ニューギニア戦線異状アリ
イギリスは狡猾かつ強欲である。
連合国といえど、無償で助けたりはしない。
チャーチルは地質学者の報告から、水面下50メートルまで消滅した北米大陸の痕地に、まだ油田が残っている可能性を知る。
そして現地調査で、採掘跡から大量の石油を示す物質の浮遊を確認する。
「どうせアメリカ合衆国はもう無い、あそこは公海だし、先に確保してしまえ」
そのような準備をしていたのだが、これが新合衆国側にも知られた。
元北米浅海を通過してイギリスと輸送船の往復をしているのだから、いずれバレる。
新合衆国は「そこは我が国の領土である」と主張し、譲らない。
この議論がやがて、大陸棚というものについての定義を確立させる事になる。
(結局深さ50メートルは公海ではなく、アメリカ合衆国の後継国家・新合衆国の主権が及ぶ大陸棚という事で決着するが、その後「元カナダ」「元メキシコ」をも新合衆国が自領にしようとして揉める事になる)
陸軍による南亜作戦、四川雲南作戦は順調に進捗していた。
停滞なく進撃し、敵を包囲している為、前線からはこう要請が届く。
「補給物資ヲ送ラレタシ」
本国では砲弾の製造、軍用機・軍用車両といった機械が輸送船に積まれ、前線に送られていく。
こういった輸送船を、海軍の海上護衛隊が護る。
海上護衛隊は、旧式駆逐艦、駆潜艇、特設砲艦、哨戒艇、海防艦、そして水雷艇といった艦艇で編制されている。
派手ではないが、対潜・対空能力は日本海軍の中では有る方で、こういう任務にはうってつけである。
だが、本来この部隊は商船の護衛にあたるのが主任務だ。
陸軍の輸送部隊の護衛は
「連合艦隊がやってくれ」
と言いたい。
だが、ここには日本の残念な事情があった。
「大型艦を動かすと、燃料を馬鹿食いしてしまう。
それよりも千トン程度の小型艦艇を動かした方が良い」
マリアナ沖海戦で大活躍した戦艦「大和」と「武蔵」、そして「長門」「陸奥」は呉の沖合に停泊したままである。
実は停泊させているだけでも、汽缶の火を落とせないから、重油を消費している。
居るだけなのに燃料を食っている巨大戦艦。
その戦艦に燃料を食われるからという理由で、小型艦艇がこき使われていた。
海上護衛隊が陸軍の輸送部隊護衛に駆り出されている間に、資源地帯と日本を結ぶ航路上にはイギリス及び新合衆国の潜水艦が跋扈するようになっていた。
日本は、オペレーションズリサーチといった形での戦況分析を行わない。
戦争は軍人のやる事であり、戦場に行きもしない学者の口出しする事ではない。
という考えの下、商船の航行は被害が出ようが
「だったら駆潜艇か海防艦を護衛につけるか」
程度の判断しかしなかった。
何隻を、どれくらい間隔で、どのような配置にするのか?
商船は船団とするのか、それならばどれくらいの規模が妥当なのか?
こういった事を数学的、統計的に研究しなかった。
自称「数学の天才」が鉄の量から艦船の建造費をはじき出す方程式を作ったりしたが、どうもこういう方面には活用されていない。
まあ一人、二人でどうにかなるものではなく、この方面の先駆者イギリスではノーベル賞級の学者を複数人含むチームで、軍は積極的に協力し、時にオペレーションズリサーチチームの理論を検証する為の実験すら行った。
日本でも、同様の数学者・統計学者が集められた内閣戦力計算室が設置されるも、東條英機総理が視察した翌日には解散を命じられた。
これは、海軍のポートモレスビー侵攻作戦を徹底的に批判した為である。
ポートモレスビー侵攻作戦MO作戦は、陣地占領という点では成功している。
だが、この作戦最大の目的は英豪遮断なのだ。
一つは中米や南米の海域を通るイギリスとオーストラリアの連絡を断つ事。
もう一つはオーストラリアにいる英潜水艦を封じ込め、インドネシアより北を安全圏とする事。
この目的が果たされて勝利と言えた。
しかし、ラバウルに駐留する第八艦隊と第十一航空艦隊(艦隊という呼称だが陸上基地航空部隊の事)そして何個かの魚雷艇隊の、個別の対潜索敵能力と数、そして担当海域の面積と活動期間を考えたところ、難しい数式を駆使するまでもなく
「全然足りません。
穴だらけです。
艦艇も航空機も基地に戻って補給と整備を必要としますが、その交代間隔も考えれば、がら空きの海域と時間帯が何度も何ヶ所も発生しています。
あとダーウィン港で撃沈した艦艇の数が少な過ぎます。
現在までの被害から考えて、この海域にいる潜水艦はもっと多い筈です。
豪州の英海軍はもっと後方に兵力を引き上げているか、帝国海軍が把握していない基地を使っている可能性があります。
であるならば、索敵範囲が豪州北東部に偏っているラバウルに駐留するのはよろしく有りません」
こんな結論に達していた。
これに東條が激怒したのである。
この計算室の言っている事は間違いではない。
しかし、人間正しい事だからって受け入れられる訳ではない。
MO作戦は、南亜作戦とどちらが先に行われるべきかで陸海軍が口論になり、大本営の事実上の議長である東條が仲裁する形で実行を決めたものであった。
両方に気を使った結果で、兵力も艦艇数も航空戦力も決まった。
大体海軍が「大した敵がいないこの海域は、巡洋艦で制圧可能」と言っている。
それを現場に出た事が無い学者どもがケチつけ、和を乱そうとしている。
統制派の東條としたら、許せる事ではなかった。
折角海軍の協力を取り付けているのだ。
五・二六事件の対応から、陸海軍は極めて関係が悪い。
海軍の作戦というデリケートな問題を、総理大臣と同時に陸軍軍人である自分の諮問機関が批判したなら、南亜作戦にも支障が出かねない。
これが日本版オペレーションズリサーチチームたる戦力計算室が一夜で消滅し、以降結成されなくなった経緯である。
こうして軍人主導の護送船団を運用するも、イギリスの潜水艦部隊には全く効果が無かった。
イギリスも大量生産能力は高いが、消滅したアメリカ合衆国が本気になった場合には遠く及ばない。
だから潜水艦は大事に使う。
イギリスのオペレーションズリサーチチームは、これまで集めた情報から、ラバウル(第八艦隊)とシンガポール(第二艦隊及び第一航空艦隊)の中間、ティモール海からバンダ海を通りモルッカ海かハルマヘラ海を抜けて太平洋に出る海域は警戒が薄いと知る。
日本軍は、オーストラリア威圧に重要なポートモレスビーを含むニューギニア東部を占領したが、兵力不足から西部には手が回っていない。
そこでセラム島、アンボン島に秘密基地を作り、ワイゲオ島には臨時の補修基地兼観測所を設置した。
これらの秘密基地は、基地と言えるような代物ではなく、工作艦や補給船を隠すだけの簡易な施設と、兵員の休息場所を用意しただけであったが、毎回毎回パースまで戻って整備せずとも活動が可能となるものであった。
こうした秘密基地は、日本に協力的な現地住民が居れば、発見されて通報されるだろう。
だが、現地を大事にして民に慕われた今村均をラバウル方面に追いやって、代わりに派遣されて来た軍政担当者は、前任と違ってまさしく軍政を当地に敷いた。
この軍政、圧政、物資の強制調達への反発から、インドネシアの人心は急速に日本から離れる。
もっとも「イマムラ将軍、戻って来て下さい!」という程度に、まだ日本への期待も残ってはいたが。
そしてニューギニア西部の人たちには、日本なんて意味を持っていない。
そんな事も手伝い、この秘密基地の存在はジャカルタの蘭印方面司令部にも、ポートモレスビーのニューギニア方面司令部にも通報される事なく、現地住民はイギリスに雇用されてかえって基地の保守や警備にあたっていた。
この秘密基地を使う潜水艦部隊は、護衛がついていない日本の商船を狙う。
日本の対潜哨戒能力が低いのは、何度かの経験で明らかにされていた。
それでも「どうしてここまで作るのか分からない」というどっかの消滅国家のような大量生産能力が無いイギリスは、情報分析の結果
「日本の護衛艦の数は、担当海域の割に全然足りていない。
そして本国が資源を急いで欲している事情もある。
ゆえに、護衛艦を待たず、船団すら組まずに、単独航行する商船が意外に多い。
一回当たりの戦果は低いが、こういう船を個別に狙った方が被害少なく、楽に打撃を与えられる」
という判断に至った。
この結果、資源を積み込んで日本に向かう商船が襲われ、物資を日本国内からラングーンまで輸送する部隊はあえて攻撃されない事になり、本国の物資がどんどん少なくなっていく事に繋がった。
岸軍需大臣は、予定の物資が日本に届かない現状にイラつきを隠せない。
予定していた量が無いのに、統制も計画経済もあったものじゃない。
既に民間への割り当ては随分と減らしている。
それどころか、くず鉄は回収を求め、ガソリンに代わって松の木で走る自動車を推奨していたりもした。
「皆さん、お国の為には歩きましょう。
どうしても必要なら、電気自動車や電気鉄道にしましょう。
電気ならば水力発電、人力発電でどうにか賄えます。
これ以上石油を消費する事は出来ません。
持続可能な戦争の為に、我々が今出来る事をするしかないのです。
時間はもう有りません。
今から始める脱石油社会への道を歩みましょう」
商工省は軍需省と農商省に分かれた。
繊維産業や日常生活物資についての統制事務を担当する農商省は、ラジオ放送で国民にこのように呼び掛ける。
まるで環境保護活動かのような呼び掛けなのだが、軍部が湯水のように(日本国内比)石油を使いまくっているのだから、あまり意味は無い。
それでも国民は「お国の為だから」と辛抱している。
とある女学生が
「あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢と子供時代を奪い去った。
人々は苦しみ、死にかけ、日本全体が崩壊しかけている。
それなのに、あなたたちが話すのは戦争のことと、永遠の大東亜共栄圏というおとぎ話だけ。
何ということだ。
あなたたちには失望した。
私たちを失望させる選択を、決して許さない。
あなたたちを逃がさない」
と声を挙げ、学生を中心に賛同者がデモを行ったりしたが、治安維持法違反で逮捕され、その後の行方は分からなくなる。
「ちゃんと始末したんでしょうネ?
あの女学生が反政府の象徴となるような事は許しませんヨ」
今回の件で暗躍した者が、特高警察の幹部にそう問う。
「大丈夫です。
あの女学生は淫乱な共産主義者で、コミンテルンを通じた無政府主義者。
活動にかこつけて多くの有望な書生をたらし込み、己の肉欲を満たしつつ運動に利用していた。
その運動は、皇国に厭戦気分をばら撒き、生産を停滞させ、兵に物資を送らせないよう労働争議を巻き起こし、皇国を敗戦させようと言うものであった。
然る後にかの女学生は、敵国の中で占領軍の重職として登用され、また肉欲を通じて純粋な男児を誑かし、占領の手駒として使うつもりであった。
多くの親御さんは、かの淫乱な女狐の毒牙にかけられた我が子を取り戻さねばならない。
そのように新聞を通じて宣伝しておきました」
「よろしい。
今後もそのように、国の方針に反する者は始末しなさいネ。
私はこういう事もあろうかと、君たちを解体しないで残したのですヨ。
これからの国の統制に反する者は、取り締まりなさい」
日本の闇は深い……。
作者の戯言:
なんとなく、石油を節約しなければならない昭和二十年頃と、脱炭素の時代が重なって見えまして。
あれ? 松根油ってバイオマスエネルギーじゃね?
……と調べたら、著しく効率が悪い燃料だそうですな。
こんにゃく糊の風船爆弾といい、木製爆撃機「明星」とかデ・ハビランド・モスキートとかソ連のデルタ合板とか、割とバイオマス材料使ってますな。
(資源使い放題のアメリカ合衆国じゃなければこんな感じ?)




