北極行と対ソ机上演習
※日ソ中立条約
条約締結:1941年4月13日
有効期間:条約締結日から5ヶ年(1946年4月24日まで)。
有効期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長。
松岡は東京帝国大学に来ている。
北極海探検の一員に抜擢された彼ゆえに、用事を伝えられたのだった。
何故かここに、イギリス大使館のサンソム氏も居た。
「貴殿が何故ここに?」
「貴方と同じ用事ですよ」
東京帝国大学地震研究所、大正十二年(1923年)の関東大震災の後、大正十四年(1925年)本郷キャンパス内に設立された。
筑波、三鷹、駒場、そして浅間に支所を持つ。
日本の地震研究、防災研究の最高機関の一つである。
「これが昭和十五年九月十日から十二日までのデータです」
所長からデータを写したフィルムが渡される。
これはイギリス大使館から正式に依頼された、北米大陸消滅前後の地震観測データの供与分だった。
原版は渡す訳にはいかないので、紙記録を写真にし、そのネガフィルムを引き渡す。
「確かに受け取りました」
「えーと、松岡さんの分はこちらです」
松岡は北極に派遣される。
その際、現地でもデータ分析したいという要望があった為、複製は2組取られたのだ。
対海水仕様の鞄に入れ、北極で合流する欧州の科学者たちに渡すよう言われていた。
サンソム氏が受け取った方は、船便を使って本国に送られる。
ロンドンと北極の科学者たち、両方は早い内に確認したい、情報分析に使いたいという。
松岡はそのデータを受け取り、待たせていた自動車に乗り込もうとした。
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
サンソム氏が図々しくも言って来る。
「不躾ですね。
一体どうしてですか?」
「言ったように、行く場所が一緒だからですよ。
確か、次は中央気象台で潮位のデータを貰うんですよね?」
(なんで知っているのだ?)
「だからご一緒しましょう。
それに、お話ししたい事もあります。
大使館の自動車を使っても良いですが、それだと貴方が怪しまれるでしょう?」
(全部計算づくでやっているのか……)
イギリスの情報力の凄さを味わいつつ、結局同乗を許可する事にした。
商工省の自動車なら、運転手と彼の秘書という証人が居る為、身の潔白は示せる。
その上で、イギリスの言いたい事を聞き、こちらも聞きたい事を聞いてやろう。
「それで、何の用かね?」
「いえいえ、一緒の場所に行く為、頼んだだけですよ」
「演技は終わりにして欲しい。
私は元々外交官でも間諜でも無い。
こういう事は全く専門外なのだ」
サンソムは『やれやれ』といった感じで肩をすくめた。
「日本人は生真面目です。
連合王国の者は、そういう真面目さを信頼しています。
ですが、多少は優雅な会話もして欲しいところです。
それが貴方の身を守る事にもなりますよ」
そう言いながら、鞄から出した包みを手渡す。
「これは?」
「ラブレターです」
「おい! ふざけるな!」
「折角だから読んでみて下さいよ。
秘書さんも一緒にどうぞ。
本来、他人のラブレターを覗き込むのは紳士の所業ではないですが、
彼はとてもシャイなのでね」
気に障る言われようだが、イギリスの間諜に疑われない為にも他者の目も通す。
「これは…………」
それはイギリスの海外貿易の収支報告の一部であった。
無論、植民地に強制的に売りつけ、安く買っている為黒字である。
官報と照らし合わせられる部分もある。
非公開の詳細内訳も含まれている。
総力戦研究所で対英戦を想定した際に調べ、出した推論の答え合わせが出来る。
「何故、これを自分に?」
「さっきも言いましたよ。
ラブレターです。
ラブレターは、求愛する時に送るものです」
「あんたなあ!」
激高しかけるも、思いとどまる。
おちょくっているのではないだろう。
求愛?
誰に?
自分に?
いや、違う。
「卿、これは誰宛てのラブレターかな?
自分は単なる郵便局員で、本当の宛先は日本政府なのではないか?」
サンソムはニヤリとする。
「その通りでございます」
「なんか代償が凄い事になりそうだな……。
それで求愛の返事は欲しいのかね?」
「貴方が答えられるものではないでしょう?」
「そうだな」
「それに、貴方だけが郵便局員ではありません。
我々は助平国家人ではないので、手当たり次第に口説いたりはしませんが、
一途になった相手には積極的に手紙を送ります」
「そうだ、それで聞きたい事があったんだ」
「何でしょう?」
「どうして私なのだ?
何故自分に接近した?
なんとなく答えは分かるが聞いておきたい」
サンソムは、またやれやれという表情をする。
「分かっているなら、その通りですよ。
別に貴方という人格を評価しての事ではない。
今の貴方の立場に居る人なら誰でも良かった」
「やはりそうか」
「ですが……」
「??」
「一回信頼を築いた相手です。
以降は誠実に接します。
それが英国紳士というものです。
時に優雅さが気に障ると思いますが、そこはご容赦あれ」
確かに親和工作は一通だけではなかった。
サンソム氏が各所からデータを貰っているのも、松岡に接近する事だけが目的ではない。
第三次日英同盟締結の礼として特命大使が来日している。
王室に連なり、爵位を持つ伝統貴族で、日本も礼をもって接する。
その大使帰国に合わせて資料を渡すのだ。
そしてその貴族は、天皇から私的な食事会に招かれる。
皇太子時代に訪英した天皇は、懐かしい話をしたくもあった。
その私的な場で、密かに国王ジョージ6世からの書簡を渡す。
正式な親書は公式の場で渡され、それは東久邇宮総理や東條陸相も読む事が出来た。
私的な手紙という形なので、天皇本人しか読む事は許されない。
如何に検閲が厳しくなっていても、警察は天皇宛ての私信は検閲等出来ない。
そして科学者でもある天皇は、私信という形式の詳細データを読んで顔を蒼褪めてしまう。
今年の気象について薄々異常を感じ取っていただけに、データには衝撃を受けたようだ。
そして、本当の私信部分にはこうあった。
『親愛なる陛下。
我が父、ジョージ5世が言った事を覚えているでしょうか?
君主とは孤独なものである、と。
この情報をはっきりしない内に明るみにすれば、国は混乱するでしょう。
決断を下す時まで、胸にしまっておいて下さい。
そして決断する時は、どうか誤らないよう。
私の書簡がその一助となるよう神に祈ります』
なるほど、地球規模の気候変動について、イギリスから提供情報や、逆に日本への情報照会が相次いでいる。
しかしそれらは「疑いがあるので調査しています」とか「このような様子になっていますが、貴国ではどうでしょう」程度の柔らかい表現であった。
「欧州が寒冷化し、戦争どころではない」「食糧危機が発生する」「我々だけでは東洋について調べられない」「地球規模で変わっている可能性がある」とまで踏み込んだものを天皇が目にしたのは、これが初であった。
(これは、迂闊な事を言っては臣民を惑わせる)
(しかし、知っておかねばならない事である)
(英国を信じず、独国をのみ信じる者もいる。
その者からしたら、我が国を惑わす欺瞞と言われるだろう)
(表現こそ違うが、同じような情報は届けられている。
朕が知ったのは英国の危機感だ。
同じ情報でも、それを知るのと知らぬのでは、読み方が違おう)
科学者天皇は常に思っている事がある。
『雑草という植物は無い。
それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる』
しかし、植物に興味が無い者からすれば「雑草」の一言で片づけてしまう。
このように、同じ物を目にしていても、意識の差で解釈も大きく変わるのだ。
天皇が地球規模の異常を知り、一方でそれを胸に秘めつつ、信頼出来る臣下たちに気づいて貰って対策を立てて貰おうと密かに思っていた頃、総力戦研究所でも別な「日本の行く先」についての研究発表が為されていた。
松岡は一旦総力戦研究所から離れ、北極調査の準備に掛かっている。
それは、東條陸相と松岡外相(留任)、そして岸次官の秘蔵っことされる松岡には幸運であった。
対ソ戦の結果は、陸軍が不満を持つものであったのだ。
対ソ戦、これは現在の独ソ戦を無視し、1対1で戦うものとした。
温暖化した満州やシベリアについては想定していない。
それは日露戦争とシベリア出兵とノモンハン事件を合算したような推移となった。
最初の1年、日本軍は快進撃を続ける。
ソ連軍は蒙古とシベリアの奥地に引き上げる。
しかし、快進撃と言いながらも一会戦の度の被害が大きい。
半年を過ぎる頃から、ソ連軍の兵力が大きくなっていく。
日本軍の兵力も70万以上であり、まだ勝ち続ける。
しかし、この頃から航空兵力の損耗が甚大となって来ている。
使っているのが九七式戦闘機なのだが、パイロットの過重勤務と疲労による戦死、そして補充が追いつかない。
一方、戦車戦では既に敗戦が続いている。
単体での性能差もあるが、それ以上に工業生産力の差と石油生産量の差で、大戦車団を日本は用意出来ない。
航空兵力も数では負けているのを、性能とパイロットの技量でカバーしていた。
戦車戦では負け、兵力も次第にソ連軍の方が多くなるも、航空優勢と陸軍の勇猛さでまだ勝っている。
蒙古とシベリアの奥地に踏み込めば踏み込む程、機械兵力は消耗し、補給が追いつかなくなる。
親ソ派馬賊による補給線狙いも頻発する。
季節に関わらず、15ヶ月を過ぎた頃から、質ではカバー出来ない兵力差となってしまう。
いや、質すらも勝てない。
戦車、車両、砲の想定発展度合いに日本が追いつけない。
鋼の生産力の差が出て来るのだ。
日本軍は撤退を開始する。
18ヶ月後からは戦場が蒙古・シベリアから満州に移る。
押し込まれていくのだ。
だが、虎頭要塞や海拉爾要塞といった満州の要塞群がソ連軍を食い止め続ける。
ここで消耗戦に入ってしまう。
ソ連と日本との兵力の擂り潰し合い。
開戦劈頭にシベリア鉄道を潰していても、この時期は復旧され、大量の兵士がシベリアに送られている。
この消耗戦が10ヶ月程続き、ついに日本が根負けする。
この時期になると、人員はともかく、砲弾や火薬の生産が消費に追いつかなくなる。
原料を購入する事による国費の減少も激しい。
予算的には既に戦闘不能、それでも意地で戦い続ける。
そして一旦均衡が崩れると、ソ連軍は一気に満州を制圧、支那にまで侵攻し共産化。
朝鮮半島も占領される。
ただし海軍の優位により、樺太、千島、北海道、対馬、台湾、海南島は維持。
日本は大陸から追い出され、海を防壁として本土は守り切る、という結末となった。
陸軍首脳陣は大層不快に感じた。
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