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(case2終話)地上の楽園・大日本帝国

1945年、第二次世界大戦はまだ終わらない。

後世の視点から見れば、山は越えたと言える。

イギリスはドイツにも日本にも逆に攻め込む力は無い。

ドイツは年々悪化する情勢に四苦八苦し、次第に内籠りになっていく。

日本は燃料が無い上に、大陸からほぼ追い出され、動けない。

ソ連は海が越えられない為、中国占領と共産政権樹立の方に切り替える。

まあソ連の場合、さっさと穀倉地帯を抑えたい事情があったから、狭い上に資源もろくにない島に関わり合うよりも、さっさと中国を南下するのはやむを得ないのだが。

こうして残る数年、足に来たボクサーが最終ラウンドまで威力の無いパンチでペチペチ叩き合うような泥試合がダラダラと続く。

 アジアの戦況は膠着状態となった。

 ソ連は満州から朝鮮半島にまで侵攻。

 更に中国にも侵攻し、汪兆銘政権は崩壊した。

 そして中華ソビエト共和国を立てる。

 しかしこの政権に対し、各地でまだ武器を持った旧蔣介石軍残党が軍閥化して割拠した。

 それらを潰そうとするソ連赤軍。

 しかし、彼等は一号作戦(大陸打通作戦)の日本の苦労を思い知る事になる。

「何だってこんなに酷い大地になっているんだ?」

 黄河以南の酷さに、ソ連軍の想像を超えるものであった。


 ソ連軍は海を渡れない。

 ソ連は極東に大した海軍力を持っていないからだ。

 沿海州に樺太(サハリン)、カムチャツカの拠点は「最後の花を咲かせよう」という日本海軍第一艦隊の砲撃で壊滅している。

 稚内沖の「大和」、対馬の「武蔵」、済州島の「陸奥」はもう燃料が無く、動けない。

 この動けないというのは、作戦行動を取れないという意味である。

 浮き砲台として港湾から僅かな移動をしたり、砲撃くらいが関の山だ。

 定期的になけなしの重油を積んで油槽船が補給に来るが、呉や横須賀に帰るどころか、日々の機関稼働にも支障が出る程度しか無かった。

 しかしこの浮き砲台を恐れ、ソ連軍は日本本土侵攻を延期せざるを得なかった。

 無理して海を渡って小さい島を奪う為に死に物狂いの連中と戦うよりも、広大な中国を勢力圏にして農作物を得た方が良いと判断したのだ。

……どっちにしても難儀な事だと後で分かったのだが。


 南方では、置き去りにされた軍が戦い続けている。

 数十万人の日本兵、更には百万以上の軍属や商社の買い付け要員等が、

「天皇陛下のご恩を感じ、降伏は恥を思い、現在の責務を最後まで全うせよ」

(天皇はそのような事を一言も言っていない)

 という総理談話、要約すれば

「みんな、がんばれ」

 に愚直に従って、現地で無援のまま戦い続けていた。

 イギリス軍の反抗に遭い、マレー半島は失陥するも、インドネシア方面では踏ん張って対オランダ戦争を止めない。

 そしてインドネシア連邦が樹立される。

 一方でオランダも生き残りをかけて必死であり、イギリスやオーストラリアの支援の元、カリマンタン島及びスラウェシ島以東を掌握する。

 このオランダ領東インドとインドネシア連邦は戦わなければならない。

 インドネシア連邦はスマトラ島を巡って、シンガポールを奪還したイギリス軍とも小競り合いをしている。

 僅かな兵と共にラバウルを最後に脱出した今村大将が、スカルノ大統領やハッタ首相に乞われて軍事顧問となるのもやむを得ない事であった。

 そしてこの国は、インドネシアに集結したは良いが帰る船も無く、帰還も保留にされた日本軍残存部隊を自国軍の中核として、更には部隊指揮官・士官学校教官として雇用する。

 経済活動の為にも、本国に帰れない日本人を積極的に帰化させ、働かせる。

 その見返りに、彼等が欲するままに日本への石油輸出を始めた。

 相変わらず日本本国政府は何も出来ていない。

 置いて行かれた現場の者たちが、健気に「大東亜共栄圏」の理念の元、現地政府に積極的に協力し、彼等の滅私奉公ぶりに感動した現地政府が損を覚悟の上で日本に優先的に資源を売っている、そういう状態であった。

 現場の者たちの努力のお陰で、日本はやっと息を吹き返す。

 繰り返すようだが、日本本国は何の手も打てていない。

「この窮状においても全力を尽くす者たちに対し感涙するものである」

 と言葉にする「だけ」であった。

 そしてイギリスや新合衆国の潜水艦が狙っている中で、細々と日本に届く微々たる石油では、かつてアメリカ合衆国から石油を買っていた時のように、イギリスやソ連から輸入していた時のように、派手な軍事行動もまともな経済活動も出来ない。


 では講和をしたら良いだろう。

 しかしここで足を引っ張ったのが国民だった。

 なんと言っても、インパールの大敗北が隠蔽され、そこを攻めていた軍が見捨てられた事により、国民は「日本軍は対英戦において敗れた事は無い」と信じ込んでいた。

 台湾沖海戦での輸送船壊滅はようやく、脚色に脚色を重ね、国民にショックを与えないように情報公開された。

 だが日本国民は海戦で負けたのではなく、商船という弱いものを軍艦の攻撃で沈められたものだとして、事の重要さを真の意味で理解をしなかった。

 弱いものを全力で潰したハルゼーこそむしろ恥ずかしい。

 雄敵と戦ってこそ勇者ではないか!

 そして、背後から殴りかかったソ連は許さない。

 こんな感じでイギリス、新合衆国、ソ連と全方位で敵意を漲らせていた為、東條政権は講和を言い出せなかった。

 余りにも肝心な事を決めない、物事を先送りにする、今日決める事を明日に伸ばす、持ち帰ると行って会議を終えるも持ち帰った事案は何も解決されずに次の会議が始まる、会議は踊らないがさりとて進むわけでもない、待っていても事態は良くならない事に、ついに天皇が

「朕の希望は戦争を止む事である」

 と口にして、やっと事態が動き出した。

 弱みは見せたくない、しかし半分以上ぶち切れている天皇の意思には沿いたい、そんな東條はイギリス及び新合衆国と「休戦」協定を結ぶ。

 イギリスもインド防衛とマレー奪還を成功させ、香港も回復した以上

「講和でなく、休戦か。

 まあ認めてやらんでもない」

 と10年の停戦に応じる。

 旧合衆国と違って長期戦をする体力がない新合衆国も、フィリピン全土を奪還したのと、対日強硬派……というよりキル・ジャップ以外口にしないハルゼー中将入院に伴い、10年の停戦を受け容れた。


「このように、国力回復と国際情勢が再び我等に傾くまでの間、戦争を停止させました」

 胸を張って堂々と報告する東條に

(いや、そうじゃなくてだなぁぁぁぁ!!!!)

 と天皇は無表情を演じながら、心の中で叫んでいた。

 天皇の意思は、これからもこれ以降も恣意的に解釈され続ける。




 イギリスが日本との休戦に応じたのは、国王が天皇との友誼を重んじて

「この戦争は彼の意思ではないだろう」

 と発言した事とかが理由ではない。

 インド情勢がのっぴきならないものになっていたからだ。

 ソ連の満州侵攻のせいで日本軍が撤退し、日本軍の手を借りたイギリス軍駆逐がならなかったチャンドラ・ボースは、今度は臆面も無くソ連を頼った。

 インド独立後は共産主義を採用するとも言ってのけた。

 ソ連はソ連で、自分たちが2ヶ月で大陸から一掃した日本に、ああまで負け続けたイギリスを甘く見てしまった。

 以前のようにコソコソではなく、堂々とボースに味方してインド共産化を図る。

「我々は『赤いアジア』を防がねばならない」

 チャーチルはそう発言する。

 日本撃退で英雄となる筈だったチャーチルは、本人の人気は上がるも与党の不祥事に伴い選挙で敗北、下野となった。

 首相がアトリーに代わった事も、イギリスの対日政策変更に繋がる。

 アトリーもチャーチルの言う「赤いアジア」を警戒して、日本を味方にせぬまでも「敵の敵は味方」という扱いで利用する事を思いつく。

 ソ連はやり過ぎた。

 イギリスをナメ切って、インドに手を伸ばしたばかりにイギリスを警戒させてしまう。

 こうなると権謀術数(マキャベリズム)の権化イギリスも「らしく」動く。

 日本はソ連の失策とイギリスのマキャベリズムで生かされたようだ。


 国際情勢は摩訶不思議なものである。

 日本も国内が支離滅裂な上に、激変する外交関係に翻弄されて迷走する。

 ソ連の支援を得て各地の軍閥を打倒し、ついに5年掛かりの統一戦争を達成した毛沢東が、今度は満州(黒竜江省及び遼寧省)回復を掲げてソ連との戦争に乗り出す。

 この毛沢東と東條英機が手を組んだ事は世界を驚愕させた。


「私は日本には感謝している。

 蒋介石を打倒してくれ、かつ大量の武器を置き去りにしてくれたからな」

 毛沢東は統一戦争において、降伏せず戦争継続する支那派遣軍や関東軍残党に対し、あの手この手で懐柔を試みた。

 日本陸軍のやりたい事とは、共産主義と名乗らないだけで「天皇を頂点とした共産主義(天皇制国家社会主義)」であった為、誘惑はしやすい方であった。

 日本人の権益を守るという事、今後敵対しない事、ソ連とは現在手を組んでいるだけで今後は手切れ予定である事などを説き、更には毛沢東の代理として交渉に当たった周恩来の人柄もあって、支那派遣軍は中国共産党と停戦協定を結んで国外退去する。

 武器だけでなく、共産党の私軍・八路軍への将兵参加を認めた支那派遣軍に対し、統制派の総帥として、そして継続戦時内閣の首班として東條英機は激怒した。

 しかし日本の中ではまだ、団栗の背比べよりまだ低レベルな周囲との比較で、他が余りにも酷過ぎるからこれでも上等な部類で、世界というものが見えている東條は、支那派遣軍総司令官・岡村寧次大将及び彼が連れて来た中国共産党の密使と会談し、憎きソ連への報復もあって同盟を決定する。

 かつて石原莞爾は、東條に思想も哲学も無いと評した。

 そう、まさに思想も哲学も無いから、対ソ連で毛沢東と手を組むという離れ業をしてのける。

 東條の前任の陸軍大臣は「便所の扉」と陰口を叩かれた。

 押せばどちらにも動くという意味だ。

 東條はキレ者に見えて、ボースと会えばインド支援を決めるといったように、政治面では「便所の扉」であったのだ。


「共産主義者と手を組むとは何事だ!」

 相変わらず日本国内は、反共・国粋主義を叫ぶ者が多数居る。

 思想の指導者もおらず、百家争鳴、あちこちで現実から目を背けた大言壮語の者たちが吠えている。

 騒ぐだけで収拾がつかない国内の有象無象に対し、東條はついにかつてない強烈な言論弾圧を行う。

「中国人は本来八紘一宇、大東亜共栄圏の仲間となるべき者たちであった。

 軍国主義者でかつ西洋の傀儡である蒋介石に騙されて、大日本帝国に敵対していただけだ」

 このような強引なアジア主義を打ち出す。

 これ以降の日本のアジア主義は「国家アジア主義」と呼ばれ、国が味方と言った者は白人(新合衆国)だろうが共産主義者(中華ソビエト改め中華人民共和国)だろうが味方とし、これに異を唱える者は釜山送りとされた。

 朝鮮半島からもほぼ撃退された日本軍だが、海からの支援が利く朝鮮半島南部では今でも戦い続けている。

 釜山にはその司令部が置かれていた。

 釜山の司令部に朝鮮半島奪還の見込みはない。

 勝てないと分かっているが、日本の面子の為だけで戦線を維持し続けている。

 そんなものだから、気に入らない奴は無謀な作戦に従事させ、成功したら功はいただく、失敗ても邪魔者排除で満足、というブラックな軍であった。

 釜山送りとは、つまりはソ連のシベリア送りの日本版のようなものである。


 どうにか1950年代までには日本は、細々とであるが資源調達も回復させていた。

 欧州大戦が最終的に終結したのが1951年である。

 アドルフ・ヒトラーが61歳で死亡した事で、ドイツがやっと戦争を終える宣言をしたのだ。

 最終盤のヨーロッパ戦線は、対岸の火事であるイギリス以外にはどの国も地獄の様相であった。

 スペインに降ったヴィシー政権を撃破したドイツは、その勢いのままピレネー山脈を越えてスペインにも侵攻する。

 だが、各地で反ドイツの抵抗運動が頻発している為、侵攻軍は長くそこを占領し続けられない。

 攻めては退く、攻めては退くという、単なる人命と物資の浪費をダラダラと繰り返していた。

 更には余りの進展の無さと、いよいよ酷くなって来た寒冷化に対して手を打てないヒトラーを見限ったドイツ国防軍の一部将校が、ヒトラー暗殺を何度も繰り返すようになる。

 持前の超強運で生き延びこそするが、ヒトラーは次第に疑心暗鬼の塊となり、ミュンヘン近くのベルヒテスガーデンの山荘で側近だけでの政治を行うようになった。

 これでヒトラーが私利私欲だけの人間なら気は楽だっただろう。

 彼は彼なりにドイツを愛していた。

 ベルヒテスガーデンでも彼は、南欧から収奪した食糧をドイツ帝国内にのみ行き渡らせ、ヨーロッパの生存の為に人口調整という名の間引きを頑張り続けた。

 周囲が信用出来ないから、僅かな側近たちと共に自らが寝食を惜しんで。

 そういう生活を6年続け、ついに力尽きてしまった。

 61歳は死ぬには若い。

 彼は最後の一瞬までドイツの為に、他国から物を奪い、この気候でも生きられるよう人口を減らして適正人数を実現しようとし、それで起こる各地の反乱や軍の反抗に精神を擂り潰されながら励んでいたのだった。

 そしてこの6年で、ヒトラーが望んだようにヨーロッパの人口は最適化された。

 弱者は淘汰され、温暖な地に逃げられる者は逃げ、まだしも温暖な南欧からの農作物で生きていけるだけの人口が戦火と間引きに耐えて残った。

 この結果、ヨーロッパの世界における地位は地の底まで落ちてしまった。


 イギリスにとっても万々歳な情勢ではない。

 実はイギリスが日本を追い払うのが早過ぎたのだ。

 日本が解放者ではなく実は新たな支配者であるというボロを出す前に、イギリス軍を各地で破るという実績だけを示し、夢だけを見せて去っていった。

 これによりアジアや、時間差を持って情報を得たアフリカ等の有色人種たちは

「ソ連が背後を襲わなければ、俺たちは日本の手で独立出来たのだ」

「インドではイギリスを追い払うのに成功しつつある。

 インドネシアでは日本軍の残党がついにオランダを撃退した。

 日本やインドやインドネシアが出来るのだ、我々に出来ない事は無い!」

 そう言って1950年代の独立ラッシュが起こる。

 どのヨーロッパ諸国も、それを鎮圧する国力を残していない。

 なにせ、人口が二割程度に減らされたのだから、植民地の人口に対抗など出来ない。

 その後独立したは良いが、国家運営の手段を知らない彼等に、共産主義者が忍び寄る。

 日本もそうなのだが、国家による統制と反対者の弾圧、計画経済による富の調整(公平に分配するとは一言も言っていない)は、国を建てた後に独裁をしたい者には都合が良いし、共産主義の理念はその打倒を志す者には都合の良いものであった。

 世界に共産主義が満ちていく……。


 そして一斉に失敗する。

 大日本帝国は国内の暴走を制御出来ずに失敗し、没落した。

 大英帝国は日本軍の実力を読み間違い、植民地の大量離反を招いてしまって没落した。

 ドイツ第三帝国は氷河期対策を間違い、欧州全土を巻き添えに没落した。

 ではソビエト連邦は?

 ここは、あの形式の共産主義(スターリニムズ)を採った時点で、つまり建国の頃から間違っていたのだ。

 その弊害が出るのが、氷河期到来で早まる。

 スターリンはその最期まで現場が上げて来た数字を信じ、飢餓は去りつつあると確信して何の対策もしなかった。

 そしてスターリンの死後、ついに国を維持出来なくなって崩壊が始まり没落していく。

 共産主義を取り入れた国は、指針としていた国の没落に政治を見失い、迷走して没落する。

 インドは独立こそ成ったが、今度は宗教対立、身分対立、地域対立、そして日本派かソ連派かの対立で支離滅裂になって分裂し、しかもそれらが戦争を起こすも仲裁者は現れず、泥沼化して没落する。

 そして最終勝利者っぽい立ち位置の中華人民共和国も、老害と化す毛沢東の経済失政とその後の粛清政策によって自滅して没落するのだった。




「時々、変な夢を見る」

 妙に東條英機に気に入られ、その後準戦時統制の名の元に批判勢力無しの長期政権となった東條内閣において、国土開発大臣や農林水産大臣、内務大臣を歴任させられた松岡成十郎は、激務の中を生き抜いた。

 だが激務は彼の身体を徐々に蝕み、ある日倒れて入院する。

 彼は己の寿命が近い事を悟った。

 見舞いに来た田中角栄に、松岡は語る。

「アメリカ合衆国が健在のまま、未来を迎えた世界の夢だった。

 朝鮮半島が分裂していて、その北側……朝鮮何とか共和国と言い、日本では北朝鮮と呼んでいた。

 そこが今の日本そっくりだった。

 夢の中の大日本帝国は、その国の噴進兵器に脅かされる程軍事的には弱体化していたが、民の暮らしは今とは比較にならない程豊かだった。

 世界はあのように豊かになる可能性を持っていたのでは無かったのかな?」

 その朝鮮半島からの帰国後、国策財閥となった理研コンツェルンの下で働いていた田中角栄は、壮絶な言論弾圧と治安維持法執行下で、再び国の為の企業活動に勤しんでいた。

 資源がなく軍と物資や人員の取り合いとなり、遅々として進まない日本の新産業育成や、その為の発電所建築等において、この人たらしの達人は再度松岡と組んで事業を進める。

「政商」「東條の腰巾着の、そのまた腰巾着」と影では言われていたが、表に出すと逮捕される程の存在には成り上がっている。

「ええと、松岡さん、あたしもねえ、その夢見た事ありますよ。

 ええまあ、その、相当に豊かな日本でしたねえ」

 そして声を潜めて

「今よりもずっとね……」

 と耳元で囁く。

「まああたしが見た夢の日本ではですねえ、石油以外の資源も上手く活用してましたよ。

 相変わらず石油に苦しめられていた日本でしたが、人々はそれを克服しようと努力していました。

 日本人はねえ、やろうと思えば出来るんですよ。

 あたしは、いつかその日本人の底力を発揮し、豊かな日本を作り出そうと頑張ってるわけですよ」

 最近、しゃがれ声になった田中角栄が笑う。

(この男は強靭だなあ)

「私は政治家になり、大臣にまで登った。

 だが結局人に振り回される人生であった。

 いや、私の事はどうでも良い。

 日本の未来の事だ。

 世界でどの国も上手くいっていない。

 我々は目指すべき道を見失っている。

 田中君が、この先に夢のある未来を見据え、そこに導くのなら素晴らしい。

 未来を託して良いかな」

「ま、この不肖田中角栄にお任せ下さいよ」

 不思議なくらい自信たっぷりな男である。


 松岡成十郎が永眠したのは、それからしばらくしての事だった。

 異常気象に対応する土木工事を指揮した大臣として、総理大臣が委員長の政府葬が営まれるも、一部の業績を評価する者以外は無関心なものであった。

 彼は死ぬ間際にはある事を後悔していた。

「徹底的にイギリスとの戦争を回避するよう職分を超えて訴えて、資源が制限無しに確保出来る世に導いていれば、苦しい世界にならずに済んだのだろうか?

 あの時、イギリスによる独占経済の危険性を訴えたりせず、売国と言われていても親英を貫かせていれば今よりももっと……」

 それをやれば、彼はこの年まで生きていなかったかもしれず、結果は誰にも分からない。

 日本はイギリスともソ連とも、いまだ正式な平和条約を結んでいない。

 なし崩し的に休戦が続いているが、戦時体制もいまだに継続中である。

 何が正しいのか分からないが、彼自身は「自分がやれた筈の事は、全力ですべきだった」と思いつつこの世を去ったのである。

   (case2 終)

後書き:

case1は「色んな制限無しにソ連とガチで戦わせてみたい」ってものがありました。

case2はイギリスとの正面衝突を描きたかったのですが、どう考えてもソ連を排除出来ませんでした。

case1はどの陣営も、その時点で採り得る最良手を選んだものでした。

case2はどの陣営も同様に失敗ばかりでした。

こういう違いで書きました。

case1、case2共に、北米大陸消滅のせいで絶対に史実と同じにはなりません。

アメリカ合衆国が無い以上、海を越えて日本を完膚なきまで叩きのめす国は無いのです。

日本海軍がどんな組織であれ、遠過ぎるイギリスも、太平洋にろくな艦隊が無いソ連はこれを潰せない為、本国が無事・占領軍を送り込めない・本土の部隊は残るとなります。

となると軍部主体の政体は程度の軽重あれど残ります。

日本全面降伏は無く占領軍派遣不可能でかつ油断すればまた牙を剥いて来かねない。

そうなるとイギリスもソ連も資源を売らない、占領して解放した南方の国から資源購入可能(半強制的)だが、ここも奪還しようとする勢力と抗戦が続き不安定。

そうなると重工業は衰退し、産業は軽工業と農業主体で貧弱、いまだにソ連とは睨み合っている(崩壊後はどうなるかな?)為に陸海軍とも強力な影響力を保持し続けている。

となると一番近い形があの国だったわけです。

戦前日本の酷い部分を繋ぎ合わせて悪手を採り続けましたが、なんか落ち着いたのは滅亡ではなく、主観的には「地上の楽園」でした。

まああの国自体、旧大日本帝国の劣化コピーとか言われてるわけで、想像としてもおかしくはないかな、と。

きっとこの世界の日本の報道は、世界各国の酷い部分だけ伝え続け「我々は恵まれている、天に愛されている、日本こそ楽園だ」と宣伝工作に手を貸している事でしょう。

なお、南方に残された日本兵や軍属たちは現地の為に戦った後、帰国をするも「こんな国は自分が命を懸けて守った国ではない」と失望し、再び東南アジアに戻って日僑として帰化する者も居たりします。

「天皇を頂点にした共産主義」というのは、それを望んだ者、受け容れる者の他に「そんな左翼思想は死んでも嫌だ」という者も居たわけなので。

実際のところ、イギリスは自国第一主義で作中でも北センチネルとオーストラリアのアボリジニ絶滅させてインドで人民分断政策をしまくる悪逆国家、ソ連・ドイツは言うまでもないので、比較したらどこもかしこも地獄って感じですが(特に有色人種には)。

まあ、どの勢力も間違いまくっていたので、地球という環境が変わった中で団結して対処する事も出来ず、全部揃って没落するのは当然でしょうかね。

てな感じになったので、強引に店じまいした感は拭えないですが、case2も終わります。


……こういう形式に落ち着くとは思わなかった。

ソ連による北海道侵攻と、本土決戦の末に津軽海峡を通航出来る青森の辺りまで奪われておしまいって形を当初考えていましたが、あの大日本帝国海軍が柱島艦隊(戦艦部隊)を軽々に動かすとは思えず、大和特攻の時だって沖縄に行くだけの燃料は有ったので、ソ連侵攻に際し一歩も動けない事はない、そうなると「ソ連による日本侵攻は1945年時点では無理」となりましたので。

もっとバッドエンドな予定が、色々積み上げていったら、経済的に日本をダウンさせられても、軍事的に屈服はさせられない。

B-29も原子爆弾も無い世界。

ああ、日本海、オホーツク海、太平洋は偉大なり。

(ハルゼーと機動部隊が無事だったら、浮かんでいるだけの艦隊にとどめ差しに来たかもしれません)

ただ、あの旧軍とその暴走を助長させる国民がそのまま残った日本がマシかと言われたら……。

正直、本土上陸を許してソ連兵に蹂躙されていく日本を描くのは、それって長いだけで読んでて苦痛になる場面ばかりなので書きたくなかったってのもあります。

史実に勝る絶望的な話を書ける自信も無かったので。

てなわけで、外から来たウィルスによる感染症(ソ連の侵攻)で瀕死よりも、自分で自分を壊していく生活習慣病(大日本帝国が悪い形で残る)と日和見感染(ソ連の脅威とイギリスの貿易制限)で透析とか人工呼吸器(先軍政治と統制経済)をしながらの生存という方にしました。


主人公はcase1では戦争終結に繋げるキーマンだったので、case2で影が薄くなるのはやむを得ないとこですが、もう少し出番増やしたかったって後悔はあります。

まあ本来官僚なんで、保身で生きていけば次第に歴史に埋もれ、表舞台から消えていくのも仕方ないですか。


case3、完全な蛇足ですが、書きます。

正直本当に蛇足なんです。

あるテーマについて、自分は書き残しをしたくなかったので書きますが、読まなくても全く問題無いです。

というわけで、case2で離脱される方、今までありがとうございました。


さてcase3です。

ソ連と戦いましたし、イギリスともアメリカ抜きで戦いました。

両方ともアメリカ合衆国抜きだと、日本海軍を完膚なきまで叩き潰し、日本本土を直接脅かす程の戦力を持っていません。

敵として中途半端でした。

今度の敵はかなり厄介です。

てなわけで、18時にcase3を投下します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 帝最後の遺言状とかで無理矢理にでも情報公開されて夢覚まされるとかの奇跡でも起きないとどうしょうもない上に、覚めたあともどうするんだこれって感じに絶望しかないですな。
[良い点] 「(日本本土が無事で生き延びたこら)勝った!case2、完!!」という感じです。 ハハハ、戦前日本の悪い面を残せぱ『地上の楽園』になりますね。 ほんと史実日本というか今の日本のありがたみを…
[良い点] case2、完結お疲れ様でした! 興味深く読ませて頂きました。 何ともビターなエンドでした。史実の「分割占領案」に近い形を予想しておりましたが、後書きを読んで成るほど、と。 ラストの松…
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