泣きっ面にスターリン
ドイツに、日本の大輸送船が全滅したという報告が入る。
「だから?」
ヒトラーはイラついていて、ろくに話も聞かない。
ゲルマン民族第一主義に基づき、他民族は間引きする政策に、各国が全滅覚悟で離反を始めた。
それが頭を占めていて、日本の事などどうでも良くなっている。
現在は南仏を攻撃し、裏切ったフランス・ヴィシー政権の軍を潰しにかかっていた。
ヴィシー政権だけでなく、占領下のパリ等でも市街戦が行われる。
そんな中、抵抗運動のフランス人たちは気づいた。
「マンホールの中って、温かいなあ」
そして彼等は口の悪いイギリス人によって「モーロック」と呼ばれるようになる。
台湾沖海戦の衝撃は、分かる国にしか伝わらなかった。
日本ですら、陸軍は真の危険に気づいていない。
それでも物資と兵力が失われ、南方に再度輸送する術が無い事が分かっているだけ理解している部類である。
ドイツは通商破壊で潜水艦作戦を行った国ではあるが、それでも
「まだ大丈夫だろう。
日本には我が国以上に多くの船舶があるのだから」
と楽観的である。
まあドイツにしたら、同盟国とはいえ東洋の黄色人種国家の事など大して気にしてないからお気楽なのだが。
「備蓄物資はどれくらい持つ?」
流石に東條総理は危険さに気づいた。
彼には国家戦略も戦争指導方針も無い。
だが書類整理の達人である。
現地から寄せられる補給要請については、見るのも嫌だが、把握はしていた。
物資が豊富に有るなら、ハンコと署名をして補給手配を行う。
しかし国内にほとんど無いのだから、優先順位を決め、民間からでも徴発し、戦地に送る。
そういう行政をしつつ、作戦に裁可を出し、国内政治や大東亜共栄圏構成国との外交をする。
多忙に過ぎるから陸軍大臣、参謀本部長を流石に他に譲ったが、だからといって彼が多忙な事に変わりはない。
国政に関わらない陸軍大臣は、事情を気にせずに補給を手配する。
すると物資を要求される軍需省は岸信介大臣を通じて、限度が有るという事を伝えて来る。
民生や気候変動対応、内務省鉄道局等の物資を奪い合う部署からも
「軍部が余りにも物資を独占し、我々には回って来ない。
我々とてお国の為に仕事をしているのだ」
と言って来る。
この調整も東條に委ねられている。
「物資が足りないのは今の内だけだ。
来年になれば占領地から資源が得られる」
そう言って不満を漏らす各省庁を黙らせている。
故に東條は、国家レベルで自転車操業をしている事を、統制経済の権威・岸信介と共に国内で最も知っている一人だ。
その自転車操業を漕ぎ進めるペダルが急に失われたようなものである。
もう自転車操業として推進出来ない。
そして大日本帝国という自転車は、五・二六事件以降ブレーキが壊れた状態である。
もう転倒を待つばかりであった。
「産業物資はもう半年しかもたない。
軍需物資も一年はもたないでしょうナ」
岸が不快な報告を、不愉快そうな表情で伝えて来る。
「確か、総力戦研究所は数年は持つとか言っていなかったか?」
その総力戦研究所に居た松岡国土開発大臣も苦虫を嚙み潰したような顔で返答する。
「インドまで攻め込まないっていう条件付きでした。
インドまで深入りしてしまえば……」
官僚である松岡は、陸軍軍人でもある総理大臣の前で「負ける」という言葉を出せない。
総力戦研究所では、国内の生産力と資源消費量、どれだけ経済が上手く回るかを研究していた。
その上での戦争の推移を予想した。
その結果として、ビルマの辺りまでならイギリスには勝てる、ここでイギリスの反撃を防ぎ切って、タイ以東で経済を回せばやっていける、そのように予測していた。
イギリスに軍事的に勝つのが目的でなく、勝たなくても自前の経済圏を作り、世界から孤立してもやっていける体制を作るのが目的となる。
基本、国力の及ぶ範囲で今後どうするかを考えていたのだから、
「資源さえ売って貰えたら英国と敵対する必要はない」
とすら言っていた。
それが亜細亜主義というイデオロギーの為に資源を売ってくれていた国に戦争を吹っ掛け、攻撃に全振りして物資を使いまくって国内経済を疲弊させた上に、攻勢限界として設定した線を超えてインドやニューギニアにまで戦線を拡げるような頭の悪いシミュレーションはしていない。
松岡も岸も官僚的保身本能が働き、東條に面と向かって「負ける」とは言えない。
それは他の閣僚も一緒である。
誰も打開策を出さない。
いや、出せない。
解決策の最上のものは、イギリス・新合衆国との講和である。
しかしこれは世論が許さないだろう。
なにせ、日本陸海軍は共に対英戦で負けていないのだ。
第一次インパール総攻撃で失敗したくらいで、他の戦線は敵を圧迫している。
負けてもいないのに講和となると、東条英機の自宅にも投石されるだろう。
そして台湾沖海戦の事は、情報統制で国民には知らせていない。
仮に知ったとしても
「たかだか輸送船と、千トン程度の小艦艇がやられただけじゃないか。
帝国海軍には世界最強の『長門』と『陸奥』があるんだ。
この戦艦部隊と、世界最強の小沢機動部隊が居るのだから、新合衆国なんて亡ぼしてしまえるだろう」
等と言って来かねない。
(情報統制により、まだ国民は「大和」「武蔵」の存在を知らない。
都市伝説的に「幻の一号艦」という巨艦が噂されていたが、旧八八艦隊の計画艦の延長で妄想されていたくらいである)
次なる策は、国民が恐らく望むであろう「新合衆国への報復攻撃」である。
だが、新合衆国艦隊の本拠地は遠いハワイ・真珠湾。
「暗殺された山本大将がハワイ攻撃を考えていたそうだが……」
だがこれを形にして残す前に、北米大陸が消滅して必要が無くなり、作戦計画を紙に起こす前に山本五十六自身も凶弾に斃れた。
山本の盟友・堀悌吉予備役海軍中将が相談に乗っていたから知っているのだが、条約派として追放した者に海軍は今更頼れない。
仮に堀に聞いたとしても、親友を殺された「戦争そのものが悪」と看做す者が、ハワイ攻撃計画を教えるとも思えない。
何よりも、山本が北米大陸消滅以前から堀に、日米開戦の可能性とその場合の早期講和の為の作戦として相談していた事を、海軍の誰も知らないのだから、聞きに行くという事すら思いつかない。
故にハワイ攻撃について、海軍では
「やってやれない事は無いが、恐らくは無理なのではないか?」
と消極的である。
近海待ち伏せ決戦に特化した艦隊であり、現在のシンガポールを拠点としてインド洋を攻めている事ですら、本来の使い方を望む者からは嫌がられている。
第一艦隊を派遣しないのも、そういう事情がある。
何よりも
「艦隊をハワイまで動かす為の燃料が無い」
のであった。
三番目の策が、結果から言って最悪であった。
ソ連から資源を大量購入する事である。
だが、第一、第二の策が出来ない以上、これしか方法は無い。
外務省がソ連に縋りつくような形で資源の購入の申し入れを行った。
台湾沖海戦について、陸軍国ソ連は極めて鈍感であった。
ドイツや日本国民と同様、ソ連も
「日本の輸送船団が壊滅した、艦隊は未だシンガポールで健在」
という認識でしかない。
イギリスがせっついて来ているが、これに対するソ連首脳部は
(イギリスが随分と困っているようだ。
もっと苦しんで貰えば、ソ連の価値が上がる)
と様子見を決め込んでいた。
コミンテルン経由の情報でも、日本国内では対英戦への勝利の気分しか伝わって来ない。
台湾沖海戦の大損害を隠す為、第二次セイロン沖海戦は話を盛って大本営発表されていた。
英国の誇りである大巡洋戦艦「フッド」と、王室の名を冠する大型空母「アークロイヤル」を撃沈。
英国東洋艦隊は這う這うの体で東インド洋を追われ、アフリカ側に逃げて行った。
基本、大本営発表は陸軍の方が正確、海軍の方は戦果は盛られ、被害は隠される傾向にあった。
それゆえ国民の間では
「今は苦しい冬なれど、きっと春になって桜が咲き誇るようになるだろう」
と空腹を慰める標語が広められている。
岸信介なんかは
「春は春窮といって、何も食べるものがない飢餓を迎えるし、桜はパッと散るものだがネ」
と皮肉っぽく言っているのだが。
こんな気分にある日本からの情報に、ソ連はまんまと騙されている。
日本が極めて優位である、と。
それなのに、真実を教えてしまったのが外務省を始めとする官僚たちであった。
なりふり構わず買いに走る。
その必死さに、スターリンは気づいてしまった。
「人民は騙されて戦勝気分に酔っているが、国の中枢は日本は危険な状態であると知っている。
我々の予想以上に日本国内に戦略物資の備蓄は無い。
よく考えてみれば、あれだけ派手に攻めていて、燃料を使わない筈がない。
余りに派手に打って出ているから、日本には備蓄燃料が豊富に有ると思っていたが、どうやら違うな。
今有るものを全部使い切ってでも、まずイギリスに勝ち、それからどうにかしようとしていたのだな」
国民への情報統制や兵力の全投入については、スターリンにはよく理解出来るものである。
なんせ、ノモンハン事件でソ連側も敗北に近い損害を受けていても秘匿して勝った形にしたり、ドイツとの戦争時には極東を捨ててヨーロッパ方面に戦力全振りしたりと、彼は日本のトップがやる事をよく理解出来た。
反対に日本国民は何も知らない。
だから、官僚たちが買い付けに必死に動いている事が、日本の実情を示しているのだろう。
スターリンは国家保安総局を動かし、国際法違反なのは承知で日本人を攫った。
そして言い表せないような手段を使って、どうして必死になって買い付けに走っているかを吐かせた。
情報を得るというより、裏を取る為の作業である。
それで人が何人も、悪魔的な薬物の為に廃人と化してしまったが。
状況を理解したスターリンは、チャーチルに連絡を入れる。
チャーチルは、日本以上に台湾沖海戦の持つ意味を理解していた。
これで日本の工業は止まってしまう。
艦艇は動けなくなる。
潜水艦を恐れて、日本は近海航路すら使えなくなる。
流通も止まってしまう。
今はまだ動いているが、やがて必然的にそうなってしまう。
チャーチルはスターリンに対し、駐英ソ連大使を通じてこう伝える。
「もう我々だけで勝てるから、参戦の必要無し。
貴国は日本への資源輸出さえしなければそれで良い」
まだ日本をナメている節はあるが、半分以上ソ連に出て来るなというのは本心であっただろう。
チャーチルはヒトラーと同じくらいにスターリンも嫌いなのだから。
だが一方、こんな言い方をした方がスターリンは動くとも見ていた。
実際その通り、スターリンはイギリスの勝利と判断し、ついに火事場泥棒に動く。
モロトフ外相が再び駐ソ大使を呼び出す。
資源輸出に対する良い返事と期待していた大使は、宣戦布告を突き付けられて顔面蒼白になる。
外務省は今度こそ、頼ってはいけないものを頼っていたと思い知った。
時すでに遅しなのだが。
1945年5月26日、ソ連軍は中立条約を有効期限内なのに一方的に破棄。
同時に宣戦布告。
日本が資源を違法な手段で盗もうとした、食糧輸出の契約を履行しなかった、関東軍による度重なる国境侵犯というものを理由として掲げている。
船舶が消耗した為、ナホトカに陸揚げする予定量の食糧を運べず、また中立条約の更新停止により関東軍が北方への警戒を始めたのは事実であるが、それにしても取って付けたような「日本側の責任論」であった。
そして満州及び中国に大軍を雪崩れ込ませる。
この軍は、昨年からシベリア鉄道によってヨーロッパから送られて来たもので、戦車も砲も航空機も燃料や食糧といった物資も万全であった。
余力をもって農民や工場労働者も沿海州や東シベリア地域に送り、こちらの農地開拓や整備工場の稼働まで行っていた。
ソ連はドイツとの戦争を終えてからこの時期までの間、準備を整えていたのだ。
対する関東軍は、中立条約が更新されないと分かった時点で、南方に割いていた兵力を呼び戻そうとしていたが、南方でも中国大陸でも戦闘は継続中で、簡単には戻せなかった。
つまり、激減した戦力で3倍のソ連軍と戦う事になる。
南方資源地帯との連絡線を断たれて国内の生産が止まりそうな日本にとって、「日本の生命線」とまで言われた満州を失うのは、まさしく泣きっ面に蜂であった。
毒針ではなく鎚と鎌を持った赤い蜂およそ157万が襲い掛かって来た。
おまけ:
「毛同志、ソビエトから連絡が入っています」
中国共産党は一枚岩では無かった。
コミンテルンに近い王明、博古ら「28人のボルシェビキ」や、軍人である張国燾などが毛沢東以上に権勢を持っていた時期もある。
毛沢東は政争により、それらの上に立っていた。
毛沢東は純粋なマルクス主義、レーニン主義を軽蔑し、己の共産主義である毛沢東思想を立てていた。
それ故に、ソ連共産党からもコミンテルンからも異端として扱われている。
だからソ連は蔣介石の方を支援していたのだが、蔣介石が行方不明な以上仕方が無い。
こうして毛沢東はソ連の傀儡として国を建て、日本軍を中国から追い払う役割を担う事を約束する。
毛沢東は笑う。
「約束はした。
だが、守るとは言っていない。
中国はあくまでも我々中国人のものなのだ」
毛沢東は今は弱小勢力であり、スターリンからしたらちょっと生意気な傀儡国家主席候補に過ぎない。
だがその実態は、成長して知られるようになる。
スターリンは魔王を、知らず知らずのうちに育ててしまう。




