チャーチル焦る
蔣介石と戦う支那派遣軍は、四川への侵攻に苦しんでいた。
洛陽まではどうにか落とした支那派遣軍だったが、昔の長安こと西安へは補給線が伸び過ぎてしまい、中々侵攻出来ない。
重慶から遡るにも、やはり補給の問題が付き纏った。
そこで参謀の服部卓四郎が奇策を考える。
「砲を置き捨て、食糧も最低限だけもって強襲しよう!」
周囲は反対するも、服部は
「三国志の鄧艾も、餓死の危険を抱えながら山を越え、谷を下りながら蜀に奇襲をかけ、そして攻略したではないか。
彼に出来て我々に出来ん事は無い」
無謀な策ではあったが、他に打開策も無い。
本国からは「早急に蔣介石軍を撃滅せよ」と言って来ている事だし、賭けてみた。
策は成功する。
重慶方面からの大軍侵攻を迎え撃つ蔣介石軍の背後に、携行食糧も弾薬すら減らした空挺隊が降下し、成都に奇襲をかける。
まさかの奇襲に成都は混乱し、ついに陥落する。
しかし、やはり無茶な作戦ではあった。
少数の兵で蔣介石軍を撃破するも、肝心の蔣介石はどこかへ逃げてしまう。
そして蔣介石が居なくても、西安方面の軍はそのまま維持され、重慶からの侵攻を迎え撃っていた軍は、個々の指揮官が勝手に部下を連れて脱走し、各地で群盗化した。
だが、兎にも角にも成都を落とし、蔣介石軍は壊滅状態にはなった。
ウィンストン・チャーチルは政治家引退後、回顧録を残した。
そこからの引用である。
『日本との戦争で、日本は私の手のひらの上で踊ってくれた。
何度も、勝った! 計画通り と悪い顔でニヤついたものだ。
しかし日本という国はこちらの予測通りに動く癖に、予測通りの結末をもたらさない。
あいつらは何かおかしいのだ。
こちらの万全の準備も、日本軍が一晩でやってくれましたとばかりに、強引にひっくり返してしまう。
次第に私は、駄目だこいつら……早く何とかしないと
という焦りに囚われる事となった』
日本陸軍の南亜作戦と四川雲南作戦は、国力の全てをここに注いで実行されていた。
常識を無視した全振りをやっていた。
本国の産業が止まり、災害対策の公共事業が中断させられ、国民から物資を巻き上げていたのに、ラングーンや武漢には物資が山積みされている。
前線に物資が行き渡っているとは言い難いが、それでも十分な食糧や弾薬が補給されていた。
まあ、二千メートル級山脈を越えた先のインパールを包囲する軍への補給は、自動車が山道で止まってしまう為、空輸に頼らざるを得ない心細いものではあったが。
ベンガルではチッタゴンがあっさりと陥落する。
ここでは防げないと判断したイギリス軍がダッカまで後退した為、順当なところだ。
この方面の日本軍は、チッタゴン統治を後続のインド国民軍に任せると、そのまま全軍でダッカに向けて驀進する。
チッタゴンに入港した第一航空艦隊は艦載機を陸上基地に移し、シンガポールに引き上げていった。
また艦載機を搭載して輸送して来て、陸上基地に移す事を繰り返すのだろう。
ベンガルの空には、想定以上の日本軍機が舞うようになる。
ダッカもまた包囲され、イギリス軍は持久戦に入る。
そしてダッカは、インパールに先駆けて陥落した。
前線にスバス・チャンドラ・ボースが現れた事で事態が急転した。
ベンガル一帯で反英運動が発生し、この地を守るイギリス軍は外の日本軍だけでなく、内のベンガル人からの攻撃にも晒されてしまった。
たまらずこの地の司令官は、マウントバッテン大将の許可を得て、開城と武器弾薬物資の引き渡しを条件に撤退する事を日本軍に申し出る。
拒否して徹底抗戦されても時間の無駄である為、日本軍はそれを呑んだ。
イギリス軍はカルカッタまで退散した。
こうして東ベンガル南部、沿岸地域は日本軍の手に落ち、そのままボースの自由インド仮政府の領土とされる。
チャーチルは流石に電話でマウントバッテンを怒鳴りつけ、解任まで口にした。
だがマウントバッテンも負けてはいない。
「ベンガルがここまで反英的になったのは、一体誰のせいでしょう?
私は場合によってはカルカッタも放棄するつもりです。
しかし、戦局全体で日本に勝てればそれで良いと考えます。
それは閣下の方針では無かったのですか?」
チャーチルはぐうの音も出ない。
ベンガルに始まったインド大暴動は、そうする理由こそあったが、原因を作ったのはチャーチルだったのだから。
そしてインド全体に比べれば、ベンガル地方はごく一部に過ぎない。
日本はそのベンガル地方の南東部だけを占領しただけだ。
まだインド戦役は始まったばかりなのだ。
想定外過ぎてイラついていたチャーチルだったが、冷静になれば、まだまだ許容範囲なのだ。
「私が冷静さを欠いていたようだ。
インドの事は将軍に一任する。
すまなかった」
「謝礼は増援という形でして下さい。
日本軍の戦闘機は強力です。
我が軍の新型戦闘機でないと対処出来ません。
制空権を失っている現状、まだまだ押し込まれる可能性は否定出来ませんぞ」
「分かった分かった。
早急に送るよう努力する。
ところで、正直の答えて欲しい。
日本軍はどこまで占領可能か?
今の勢いだと、最悪どこまで失う事になる?」
「ベンガルの北部アッサムと、東部地方、そしてセイロン島でしょう」
「そんなに失うのか?」
「閣下。
失うのではありません。
一時的に貸すだけです。
すぐに取り返しますよ」
「そうか。
では、利子もたっぷり取ってやらんとな。
将軍、時間を取らせてすまなかった。
負けないでくれよ」
こうしてマウントバッテンに対しては冷静になり電話を切ったチャーチルだったが、程なくして別の怒りに囚われる。
「卿、チャーチル閣下、一大事です」
「インパールが落ちたのかね?
それなら想定の範囲内だが」
「いえ、蒋介石軍が成都近郊で日本軍に大敗。
そのまま消息不明となりました」
チャーチルは落ち着く為に飲んでいた紅茶を吹き出した。
まったく、何をやっているのか!
「あの低能がぁぁぁ!!!!
それで、我々が派遣した軍事顧問団はどうなった?」
「我が軍の訓練を受けた部隊が孤立無援で戦っております。
蔣介石が行方不明であり、連絡が取れず、士気は低下の一途との事です」
「陸海空軍の長を呼べ。
それと外相もだ。
今後の事について会議を開く」
チャーチルは紅茶ではなく、葉巻を吸ってイライラを鎮めていた。
翌日の会議の前にも嫌な報告が入る。
シドニー湾の商船が日本の潜水艦から攻撃を受けたというのだ。
「軍港の警戒はどうなっていたのだ?」
「突破された模様」
チャーチルは苦虫を嚙み潰した表情で会議に出る。
「我が国と日本は、同盟関係にあり協力関係にありました。
日本海軍の将校と交流が有った者たちから聞きましたが、彼等は決して無能ではありません。
相当に優秀な海軍軍人であると言えます」
第一海軍卿アンドルー・カニンガムの敵を賞賛するような発言に、チャーチルは不機嫌に
「それで?」
と返す。
カニンガム卿は日本人を褒め称えるのが目的でこんな話をしていない。
彼は日本軍の現状を言い当てる。
「船乗りたちは優秀です。
こちらに留学した士官も優秀です。
しかし、聞く限り上級将校はアメリカ合衆国との対決に凝り固まり、艦隊決戦に執着している者が多いようです。
我々が経験した大西洋の戦い、つまり国の維持に必要な物資を広域で沈め合う『海の総力戦』には対応出来ていません。
対応出来ないと言うより、考える事自体を放棄しているという事です」
「それで?」
この「それで?」は先程とは違って、興味を示した感じである。
カニンガム卿は話を続ける。
「日本海軍は昨年、優れた将である山本五十六が暗殺されたそうです。
現在の日本海軍は上層部、日露戦争で勝った前例にしがみついた愚物しかいません。
しかし、そうであっても戦術能力は極めて高く、佐官以下は王立海軍と比べても対等以上に優秀と言えます」
「つまり、上に行く程馬鹿になる、という事か?」
「左様です、卿。
上とは階級だけではありません。
概念もです。
操艦能力や砲戦能力、特に空母航空隊の攻撃力は世界最高レベルでしょう。
戦術能力は、空母を集中運用する等、目を引くものはありますが、我が軍の爆撃機も打撃を与えられたように、付け入る余地はあります。
戦略については、時代遅れも良いとこです。
政治に関しては、閣下もご存知の通り支離滅裂です。
上位概念に行く程、彼等は愚かなのです」
「ふうむ……」
チャーチルは考え込む。
カニンガムが言ったのは日本海軍についてである。
しかし、陸軍についても思い当たる。
陸軍も海軍も含めて、日本軍の行動はチャーチルの予測の通りである。
しかし、その予測が現場レベルで超越されているのだ。
上が愚かでも下が優秀な為に、イギリスは戦略面で優位に立ちながらも、思ったように日本を圧倒出来ずにいる、その説明がついた。
「で、これからどうするか、だ。
陸軍大臣及び参謀本部総長、意見を聞きたい」
グリッグ大臣はブルック参謀本部総長に発現を促す。
ブルックは
「大筋において、従来の日本の消耗を待つ戦略を変える必要は無いでしょう。
ただ、日本軍の前線部隊は優秀で、こちらが一歩退けば、二歩も三歩も踏み込んで来ます。
どこかで押し留める線が必要です。
私は今がその時だと考えます。
インパールの防御陣地、中国・雲南での防戦、ここは耐えるべきです。
退くだけが日本を消耗させる戦いではありません。
徹底的に守って退かないのもまた、日本を消耗させられます」
「しかし、勝てるのか?
諸君は先程から、日本の前線部隊は優秀だと言っている。
実際、ダッカも落ちてしまい、マウントバッテンは最悪カルカッタの失陥も想定しているぞ」
「首相閣下、我々の軍をもっと信用して下さい。
我々の軍は、あのドイツ陸軍とだって互角にやり合っているのです。
一戦して撤退、それを繰り返して日本軍の補給線を延ばす作戦は微調整が必要です。
勢いに乗って攻めて来る相手に、いつまでも撤退一辺倒では士気にも関わります。
どこかの線で、守り切れという掛け声が必要なのです。
それで我が軍の腰が座ります」
そしてチャーチルは、外相を見て言った。
「スターリンはまだ動かんのか?」
アンソニー・イーデン外相は首を横に振る。
ソ連はまだ動いていない。
動くのだろうが、勿体付けている。
陸軍軍人であり、1940年の北米大陸消滅の頃は陸軍大臣を勤め、現在は中東司令部最高司令官も兼任しているイーデンはチャーチルの弱気を窘める。
「スターリンに弱みを見せない為にも、ここらで日本に勝っておく必要があります。
押し込まれた状態でソ連軍が日本の背後を襲い、それで我々が勝ったとて、大きな借りを作る事になりましょう。
我々が勝つ事で、ソ連が動くように促しましょう。
ヨーロッパの戦線と違い、戦況が掴みにくいアジアの戦いです。
マウントバッテン総司令官を信じて任せましょう。
政府は彼の足を引っ張る真似だけはしないようにしましょう」
「よし、では新合衆国と連携して……」
「首相閣下、我が国は大戦初期はフランスと、フランス降伏後はアメリカ合衆国と、
そのアメリカ合衆国が消滅した後は日本と、
そして今はソ連と同盟を組んでの戦争ばかり。
だから無意識に相手の協力を求めてしまっています。
しかしよくよく思い出して下さい。
大英帝国は栄光有る孤立でやって来ました!
孤高の一匹狼、それが大英帝国の本質!
独力での圧倒的な突破力を備え持つのが、我々の戦いです」
「そうだな。
イーデン卿の言われる通りだ。
私とした事が、共産主義者に手助けを求めてしまった、無意識にな。
このままソ連軍か新合衆国が日本の背後を脅かすだろうという、他人を頼った戦略に拘っていては、我々は本来の姿を見失ったまま、情けない醜態を晒し続けるところだったわーっ!」
チャーチルの目に覇気と冷静さが戻る。
今に至っても、基本方針は間違ってない為、日本を破滅に導く戦略に綻びは出ていない。
このまま負け続けても、早晩日本は破滅するだろう。
だが、そこにソ連軍参戦という要素が加わるなら、負け続ける訳にもいかない。
ソ連軍の「おかげで」勝ったとあっては、様々な面で支障が出る。
イギリス軍独力でも勝てる事を、世界中に示さねばなるまい。
チャーチルは全世界のイギリス軍に向けて発破を掛ける。
「ジョンブル魂の発揮しどころだ!
日本にもドイツにも、戦略物資や食糧の面で優位に立っているものの強みを見せてやれ!
さあ諸君、地獄を作るぞ!」
おまけ:
元ネタ的な補足説明。
キャッチ・アズ・キャッチ・キャンというプロレスの原型は、既にイギリスにありました。
イギリスがオリジナルで、19世紀後半にアメリカに伝播し、アメリカンキャッチとなる。
そして1920年代にプロレスショーの仕組みが完成。
タッグマッチは1901年にアメリカで最初に行われました。
アンソニー・イーデンのような上流階級がプロレスの事を詳しく知っていたかは、不明!
そしてビル・ロビンソンは1945年時点で7歳。
スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、そしてブルーザ・ブロディはまだ生まれてませんでした。




