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(case3終話)イギリスよりもソ連よりも厄介な敵

1937年、駐日イギリス大使ロバート・クレイギーに対し、陸軍大臣杉山元がこう言った:

「大日本帝国は支那に対して領土的な野心を持っておりません。

 我々は支那における外国権益を最大限尊重します。

 我々の見解が理解されていないのは非常に遺憾です。

 日本軍は日本の為のみならず、極東、更には世界の為に戦っておるのです。

 蘇支条約(中ソ不可侵条約)の締結はソが支那を赤化すると共に、日本を牽制せんとする一石二鳥の策なのです。

 このまま国民党を放置すると、ボルシェヴィズムの脅威が支那から日本にも波及するのです」

それに対し、クレイギー大使は答えた。

「日中戦争で、かえってボルシェヴィズムの影響は増していますよ。

 日本が誤解されていると思うなら、国条約国会議の場に出て世界を納得させるべきでしょう」


杉山元、その日和見主義から「どちらでも、押した方向に動く」という意味の「便所の扉」と仇名された者である。

 チャーチルは日本が非公式、私的なルートで打診して来た「英独講和斡旋」を首相としては黙殺した。

 ただし、全面的に拒絶して一切の交渉窓口を無くしないのも、英国人らしいやり方である。

 彼はジョージ・サンソムを通じ、

「検討に値する提案であり、熟慮して前向きな回答が出来るよう周囲と協議の後、近い内に方針を決めようと鋭意努力する所存である」

 と回答した。

 イギリスにも官僚的な持って回った言い回しというものがある。

 遠まわし、婉曲な表現であり、本職の通訳でもよく分からない表現だ。

 だが

「If it were....」

 のような表現が所々入っている為、聞く人が聞けば「実現しそうもないと思っているな」と解釈が出来るだろう。


 この回答を受けた松岡も、英語がそこまでは堪能ではないにせよ、感触で

(やはり本気に受け取られていないな)

 と分かった。

 その回答は上司である岸信介にも伝えられる。

 岸もふうーっと息を吐いて

「まあ、そんなものでしょうナ。

 ですが、わざわざ返答を伝えて来たという事は、全面的に無視はしないという事なのでしょう。

 英国人らしい交渉術ですが、鼻で笑われて黙殺、よりはまだマシですナ。

 松岡君も、それを話題の種として捨てはせず、関係を持ち続けて良いでしょう。

 期待は出来ませんが、『奇貨居くべし』という故事もあるように、捨てずに交渉材料として持ち続けても良いかと思いますネ」

 そう返答した。

 岸とて、松岡の私案をチャーチルが真に受けたならビックリだ。

 だから非公式なサインであっても、受け取ったという返答が来ただけで十分である。


 さて、岸信介が行いたいのは統制経済であった。

 統制経済は自由経済と対照的なものである。

 岸が一時期失脚したのは、自由経済を望む当時の商工大臣・小林一三により統制経済を研究する企画院を「赤化思想の産物」と非難した事に依る。

 この企画院も復活している。

 だが、小林一三らの非難はある部分正解であった。

 ソ連という国は、白人の国であり、現地人の協力無くしては満州でも中国でもましてや日本でなんか諜報活動が出来ない。

 特にソ連人の下級兵士は2桁の算数計算が出来ないレベルなので、戦場偵察でも錯誤を繰り返す程度である。

 日本からの諜報は、共産主義シンパの知的階層(インテリ)で、軍や政府中枢に接触出来る者からの情報が最も信頼度が高い。

 ゾルゲがかつて築いていた諜報組織とはそういうものであった。

 この「共産主義シンパの知的階層(インテリ)で、軍や政府中枢に接触出来る者」、そういう者である元朝日新聞社記者・尾崎秀実を近衛文麿はブレーンとして傍に置いていた。

 特高を掌握して自分たちが共産主義者として検挙される事を無くした岸信介であったが、自分がかつての近衛文麿と同じ事をしている事には全く気付いていない。

 気配すら察知していない。

 岸が再度自身の諮問組織として集めた経済企画院の中に、やはりコミンテルンへの協力者は居たのだ。

 彼等は岸に協力的である。

 彼等とて日本の統制経済への移行は賛成なのだから。

 彼等は同志である岸に対し、協力を惜しまない。

 岸には善意をもって接している。

 だから悪意には敏感な岸も、善意のスパイには気付かなかった。

 その岸に近い者たちが、岸しか知り得ない「英独講和斡旋」を何段階もの中継の後にモスクワに伝える事に成功する。


「日本の中にイギリスとドイツを講和させて、この第二次世界大戦を終わらせようと画策する者がいる」

「あの外交音痴な連中にそれが可能とは思えませんな」

「自分もそう考える。

 だが、その余地すら与えない程日本を忙しくさせてやるのだ。

 満州(マンチュリア)侵攻の為にも、日本軍に準備の時間を与えてやる必要はない。

 世界大戦が終われば、満州(マンチュリア)侵攻は国際社会から非難される事になりかねない。

 イギリスとドイツには戦争を続けて共倒れになって貰いたい。

 そして日本には和平斡旋なんて時間を与えず、疲弊して貰おうか」

 スターリンたちはそう決めると、独裁国家の強みである迅速な実行をする。


 ソ連は蔣介石との協定を結び直すと、彼をして再蜂起させる。

 日本の朝野は激高した。

「一度許してやったのに、またも裏切ったのか!」

「身の程知らずの恥知らずめ。

 性懲りも無く、負ける為に蜂起をしたのか」

「折角動き出した上海や沿岸の日本人居留地に、蔣介石の便衣兵が入り込み、罪も無い日本人に危害を加えておるという。

 我慢ならん。

 直ちに懲罰の出兵を行うのだ!」

 国民が吠え、新聞各社は威勢の良い論調を書き立てる。

 新聞は、日本の勝利に対して疑問を投げかけると特高や憲兵から弾圧を受ける。

 だったら徹底的に威勢の良い事を言えば良い。

 新聞の本質は「政権批判をしたくてたまらない、政治に関与したいが責任は取りたくない、知ったかぶり」の発行物である。

 左でダメなら、右から政権批判をすれば良い。

 かくして、昨年やっと戦線の縮小に成功し、天皇の戦争をこれ以上拡大せずに来るべき気候変動に対処すべしという内意に沿えると思った東久邇宮内閣は、新聞各社の

「暴支膺懲」「政府の弱腰を許すな」

 という批判に晒される。

 宮様総理を直接は攻められないから、陸軍大臣である東條英機を攻撃した。

 東條の自宅には投石すらされる始末である。


「勝てる戦、何故やらぬか、東條陸相」

 こんな風に名指しで批判されては、東條は退くに退けなくなる。

 東條は国の方針決定の最終責任者ではない。

 彼は当初、一旦国を落ち着ける方針で動いていたが、こうなると陸軍代表として戦争再開を声高に叫び始める。

 宮様に言えない不満が自分に向けられていた為、思っているより数倍の強硬論を吐き続けねば失脚してしまうだろう。


 日本は英独講和斡旋どころの話ではなくなる。

 元々これは国策で決まっていたものではない。

 岸信介は松岡にこう語っていた。

「この国の意思決定は便所の扉のようなものです。

 どちらに開くか決まっていないのです。

 だから、押してやればその方に動くのですヨ。

 英独和平仲介というのも、機を見て使えるようなら、国の方針を決める為に使わせて貰いますネ」

 だが新聞各社も、戦争が収まれば急に声がでかくなる連中も、同じ事を考えていたとは思いもよらない。

「日本政府とは便所の扉である。

 意思も無く、フラフラと揺れてどちらにでも動くものなのだ。

 だったら自分が思ったように押してやろうじゃないか」


 かくして日本は支那派遣軍の解隊を中止、一旦予備役に入れる予定の帰還途上兵を任地に戻し、国内からは新規の兵力を派遣した。

 支那派遣軍は活況を取り戻し、四川奥地に兵を進め始める。

 日本は再び戦時態勢に戻った。

 それを見たイギリスは、私案である和平仲介なんてものは忘れ去った。

 覚えていても意味が無い。

 ドイツに至っては打診すらされていない。

 ヨーロッパの戦いは続き、インドでは相変わらずの搾取と、それに対抗するインド解放戦線による暴動が相次ぐ。


 そんな中、松岡は諦めなかった。

 岸にしきりに英独講和、日中戦争停止、全世界一丸での異常気象への対応を求める。

「人類の叡知を結集せねば、来るべき危機には対応出来ません」

「戦争をしている場合じゃないのです」

 岸は既に諦めている。

「君とて、英国が本気で受け取っていないのは分かっているのでしょう?」

「それは私個人の意見だったからです。

 今度は大日本帝国の国策として訴えるのです」

「今更無理ですヨ。

 我々は戦争に入ったのです。

 戦争の方に専念せねば、今後の対応も何もないのです。

 今は切り替えて、軍と協力せねばならんのですヨ」

「その戦争をしている物資が無いのを、岸さんも知っているのではないですか?

 世界は自国の持っている資源、食糧、人材、技術を融通し合う時期なのです」

「で、蔣介石をどうするんですカ?

 将来の脅威も良いですが、目の前の脅威をどうにかしてからでないと、誰にも受け容れられませんヨ……」

「目の前の脅威は皮膚病のようなものです。

 地球規模の脅威は、内臓の病のようなものです。

 どちらを根治せねばならないのか、自明の理ではないですか」

(この男は、僕の本当にやりたい事を理解出来ていないのか?

 分かっていてこんな事を言ってるなら、それはそれで問題だぞ)

 岸のやりたい事は、何度も言うが統制経済である。

 輸出入の管理、経済成長の計画的実行、資源の効率的な配分、金融の抑制等等。

 それがやれるのであれば、その名目は気候変動対策であっても支那との戦争であっても、どうでも良かったのだ。

 日本としての方針が決まっていなかった時は、英独講和斡旋で日本の存在感を示すというのはあっても良い考えだった。

 だが、やるべき事が決まった今は、そういう余計な事をしている暇はない。

 直ちに戦時体制として国を再編し、統制経済を深化させていくべきなのだ。

 それがこの男は分からんのか?


 岸は松岡に退室するように言った。

 この日はこれで収まるも、松岡は諦めない。

 今度はイギリス大使館に、改めて英独講和を訴える。

 カウンターパートのサンソム氏は、知日派ではあるが、外交官としては現実主義者(リアリスト)であり、今の日本の様子には大いに失望していた。

 松岡の話を聞く態度も、前回のそれではない。

「前回同様非常に興味深い話で、拝聴に値すると私は思う。

 ただ、私は前回聞いているから、もっと他の者にも語るべきだろう。

 私にもう一回説明しても同じ事だよ。

 我が国の、他の重要な者と話すには国の後ろ盾が必要だね。

 国としての意見として、国の名を背負う立場として話すべきではないかね?

 であるなら、君がすべき事はここで私と紅茶をのんびり飲んでいる事ではないだろう?

 中々難しい事かもしれないが、君の健闘を私は祈っているよ。

 青い薔薇(ブルーローズ)が花開くのを待つが如く、良い返事を期待している」

 そのように慇懃無礼な返答をした。

 もって回った言い回しを要約すると

「分かった、分かった。

 まず国の方針として纏めて来い。

 ま、無理だろうがな」

 と言っている。


 イギリスの冷淡な反応にも、松岡はめげない。

 だったら国としての意見に纏め上げよう。

 省を横断して要人を説得したり、政治家の元に押し寄せたりし、時にはまた英国大使館を訪れて

「英国から日本に外交筋から言って欲しい」

 等と要請したりした。

 岸はこれに不快そうに見ている。

(あの男に外交ごっこが許されているのは、それが国益になると判断されたからだ。

 本気で外交をしろなんて誰も望んでいない。

 外交がしたいのなら外務省にでも行くべきなのだ)


 目立つ動きをする松岡を、政権を攻撃したくてたまらない新聞社が格好の標的として狙い始める。

 既に対支懲罰戦争に切り替えた東條陸相を叩くにはもう無理がある。

 やり過ぎると、軍による弾圧を受けかねない。

 その点、一介の官僚に過ぎない松岡は叩きやすい。

「誇大妄想に基づき、世界を動かそうとする狂人」

「英国の犬、友邦独逸の勝利を疑う利敵行為者」

「空想科学を真実と信じる愚物」

 正直、それは亜細亜主義者の方だろと言いたくなる罵詈雑言が彼に浴びせられた。


「松岡さん、強引に物事を動かそうとし過ぎですよ。

 俺たちみたいに学が無いのは、よく分からないのです。

 理詰めで動くより、騙し騙し事を運ばねば無理が生じ、必ず揺り戻しを食らいますよ」

 腹心である田中角栄が諫言する。

 それは分かっている。

 時間が無い、近い内に破局が来る、そのように感じられてならない。

 結果、田中角栄の忠告も無視する形で「世界一丸での対応」を唱え続ける。

 最大の失策は、ドイツ大使館にも「英独講和」を訴えた事だ。

 ドイツにはこの件の話が通っていないから、一回話をするのは悪い事ではない。

 だがそれは、サンソム氏が言ったように、また岸が思っているように、国の方針として定まった後に外務省が行う事なのだ。

 この越権行為について、ドイツ大使館から外務省に苦情が入る。


 ついに岸は

(あの男もここまでだ。

 もう利用価値は無い)

 と見限る。

 ある日松岡は大臣室に呼ばれると、台湾総督府への出向を命じられる。

「先方が君を欲しがっていてネ。

 ほら、台湾も最近は台風の被害が大きくて困っておる。

 君は台湾でまずその手腕を発揮し、その実績をもってまた僕の下に戻って来てくれたまえ」

 丁重な言い回しだが、もう岸には彼を呼び戻す気は無い。

 左遷と言って良い。

 そして台湾総督は軍人が勤めている。

 松岡は国の意思決定に近い位置から、一気に遠ざけられた。


 台湾でも松岡はめげない。

 現地で水利関連を担当している八田與一と組んで、防災用の様々な工事を計画する。

 それと並行し、引き続き「世界一丸での対応」を本国並びに外国の知人・要人宛てに手紙を送って訴え続けていた。

 その両方とも、形となる前に運命の日を迎える。

 全ての準備が整った昭和二十年(1945年)四月中旬、モスクワでは駐ソ大使・佐藤尚武がモロトフ外相に呼び出され、日ソ中立条約の更新破棄を通達される。

 抗議する佐藤大使にモロトフは冷たく言い放った。

「一体いつから……破棄プロセスを履行しないと錯覚していた?」


 間もなく、日本政府も陸軍参謀本部も反応する時間が無いまま、満州に休養も済ませ補給も万全なソ連軍第一極東戦線、第二極東戦線、ザバイカル戦線の3方面軍157万が雪崩れ込む。

 その報を聞いた松岡は、台湾総督府土木局長の椅子に座ったまま激しい眩暈に襲われ、倒れてしまった。

 誰も「世界一丸での気候変動対応」になんか耳を傾けていなかった。

 せめてもの台湾での気候変動対応の工事も、予算が認められず、着工にすらこぎ着けなかった。

 一人で暴走気味に頑張っても、所詮こんなものだったのだ。




……

…………

……………………

………………………………




 そして松岡は目覚めた。

 そこは昭和二十年の台湾総督府土木局長の椅子の上ではない。

 見慣れぬ天井……ではなく、徐々に記憶が戻っていき、それから数十年後の日本であったと思い出していた。


「私は……一体どれくらい眠っていた?」

 看護婦が丸一日意識を失っていたと答える。

「そうか……たったの1日か。

 まるで半年以上、過去に戻って繰り返しをしたように感じたよ……」

 看護婦には何の事か分からない。

 老人の独り言は無視して、死ぬまでの手続きである末期医療を行う。


(そうだよな。

 あの時代、どんなに言ったって、まず日本人がそれを望まないからどうにもならないのだ。

 気候変動がどうなるかなんて事よりも、一に失業対策、二に国の威信、三に手前勝手な正義が大事な世の中だったのだ……)

 基本的に今もそれは大きくは変わっていない。

 今は気候変動が真実であると分かり、後手後手に回った部分を後悔する者がいる為、聞き入れられるようになった。

 だが人は痛手なくして、それを予見出来ない。


(地球規模の気候変動と世界が一丸となって戦う、あの時期から数十年経った「今の」私の希望に過ぎない。

 あの時期、あんな事は考えられなかった。

 今見たのは、私の頭の中の世界、夢でしかない。

 世界が一丸となって戦わねば対応出来ない、それを分からない。

 その「無知」こそが人類最大の敵だったのかもしれない)

 病床で松岡はそう思った。

 例え未来の知識を持って、こうすべきだと訴えても、聞く側が無知ならばそれは何の事なのか理解しない。

 理解しない言葉を発する者は、異常者かあるいは敵なのだ。

 共同体(コミュニティ)を乱す者は排除されてしまう。


 孫子の兵法に曰く「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と。

 敵が地球規模の変動ならば、その事をもっと詳しく知らなければならない。

 だが、今の時点でも人類は地球の気候について全て理解しているわけではない。

 被害を受けた事について、それが重大な事だと分かっているだけだ。

 己を知る。

 これが最も難しい。

 ソクラテスが「汝自身を知れ」と言ったように、「無知の知」を説いたように、人は自分が無知であると認めたがらない。

 だから、自分の経験や思い込みに基づいて、それを満足させる意見に飛びついてしまう。

 あの時期も、多数の「こうだったら良いな」という意見が飛び交い、足を引っ張り合った。

 多くの者は、自分の目で見ずに物を言っていた。

 だが、見て、それを理解出来る者は少ない。

 だからこそ、独善的な行動では誰も着いて来ないのだ。

 あの夢の中で、松岡は必死に時代と戦っていた。

 時代を敵として、大衆の無知と戦っても上手くはいかない。

 大衆の無知も含んだ歴史の流れというものは、宥めすかし、無理に止めたり曲げたりせずに、上手く流れの方からそちらに向かうようにすべきだろう。

 そしてそれには仲間の協力と、運も必要だろう。

 一回悪い流れになったものを、無理に変える事は難しい。

 その悪い流れになる前にどうにかしたいが、その時に流れを決める者は自分とは限らないのだ。


 要は松岡は、あの時期に出来る事をやった、それ以上は神ならぬ身、「社会的動物」として組織の中で生きる者には限界がある、その中で生きたまでだ。

 満足ではなく後悔は残る。

 それでもあれ以上は無理だったのだ。


 そう思って松岡は目を閉じるのであった。


   (case3 終)

後書き:

case3は起承転結の4話で終わらせました。

あとは同じような展開になりますからね。

要は「作者が思う最良の展開、全世界が戦争を止めて気候変動に対応した社会を作る」は

あの時代には「そんな事出来るか! 胡散臭い! お前は世界政府主義者(トロツキスト)か?」

となってしまうだろうな、って事です。

case何とかと分岐させる前は、「全世界一丸となり持てる科学知識を活かして……」の方に話を持っていきたく話を進めていたのですが、考えれば考える程時代的に「無理」となって話が変わったってのはありました。


今の知識があれば

「世界全体で頑張って化石燃料消費しろ!

 温室効果ガスを増やせ!

 それで寒冷化の方はどうにかなる。

 熱帯の方は、土木工事と品種改良で何とかしよう。

 寒いと死ぬが、暑い方はどうにかなる」

と、昨今の脱炭素とやらの真逆のやり方を考えつきましたが、

温室効果について知られるようになったのは1970年代のようなので、

あの時代にそんな事言っても誰も真に受けませんね。

きっと山師扱いされたでしょう。


グリムウッドの小説「リプレイ」みたいに、何度も上手くいかない大戦を繰り返しては元に戻り、最後に「全人類一丸で……」っていう展開も考えましたが、都合の良いタイムリープはやめとこうと思い直しました。

少なくとも北米大陸消滅って大嘘(フィクション)があるので、二重に虚構を使いたくもなかったので。

小説として一番綺麗なのがcase1の世界なのですが、あれって全員が最適解を出さないとたどり着けない。

最も「大日本帝国らしい」「ブリカスらしい」「ソ連ジョークな世界」なのがcase2ですが、それも極東に大型戦略爆撃機が無く、原爆も完成していない英ソでは日本を潰し切れない。

多分その中間が一番「らしい」世界かもしれませんが、それはcase1とcase2のコピペを作るだけなのでやめました。

それで最後に最初書こうと思った「一番現在の日本なら考え付く理想」をぶつけて、それは当時の人間性からいって上手くいかないよって話を書いて、終えたいと思います。

case1、case2と分けた時点で冷めたとか、case2以降は蛇足だとか、そういう意見を見ました。

(本当は予約投降を上手く利用してた、case1、case2の並行進行とかを考えていましたが、

 展開考える方が間に合わずに断念しました)

作者に、多くの人を納得させる「らしい」結末を考える力が無かったので、2つに分けてしまいました。

力量不足すみませんでした。

それでも最後まで付き合ってくれた読者さま、愛読ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
私個人はご都合主義大好きな人間なので、Case1が一番好きでした。 しかし各国がグダグダなCase2や、現代にも通ずる人間の「無知」を描いたCase3も興味深く、面白かったです。 唯一無二なこの作品、…
[一言] 最終話の松岡の独白がこの話の締めくくりにふさわしいと思います。永遠の敗北者としての大多数の人類の。とするとペシミストっぽいので次回はパッピーエンドがいいな。
[一言] 完走おめでとうございます。 少々忙しく読了が今になりました。 ケース1でもご都合主義的にはなっていない事に好感が持てます。日本を勝たせるためのご都合主義にはお腹一杯です。 土方神の再来とかあ…
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