東部戦線異状、異常、異常!
※参考資料
1941年当時の履帯幅:
【ドイツ】
Ⅳ号戦車 38cm
Ⅲ号戦車 36cm
【ソ連】
T-34中戦車 55cm(簡易型で50cmのものもあり)
KV-1重戦車 70cm
ヒトラーは「ロシアの冬」を十分に計算に入れていた。
ナポレオン1世が大敗を喫したロシア遠征。
「冬将軍に負けた」という言葉は有名である。
そこでヒトラーは、雪解けと共にソ連を攻撃し、冬の到来前に主要部を抑えるか、破壊するかしたいと考えて作戦を立てた。
今年の雪解けが遅かった事と、バルカン半島で有事発生で6月進発に遅れたが、それでもソ連軍の脆さに助けられ、侵攻作戦は順調に進捗する。
しかし、9月を迎えた時に異常が起こる。
長雨続きの天候となる。
その上、朝夕は凍える寒さだ。
「8月まではあんなに暑かったのに」
そうは言うが、暑い日は例年よりも少ないのに気づいていない。
交通インフラの整っていないポーランドからソ連領内は、泥濘となる。
この泥濘に、ドイツの戦車が足を取られ出す。
ドイツ陸軍のⅢ号戦車及びⅣ号戦車の無限軌道は幅が細い。
旋回性能が高く、戦場での機動力が高い代償として、設置圧が高く、泥濘においては動けなくなる。
一方のソ連戦車、T-34は幅広の履帯を使っている。
泥濘の戦場において、驚異的な性能を見せ始めた。
泥濘はドイツの兵站に負担を掛ける。
ドイツの補給は、広大な戦線で車両不足を起こした為、馬匹を利用していた。
この馬匹でも泥濘に足を取られ、前線に物資を送れなくなる。
どうにか前線まで届く物資の内、弾丸はまだ良い、腐らないのだから。
雨の中運ばれて来たパンはカビていたり、ふやけたソーセージで悪性の食中毒細菌が発生したりした。
ドイツ軍前線では食糧不足が起こり始める。
また、泥濘はドイツ陣営に疫病を発生させた。
傷口から泥が入って発生する破傷風。
ナポレオン戦争でも発生した、不潔な場所で蔓延する発疹チフス。
軍靴から入り込んだ泥が靴下を濡らす事で悪化するグジュグジュな水虫。
命に関わるものから痒さで辛抱ならないものまで、多種多様な病気がドイツ軍を襲う。
これぞ「冬将軍」の部下である「泥濘大佐」「疫病博士」「飢餓大使」であった。
だが、この異常気象はドイツ軍だけを苦しめている訳ではない。
ライ麦畑に降り続いた春と秋の長雨、これが農作物の不作を招いた。
ヒトラーは
「ウクライナの穀倉地帯を抑えよ」
と命令を出していた。
しかし、ウクライナの麦は不作である。
その上、東シベリアのソ連軍が、シベリア鉄道でヨーロッパ戦線に次々とやって来る。
この辺り一帯、敵も味方も、兵士も民間人も、農民ですら飢餓が起こり始める。
それを後方のヒトラーとスターリンは理解しない。
片方は言う。
「早い内に穀倉地帯を抑えておけば、このような事態にならなかったのだ!」
もう片方は言う。
「とにかく東シベリアの兵士を移動させ終わるまで持ちこたえろ。
出来ない場合は銃殺だ!」
食糧の無い戦場に、両軍とも大軍を注ぎ込み、更に飢餓を加速させる。
この変化は、ソ連の首脳部には朗報であっただろう。
9月中旬、雪が降り始めた。
「まさか、こんな時期に?」
ドイツ軍では慌て、
「これは我々を勝たせようとする神の……、
いえ、間違いました! 同志スターリンの奇跡です!」
そう喜んだ。
とは言え、前線ではソ連兵も
「なんだってこんな時期に雪が降るのだ?」
と嫌がっているのだが。
10月に入ると寒さは加速する。
既にマイナス10度を下回り始めた。
「いくらなんでもおかしい」
多くの者がそう思い始める。
より現場に近いモスクワでは、スターリンも異常に気づき始めた。
だが、鉄の男は異常よりも勝利の方を優先する。
「反転、攻勢に出よ!」
南に行っても食糧を得られず、東に行っても物資が届かず、次第に歩みが遅くなっていったドイツ軍は、モスクワまでたどり着けない。
モスクワまで撤退を考えていたソ連軍だが、好機とあらばわざわざ首都まで敵を呼び込む事も無い。
ドイツ軍が夏季に勝利を収めたスモレンスクとモスクワの中間地点、ヴァジマ、ボロジノの線においてソ連軍は大規模攻勢に出た。
「何をやっておる!
私はあれ程、先にウクライナを抑えよと言ったではないか!
それなのにモスクワ攻撃を主張するから、許可を出したのだ。
にも関わらず、モスクワまでたどり着く事も出来ないとは、陸軍は怠けているのか!」
ヒトラーがベルリンで、ストーブに当たりながら怒鳴る。
一方、ソ連軍も計算違いがあった。
東シベリアの全軍が、まだ到着していない。
明らかに早い攻勢転換だった為、間に合っていない。
そして、泥濘が凍った事で、ドイツ戦車が再び元の機動力を取り戻す。
それでもドイツ戦車の37mm戦車砲や75mm短砲身砲は、ソ連のT-34やKV-1重戦車の装甲を貫けない。
ダラダラと決定打が出ないまま、ソ連やや優位で戦闘が続く。
ドイツ軍を敗北させないものは、空軍力であった。
モスクワ程遠くない戦場に、ドイツ後方の飛行場から爆撃機が支援攻撃を加える。
11月になると、そのドイツ軍の頼みの綱も切れてしまう。
ソ連上空に停滞前線が広がる。
北極海から張り出した低気圧の上に、シベリア寒気団という高気圧が追いついて、覆いかぶさった。
停滞前線の空は、雲が二層に分離している。
低層の雲海と高空の雲海の間に、雲の無い空が開けている。
しかし、そこを飛ぶと遭遇するのは乱気流だ。
ドイツ空軍機は、乱気流に撃墜されるのを防ぐ為、低空を飛行する。
そこをソ連軍の戦闘機が迎撃に出る。
高空でこそ実力を発揮するドイツ軍機は、ソ連軍機の餌食となっていった。
11月中旬、寒さはマイナス40度を下回る。
「同志スターリン、これは明らかに異常です」
「そんな事は分かっている。
だが、勝つ事が先決だ。
勝たなくては意味が無い」
モスクワでも凍死者が出る中、暖房を最大にしながらスターリンが吠える。
ドイツの戦車は停止した。
ガソリンエンジンのドイツ戦車は、燃料はまだ気化するから使用可能だが、潤滑油が凍った。
寒冷地仕様になっていない為、もう使い物にならない。
しかし、ソ連の戦車も停止してしまった。
ディーゼルエンジンを使っているソ連戦車は、寒冷地仕様で不凍液等を使った対策済みだ。
だが、まだマシだった昨年のフィンランドとの戦いによる算出である。
マイナス30度まで耐えられる軽油も、マイナス40度の寒気で蝋のようになってしまい、動かなくなった。
こうなると根性の問題である。
どこぞの島国の話ではない。
気合で戦車は動かないが、人体ならどうにかなる。
スターリンは暖房の利いたクレムリンから、戦車が使えずとも撤退を許さない、ドイツ人を押し戻せという命令を発した。
一方のドイツでもストーブに手をかざしながらヒトラーが
「モスクワを占領し、そこで暖を取れば良い。
それまでは一歩も後退を許さない」
という総統命令を出す。
マシだったのはソ連兵だ。
冬戦争でフィンランド軍に痛い目に遭わされた彼等は、冬用装備を一新していた。
厚手の手袋、寒気を通さない外套、雪対策をした軍靴、これらがソ連兵を僅かな期間守った。
ドイツ兵は必死で機関銃を撃ち続ける。
温かいからだ。
撃つのを止めると、凍えてしまう。
人命と火薬が無駄に消費されまくった結果、ついにドイツ軍は撤退を決める。
そして10日余りの追撃戦で両軍は、半減した。
撤退の為に疲れた身体を引きずって歩くドイツ兵。
追撃の為に外套一つで追いかけるソ連兵。
両方とも凍死していった。
戦いはドイツ軍を追い返したソ連の勝利に終わる。
ドイツ軍は大量の戦車、軍用車両、馬匹を失い壊滅する。
ソ連軍の犠牲者の数は、ドイツ軍よりも多大だった。
戦闘においてはドイツ軍の方が強かったが、寒気に対してはソ連軍の方が強かった。
ドイツ軍撃退の報を受けてスターリンはしたり顔で周囲に言う。
「どうだ、焦土戦術でドイツ軍は暖も取れず、敗れ去っただろう!
奴等には一片のパンも、一滴のスープも、一瞬の暖も与えねば勝てるのだ。
我が軍の粘りが勝利を生んだのだ!」
誰も粛清を恐れて本当の事を言えない。
焦土戦術などしていない。
勝手に焦土より酷い有り様になっただけだ。
確かにドイツ軍には一片のパンも、一滴のスープも、一瞬の暖も無かった。
だがソ連軍には半片のパンも、半滴のスープも、寸刻の暖も与えられなかった。
この戦いで両軍合わせて百万以上の犠牲が出た。
戦闘で失われたものより、凍死の比率が高く、両軍で約40万人が凍死した。
そしてその3倍の民間人も凍死していた。
両指導者とも、途中から「今の気候はおかしい」と気づいていた。
しかし、一度始まってしまったものは止められない。
それを示した戦いだったと言える。
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