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北アフリカ戦線

失脚中の岸信介は東久邇宮に呼び出される。

「東條さんの推薦があってね。

 貴方を商工大臣にしたい。

 引き受けてくれるね?」

岸は復帰を果たした。

 イタリアは気候変動の影響が小さい国だ。

 ヨーロッパ上空を覆う寒気団(高気圧)が、アルプス山脈で止められる。

 また、中緯度の温かく湿った空気も、アルプス山脈で止められて北に流れない。

 海流の影響を受ける気候にあって、日照時間の長い温かい地中海とアドリア海に三方を囲まれる長い半島は、温暖さを維持したままであった。


 イタリアの指導者は統領(ドゥーチェ)ベニト・ムソリーニである。

 彼はローマ帝国の再興を掲げ、環地中海帝国を作ろうとしていた。

 その計画はエジプト地中海沿岸から、ソマリア等のインド洋沿岸まで広がるイタリア植民地帝国を作る事である。

 1940年9月の攻勢は、英独講和の煽りを受けて中断となった。

 だが、イタリアは北アフリカを全て領有したい。

 ギリシャ戦が片付いた今、全力を北アフリカ戦線に注げる。

 日本、ドイツ同様「持たざる国」であったイタリアは、経済危機を植民地の獲得で解決しようとしていたのだ。


 だが、ここで利害が衝突する大国がある。

 エジプトを支配するイギリスだ。

 現在進行形の気候変動に対応し、国民の為の食糧と燃料を確保すべく様々な手を打っているイギリスが、スエズ運河と紅海を明け渡す事など有り得ない。

 イギリスは現在、紳士面を止めて自己中心的(ドメスティック)な政治に終始している。

 イタリアがギリシャに侵攻しようが、口ばかりで支援の一つもしなかった。

 これでムソリーニは勘違いする。

 イギリスを取るに足らない国、強気に出れば譲歩する国と見てしまった。


 前例もある。

 ドイツの軍事的な国土拡張を止めるべく開かれたミュンヘン会議で、イギリスはドイツにズデーデン地方の割譲を認めた。

 その会議にはムソリーニも参加していた。

 首相がチェンバレンからチャーチルに代わったが、結局イギリスは押せば退く国なのだ。


 そう勘違いしたムソリーニは、非公式にエジプト割譲をイギリスに要求する。

 イギリスからの返答は

「殺すぞ、こら」

 であった。

「まあ、非公式な要求だったからなあ。

 向こうもこんな非礼を言って来たのだろう。

 公式に申し入れたら、礼に則った外交返信があるだろう」

 そうして正式にエジプト割譲を要求したムソリーニへの返信は、礼に則った最後通牒であった。

『エジプトに対する貴国の申し出に正統性は無い。

 この申し出を連合王国政府は拒絶し、二度と野心を持たないと宣言する事を要求する。

 貴国が尚もエジプトに対する野心を捨てず、軍事行動を起こした場合、我が国は貴国に宣戦を布告する』


 ムソリーニは正式に割譲要求をした為、退くに退けなくなった。

 かくしてイタリアはイギリスに宣戦布告。

 イタリア領リビアからエジプトに向けて軍を出動させた。


「ババリアの伍長に話は通したか?」

 チャーチルは関係閣僚に問う。

「ヒトラー総統には、エジプト防衛のみが我が国の戦争行動で、ヨーロッパに戦火を及ぶ気は無い、と伝えてあります。

 そして、いくら攻守同盟を結んでいるからと言って、イタリアから先に仕掛けて来る、戦略意義の無い戦争に加担するような間違いはしないで欲しい、とも」

「よろしい。

 それで……」

「日本にも伝達してあります。

 イタリアから先制攻撃しない限り、我が国から戦争をする事はしない、と。

 また、こちらも連合を組んでイタリアとは戦わないから、1対1で戦わせろ、と。

 日英同盟遵守を期待する、とも伝えました」

「益々もってよろしい。

 ドイツはソ連と、日本は中国と戦っておれば良いのだ。

 どちらも広く、奥行きが深い。

 長引く事は必定だ。

 その間に連合王国は、将来に渡って生き延びられるよう国に仕組みを改めねばならない。

 その片手間になるが、あのムソリーニ(ハゲ)を叩きのめして欲しい」

 マーゲソン陸軍大臣、パウンド第一海軍卿はエジプト防衛の準備に掛かった。


 イタリアのリビア発進は1941年6月の事であった。

 既に昨年からエジプトに対する野心を持っていたのに、グズグズとしていた上、ギリシャ戦線に手間取り過ぎ、しかも昨年の停戦で戦争準備を解いていた。

 その状態でまったり過ごしていたのに、ムソリーニがイギリスに最後通牒を叩きつけられる。

 そこから急いで攻撃準備を始めた。

 だからである。


「一体いつになったらやって来るんだ?」

 と西方砂漠軍司令官オコーナー少将は焦れている。

 イタリア軍の動きの遅さは、イギリス人からしたら信じられないものだ。

「いっそ、こちらからリビアに侵攻しましょうか?」

 性急な軍人たちがそう言う。

「ダメだ。

 外交上、あちらから手を出したという事にしないとならない。

 将軍、外交情勢の変化に伴い、我々も正しく判断しないとならない事を理解するように」

 窘めたのは中東駐留軍司令官ウェーヴェル大将である。

 彼は政治的な判断が出来る軍人であった。


 焦れるオコーナーを宥めながら、イタリアの侵攻を待つ。

 その間に準備は万端整っていた。

 いつもとは違う湿気の多さに苛つかされながら、手ぐすねを引いてイタリア軍を待ち構える。

 そして13万のイタリア軍が国境を越えると、6万のイギリス軍は直ちに出撃、少数ながら包囲を成功してイタリア軍を壊滅させる。

 鎧袖一触とはまさにこの事だろう。



 イタリア軍を叩きのめしたイギリス軍だが、その背後では危機の兆候が見え始めていた。

 エジプトを含む北アフリカ地域は、今年妙に湿潤である。

 朝には大量の霧が立ち込める。

 これによりカビが繁殖した。

 麦は黄化萎縮病になる。

 病気になり、立ち枯れた小麦は人間の食糧にならない。

 代わりにネズミがこれを食う。

 そしてネズミが大発生する。

 そのネズミにはノミが寄生している。

 そのノミがペストを媒介する。

 ペスト菌は乾燥には弱いが、湿気には強い。

 エジプトの現地人にペスト患者が出ていたが、戦時中という事で白人優先となって見向きされない。

 水面下で病人が増加し始めた。


 病気の事はひとまず置き、戦争に話を戻す。

 ウェーヴェル大将は政治的な判断を優先する。

 オコーナー少将によるトリポリやチュニスまでの逆撃を許可しなかった。

 ただし、エジプト国境に近いトブルク占領までは認める。

 本拠地が残り、かつドイツから

「東部戦線が忙しく、構っている暇が無い。

 援軍は出せないし、貴国が勝手に始めた戦争なのだから、貴国の責任で何とかせよ」

 と突き放された為、ようやく本気になった。

 本気のイタリア軍は、防衛線を築いて守りを固める。

 本気のイタリアは、撤退の為に重要書類を焼き、兵器を破壊する支度を始める。

 本気のイタリアは、北アフリカから撤退する部隊の受け入れ準備をする。


 しかしイギリスは攻めて来ない。

 恐る恐るトブルク占領中のイギリス軍を攻撃する。

 そして撃退される。


 チョッカイかけられたオコーナー少将は、ウェーヴェル大将の制止を無視し、アル・アゲイラまで軍を進める。

 イタリア軍は全力で、これを防衛すべく塹壕線を築く。

 オコーナーも上官の命令を全面的に無視はしない。

 それ以上攻め込む事はしなかった。

 ただ、攻められたら野戦軍は撃滅してやろう。

 こちらも国境付近に防御線を築き、そこに兵を入れて待ち構えた。


 湿気、増えたネズミとノミ、蔓延している病原菌、そして不潔な塹壕に籠る数万の兵士。

 条件は整ってしまった。

 陣中でペストが発生する。

 数万の兵士がそこに居る。

 人・人感染も起きてしまう。

 両軍の陣営で多数の罹患者が出た上に、全く予想もしていなかった病気で、治療薬の輸送が遅れた。

 両軍で数万の患者と数千の死者を出す惨事となる。

 ウェーヴェル大将はオコーナー少将に撤退を命じた。

 ムソリーニは、リビア防衛を褒め称える。

 だが、リビアのイタリア軍も最早戦える状態ではない。

 発症していない兵士の中には、病気蔓延のリビアを急ぎ離れ、イタリア本土に帰還する者がいた。

 その帰還兵がイタリア本土にもペスト菌を持ち込んでしまう。


 そしてこの頃になると、トリポリ、チュニス、トブルク、アレキサンドリアでもペストの感染爆発が発生。

 エジプトは、イギリスの実質的な支配を受けているとは言え、今はスエズ運河周辺のみがイギリス直轄地で、他は独立国ムハンマド・アリー朝の領域である。

 イギリスは戦時にはエジプト国内で自由に動き回れる権利を有する。

 そのイギリス軍によりペストがもたらされた、エジプト国民はそう考えた。

 正確にはエジプト他北アフリカ各地で同時に発生したペストが、イギリス・イタリア対陣中の陣営で感染爆発し、その状態のまま帰還して被害を拡大したというプロセスなのだが、民衆にはそんな事実はどうでも良い。

 そして医薬品は白人が独占している。

 エジプト国内の病院もイギリス兵優先で治療している。

 国民にペストが蔓延し、多くが死んでいく。

 エジプトで反英感情が高まっていった。




「エジプトの麦はダメか……」

 食糧確保に必死なチャーチルは、麦が病気で不作に陥ったという報に肩を落とす。

 だが、大英帝国には他にも植民地はある。

弱小国(イタリア)は当分攻めて来ないだろう。

 我が軍はスエズ運河と紅海の維持に専念せよ。

 エジプトでの食糧獲得は諦める。

 他の地域から持って来れば良い」


 イギリス至上主義の首脳陣は、植民地の事など何も考えない。

 今は急ぎ、イギリス国民が将来に渡って生き残れる仕組みを作らねばならない。

 イギリス国民が助かるなら、植民地の劣等な有色人種などどうなろうが知った事か。

 スラブ人も中国人も構っていられない。

 連中がゲルマン人や日本人に食いつくされようと、イギリスが無事ならそれで良い。

 こうしてチャーチルはインド総督に指示を出し、インドの農作物をスエズ運河経由で本国に輸送させた。

 全土で、大量に、大規模に、情け容赦なく取り立てて。


 次の地獄はインドとなる。

 ベンガル地方を中心に大飢饉が発生する。

 まさしく人災であった。

四連休の今日は、予告通り怒涛の4話更新します。

次は18時。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 何か、つくづくイタリアが可哀想。
[気になる点] 地理関係。トブルクはリビアの港ですね。
[一言] ガラッと農法から変えないと前迄の砂漠向け農法を続けてたら湿潤になったことで条件変わってるからうまく育たないのは仕方ありませんな。合わせた農法に切り替えるのは畑の形や水路とかから変えていかない…
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