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日中戦争終わらず

対馬海流は黒潮の支流である。

その海流は日本海に流れ込むが、基本的には日本の山陰・北陸の近くを流れる。

黒潮の勢いが増した事で、日本沿岸を流れる暖流もより北まで達するようになった。

そして渡島半島に沿って日本海を横断し、満州に達する。

これによりソ連沿海州かた満州にかけて暖流の恩恵を受けるようになる。

なお、アムール川からユーラシア大陸沿岸に沿って南下する寒流リマン海流は、強化された対馬海流と北方でぶつかり、潮目を作る。

ソ連沿海州沖は良漁場となった。

……そして朝鮮半島沖で獲れていたニシン・タラ・サケ・マス・サンマといった寒海性魚類は北に行ってしまい、漁獲出来なくなってしまった。

「帝國政府ハ爾後國民政府ヲ対手トセス」

(帝国政府は今後、国民党政府を相手にしない)

 昭和十三年(1938年)、近衛総理による声明である。


 この後、蔣介石と対立していた汪兆銘を対象に

「国民政府といえども新秩序の建設に来たり参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものに非ず」

 と声明を改め、善隣友好、共同防共、経済提携を約束する。

 汪兆銘政権との約束では「日本軍の2年以内の撤兵」も有ったのだが、第三次近衛声明ではこの合意が欠落していた。

 これは日中戦争長期化を狙う、近衛の側近でゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実の仕業とされる。


 これら一連の動きは、蒋介石を追い込んでいた。

 彼から日本と和睦するという選択肢を無くしていた。

 まず自分たちは交渉相手として認められない。

 仮に和睦が成立しても、自分の政権は認められず、汪兆銘の下に置かれる。

 その上、日本軍の撤退も無い。


 重慶の蒋介石政権は、戦争継続する以外無かった。


 しかし、蔣介石軍は1941年も負け続ける。

 五月には中原会戦で、18万人の蔣介石軍が4万人の日本軍北支那方面軍に敗れ、4万の死者と3万5千人の捕虜を出した。

 九月には長沙方面で50万人の蔣介石軍第九戦区軍が、日本の支那派遣軍第11軍に撃退される。

 五月から八月にかけて、日本による重慶空襲も受けた。

 この空襲において、蒋介石軍は日本軍機に手も足も出なかった。

 本来ならアメリカ・ルーズベルト大統領が約束してくれた義勇兵部隊が到着する筈だった。

 しかしアメリカ合衆国、いや北米大陸の消滅で、送られて来る筈の新鋭戦闘機も、パイロットも、支援の為のオフィスも消えてしまう。

 そしてイギリスが中国切り捨て路線に切り替えた為、入国ルートも閉ざされる。

 設立者のシェンノート大佐は、1940年10月に機体とパイロットを調達する為に渡米する予定だった。

 情報伝達が遅れ、10月15日に重慶を出た時には既に北米大陸は消滅している。

 香港でそれを聞いたシェンノートは、重慶に帰還するも、手持ちの戦力は無い。

 仕方なく、中国人パイロットの訓練を行うが、熟練パイロット、人外級だらけの日本に歯が立たない。



 余談であり、例え話である。

 三国志の時代に置き換えるなら、日本は呉の国と魏の東半分を持っている。

 かつての後漢・魏・北魏・唐で首都だった洛陽は、河南の省都として蔣介石軍最前線の防衛拠点となっている。

 中原作戦で、洛陽北方の蒋介石軍を撃破したが、まだ洛陽は落とせていない。

 国民党政府が首都を置き、その後日本が占領した武漢は、赤壁の戦いが行われた場所である。

 一方、蔣介石が首都を置く重慶は、三国志でいう白帝城だ。

 彼の支配地域四川は、即ち蜀の国。

 呉と蜀の係争地は荊州。

 今、日本と蔣介石政権はまさに荊州を巡って争っている。

 三国志の時代と違うのは、南方の人口も増え、攻勢正面が増えた事。

 長沙も楚漢や三国志の時代から名前は出て来るが、戦略上重要になったのは湖南省の省都となってからかもしれない。

 北方では、西安が昔の長安である。

 日本はまだ関中と言われる地へは侵攻出来ていない。

 古い歴史の話をした。

 実は中国の人口集中地は、南方に重心こそ移るが形としては三国志の頃と変わっていない。

 蒋介石は蜀の成都がどん詰まり。

 これより西、雲南や新疆ウイグル自治区、チベットに逃れても抗戦出来ない。

 そこは「中華」の地ではない。

 ゲリラ戦は可能だが、長続きはしない。

 無論、米英の支援があれば奥地に、奥地にと逃げられるが、それが無いとなると成都が最後の地となる。

 重慶はその一歩手前である。

 蒋介石にはこれ以上の後が無い。

 中華の政府であり続ける為にも、これ以上退けない。

 故に蔣介石軍は、長沙において反撃を企図している。


 日本軍もその兆候は掴んでいる。

 しかし、最近は補給物資が滞り気味である。

 以前から、満足な補給が為される事も少なかった。

 日本が貧乏なのもあるが、戦線が広くなり過ぎて補給が追いつかない部分があったからだ。

 だが今年のはそれとは違う。

 政府が送って来ない。

 この年の異常気象と、それに伴う道路の寸断等もあって、日本は今大変な状態にある。

 流石に支那派遣軍に撤退こそ命じないが、物資を消耗する作戦には待ったをかけて来る。


「やりたいならやっても良い。

 ただし、己の責任で行い、勝っても補給は当分なされない。

 今は前進せずに守りを固め、物資を備蓄して次の作戦まで耐える事を望む」


 こんな事を言って来る。


「内地は一体何を考えておるのか?

 守りを固めていて戦に勝てようか!

 蒋介石が攻めて来るのだぞ!」

「こんな事なら、加号作戦(長沙作戦)の後に占領地を放棄せず、踏み止まれば良かった」

 占領した長沙をすぐに放棄したのも、補給が続かないからである。

 日本軍の足を止めるものは補給であった。

 そういう意味では、三国志の呉軍というよりは、楚漢戦争の項羽軍っぽくもある。




 中国本土を攻めている支那方面軍とは別に、満州に駐屯する関東軍は、異常気象を喜んでいた。

 彼等にしたら異常ではなく、天恵気象なのだろう。

「今年の夏は随分と過ごしやすかったなあ」

「聞いたか?

 玉蜀黍(トウモロコシ)が豊作らしい」

「玉蜀黍だけじゃない。

 農作物が全体的に豊作だ」

「食糧の備蓄に真に結構な事だな」


 暖流が強くなった事で、満州の辺りにも恩恵が出始めている。

 その上、気流の関係と内陸に在る事で、多雨にはなっていない。

 例年よりも雨は増えたが、それでも農業に丁度良い感じの増加で、異常な湿気が害となった北アフリカとは異なる。

 麦が多雨による病気になる事もなく、高粱も大豆も粟も甜菜も陸稲も、全て豊作となる。


 関東軍は、この年の七月に74万人を動員した一大演習を行った。

 関東軍特種演習、略して「関特演」は対ソ連を想定した総合演習である。

 戦車、航空兵力、大規模な支援部隊を動員したこの演習で、対ソ戦の自信はついた。

 しかし本国からは待ったが掛かっている。

 南方作戦の為ではない。


「なんでも、本国でも対ソ戦を睨んだ総力戦について研究をしているようだ」

「この前の演習では不十分だとでも言いたいのか?」

「落ち着け。

 演習はあくまでも我々軍人の領分だ。

 そうじゃなく、ソビエト連邦という国と戦って、経済がどうなるのかとか、外交関係はどうなる、国内の農業、工業がどうなるのかを纏めているようだ」

「そうか。

 本国も本気になったようだな。

 実に結構な事だ」

「うむ。

 満州国からも総務庁参事が参加しておる。

 さらに朝鮮総督府や済南特務機関からも人員が出ておる」

「益々結構だ」

「参謀本部に転任された辻中佐から聞いたのだがな……」

「ほお?」

「どうもこの満州が過ごしやすくなったのは、世界規模での天気の変化によるものだそうだ」

「もしかして、北米大陸が消滅した事に関係するのか?

 それで、それがどうかしたのか?」

「恩恵を受けるのは我々だけではない。

 浦塩(ウラジオストク)やハバロフスクといったシベリアも暖かくなったかもしれん。

 そうなると、ソ連の奴等も兵糧で困らんようになる」

「なるほどなあ。

 分からんでもない。

 だが、海の彼方に在った北米大陸が無くなった事が、この満州まで影響するのかね?

 どれだけ離れていると思っているのか」

「現に今年は随分と暑かったじゃないか。

 それに、言っている学者たちも半信半疑なようだよ。

 本国では長梅雨や猛暑や突発的な豪雨が凄かったようだ。

 そして北日本で豊作、九州では水害と暑過ぎて稲がダメになる被害が出たようだ。

 それが今年だけのものなのか、本当に北米が消えた影響なのか、調査するとの事だ」

「悠長だな。

 その調査結果が出るまで、どれだけ時間が掛かるんだ?」

「いや、調査結果を待たずに、まずはソ連と全面戦争をした場合の模擬演習をするそうだ。

 まずはその結果を見たい、という訳だ」

「ほお」

「調査の一つとして、北極海の氷が融けて、航行可能になるかどうかもある。

 だが俺は、仮に北極海が航行可能となっても問題無いと思うのだ」

「何故だ?」

「知れた事。

 北極海に面するシベリア各所に、港は無いからだ。

 欧州方面からの回航を恐れているようだが、今から港など用意出来るわけもない」

「それに、日露戦争の時のバルチック艦隊同様、来ても撃破すれば良いだけだ。

 軟弱な海軍とて、それは期待出来る。

 アメリカに比べ、ソ連の艦隊等高が知れておるからな」

「まあ、俺もそう思う。

 話を戻すと、そんな北極海航路を調べる為に調査船が出るようだが、その帰りを待ってはいられない、そういう訳で今分かっている情報だけで模擬演習を行うという事だ」

「良い結果が出て欲しいものだな」

「そうだな。

 聞いたところによると、対英戦では帝国の圧倒的優勢という結果が出たそうだ。

 条件付きではあるが」

「それは結構な事だが、何だ? 条件とは」

「インドまで攻め込んでしまったら必敗だそうだよ」

「そりゃあそうだ。

 兵站が持たんだろう」

「だがなあ、俺はこの対英戦優勢が少々気に入らんのだ」

「どうしてだ?

 帝国軍に負けろとでも言うのか?」

「まさかな。

 俺が危惧しているのは、対英戦は優勢、対ソ戦は不利という結果になって、南進論者が勢いを増す事だよ」

「理解した。

 現有戦力の24万でもソ連相手には心許ない。

 だから増やすべきだとして大演習をした。

 だが、その模擬演習で対英戦の方に利があるなら、増やされるべき兵力が南に振り分けられるという事だな」

「そういう事だ。

 俺としては、ソ連との戦いにこそ兵力を注ぎ込むべきと考えておる」

「その通りだ」


 大陸に進出した陸軍は、本国の天災や総力戦研究所の演習結果待ちといった理由で、しばらくは活動を低調化させる。

 元より終戦の見込みは立っていない。

 その上で更に足止めを食らっている。

 戦争は昭和十六年中に終わる目途も立たず、まだ当分続く事になる。


 こちらはこちらで、退くに退けないのであった。

 独ソ戦を、ヒトラーとスターリンの意地の張り合いを笑えない……。

次は21時に更新します。

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