食糧を求め、インド総督府に嘆願する。
強引な方法で食糧を奪い、高値をつけて人民には売ろうとしない商人たちをどうにかして欲しい、と。
しかし、インド担当相を通じてインド総督に伝えられた命令は
「鎮圧せよ」
だけであった。
食糧はオーストラリアからも運ばれている。
南半球で、北米大陸消滅の影響が丸で無いオーストラリアは平穏なものであった。
オーストラリアでは小麦を生産し、人口が少ない為、その7割は輸出に回せていた。
オーストラリアでも商人は大儲けをしていたが、こちらの商人たちにはまだ憐憫の感情が有った。
(この点、目の前で誰かが飢え死にしようが「俺はあいつとは部族も宗教も種姓も出自も違うから、死のうが痛みを感じない」という面があるインド人は、チャーチルが侮蔑するに足る部分が無きにしも非ず)
オーストラリア総督・ゴーリー男爵は、インドで起こりつつある飢饉について知り
「本国にも食糧を送るから、インドも助けたい」
と本国に伝えた。
しかしチャーチルからの返事は
「そんな余裕があるなら、全ての食糧を本国に輸送するように」
であった。
オーストラリア総督もインド総督も、何故チャーチルがそこまで食糧集めに必死なのか、実感が湧かない。
彼等とて北米大陸消滅は知っている。
しかし、その影響について、全くもって想像出来ないのだ。
それはインド国民も同様である。
ただ彼等に伝わるのは、チャーチルのインド人蔑視の発言ばかりであった。
更に彼等を怒らせたのは、イギリスは既にドイツと休戦している事である。
戦争をしていないのに、何故こんなに食糧を奪う必要が有るのか?
パニックを防ぐ名目で、チャーチルは植民地に対して一切の情報を下ろしていない。
まして、休戦状態を長引かせる為に、ドイツとソ連に密かに食糧を横流しし、両者の戦争を長引かせている事等は誰にも言えた話ではない。
イギリス人がインド人に鞭を振るって穀物を奪ったりはしない。
大体植民地人を虐げるのは、宗主国の手先となった現地人と相場が決まっている。
「お前らに食わせる米は無ええ!!」
「おらおら、金なら有るんだよ!
全部買わせて貰うぜ!
あ、イギリス人の旦那!
丁度穀物を大量に手に入れましたぜ。
お高く買って下さいよ」
「なんだ、貧民ども、その目は!
世の中、金がある者が幸せに生きるんだよ!」
「借金の形に畑を貰ってやるぜ!
お前らは小作として、そこで働かせてやろう。
飯は食わせんがな!」
「なんだ、あんたイギリス人か。
それなのに犬以下のインド人を庇いだてするつもりか」
「ああいやだ! インドなんて言ってるだけで口がカレーになるわ!」
「お前らインド人に穀物など勿体ない!
インド人にはそこらの草でも食わせておけ!」
こういった連中に、ついに怒りを爆発させた者が現れたのだ。
「最早我慢がならん!」
それはイギリスに留学していた、体制側と見られていたインド人だった。
その正体はインド解放戦線の指導者。
蜂起したその男を捕えようとした、商人の手先の破落戸に対し、頭にサンバールを乗せたヒンズー教の僧侶が、その激辛サンバールを掬うと破落戸の目に刷り込む。
「食らえ!
ガラムマサラ・サミング!」
「ぎゃー、激辛香辛料が! 痛い! 痛い!
目が、目がぁぁ」
まるで激辛カレーのような激しい怒りを沸騰させ、男が商人一行を血祭りにあげた。
これを皮切りに何人もの猛者が立ち上がり、その暴動は瞬く間にベンガル地方一帯に広がっていった。
インドの山奥で修行してダイバダッタの魂を継いだ戦士、キングコブラを使う者、火を噴く武僧、巨象に乗り操象闘法で戦う者、「?」の覆面をつけた伝説のレスラー等がインド解放戦線に参加する。
だがそれはインド闘争史における一瞬の輝きに過ぎなかった。
それは冬の太陽のようなものだ。
独立史を照らしはするけれど、成果という形で決して暖めはしない。
チャーチルは中東の軍に鎮圧の為出動させる。
中東の軍が動いた分、本国の軍に後詰めを命じた。
「中東の軍をインドに居座らせる。
本国の軍を中東に移動させる。
こうやって既成事実を作りながら、軍も少しずつ動かしていくのだ」
故に、闘争が長引けば長引く程、軍を長期間駐屯させる理由となる。
「さっさと終わらせる為に、グルカ人部隊を動かすべきです」
「それだとネパールの者をインドに動かすだけで意味が無い。
あくまでも、連合王国の兵をインドに動かすのだ」
とはいえ、インド解放戦線の猛者には、近代兵器で武装した英兵でも負ける事がある為。インド総督はチャーチルにも秘密で、少数ながらグルカ人部隊を動かした。
ベンガルでの闘争は激しさを増す。
「首相、部隊の駐屯については後で何とでもしましょう。
まずは鎮圧が第一です。
暴動のせいで、先月・今月と予定量の穀物確保が出来なくなっています」
「なんだと?
そんなに激しい反乱なのか?」
「いえ、この暴動のきっかけとなった食糧調達をガンジーが批判し、
不服従運動が再燃しております」
「ガンジー……、
あの半裸の聖者を気取った弁護士か!
総督府に伝えよ!
なぜガンジーはまだ死んでいないのか、と」
「それは、あの男を殺せ、と?」
「皆まで言わねば分からんか?」
「いえ、失礼しました」
ベンガル暴動は三ヶ月目に突入し、食糧調達計画に支障が出た時点で、やっと英軍が本気になった。
戦車や機関銃を使い、暴動を鎮圧していく。
不服従だが非暴力の者を、インド総督府は流石に殺せなかった。
やはりインド総督府は切羽詰まっていなく、甘い所が残っている。
ガンジーたち指導者は投獄された。
インド解放戦線の者たちは、ベンガルの奥地の密林地帯に逃げ込み、そこで闘争を継続する。
こういう戦場を、イギリス軍はグルカ兵に任せる他無かった。
温暖化した気候は、マラリアを媒介する蚊を増やしている。
風土病を味方につけて、インドの闘争は続く。
18時に次話アップします。




