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北米浅海、海洋調査

特務艦「宗谷」(1941年時)

排水量:3,800トン

速力:12.1ノット

航続距離:5,000海里(9,260km)

(根室~バンクーバー間:約6,600km)


 1941年2月末、日本海軍特務艦「宗谷」が横須賀を出港した。

 この艦は元々は、ソ連向けに建造された砕氷型貨物船である。

 第二次世界大戦直前の情勢に鑑み、ソ連への引渡はなされなかった。

 この艦には最新鋭のイギリス製音響測探儀(ソナー)が装備されている。

 それもあって、海軍が買い入れて改装を行った。

 そして測量、気象、海象観測任務を受け持つ事とされた。

 昨年、南洋諸島サイパンに派遣されて、同地で完熟訓練も兼ねた観測を行っている。

 既にここでも、気象の変動を観測していた。


 イギリスからの申し出を受けた日本政府は、あまり乗り気では無かった。

 近衛総理も、科学的な知見には鈍感である。

 いや、イギリス首脳部の判断の速さが異常だったかもしれない。

 これを覆したのは海軍である。


 海軍は元々アメリカを仮想敵国として艦隊を整備して来た。

 しかし、そのアメリカが消滅した。

 確かに戦闘艦隊がハワイに残っているのだが、これらと戦う意味が無い。

 戦うのは国であり、国の戦略に沿って行動する敵艦隊であり、国から切り離された艦隊というものは大した意味を持たない。

 規模がでかいだけの海賊のようなものだ。

 艦隊というのは、戦略に基づいて動いてこそ怖い。


 話が逸れた。

 海軍は次の仮想敵国をイギリスとする。

 これだけ巨大な艦隊を維持する為には、相応の巨大な敵が必要なのだ。

 組織を維持するという極めて俗物臭い理由で、イギリスとの戦争を想定する。

 別に本気で戦う気も、メリットも大して無いのだが、組織維持の為に戦争計画を練る。

 この時、北太平洋と北大西洋の中間海域、つまり北米大陸の在った辺りがどのような状態になっているか、情報が全く無い為に困ってしまった。

 例えばそこが、深さ数メートルとかで喫水の深い軍艦は座礁するような暗礁海域だったなら、そこを突破して来るイギリス艦隊は無い、或いは逆に攻め込む事も出来ない。

 そうなると戦闘は専ら東南アジアからインドにかけて、となろう。

 逆に航行可能であるなら、日本はアメリカに対して行ったものと同じ警戒を、太平洋で続ける必要がある。

 何にしても情報が欲しい。


 また、農林省の宇多隆司も上司を通じて調査の必要性を訴えた。

 彼はかつて農林省水産講習所に居た時、北太平洋日本近海一斉海洋調査という総合海洋観測を企画し、推進し、自分も観測を行った。

 水産資源の問題だけではない。

 もっと大きな海洋の変化を知る必要がある。

 学術的な興味ではなく、日本の国益の為に。

 高名な地球物理学者・寺田寅彦門下である彼は、気象や潮汐も含めた総合的な視点で北米消滅を捉え、これから先日本にどういう影響を与えるか調べなければならない、そう訴える。

 宇多の上司で、日本水産学会結成にも関わった学者である田内森三郎も、北米海域の調査を訴える。


 これらの申し出は昨年の内から有った。

 イギリスからの合同調査依頼を受け、消極的だった政府に対し、これらの機関は必死に説得にかかる。

 定見の無い近衛は

「そこまで言うなら、まあよろしい」

 と許可を出し、その後急ピッチで人選と調査の為の装備が調達された。


 海軍は「筑紫」という専用の測量艦を持っている。

 しかし、昨年十一月に進水したばかりで、まだ使いものにはならない。

 軍艦は進水後に艤装し、完熟訓練を経て就役の運びとなる。

 だから別の軍艦もしくは徴用船を使わねばならない。

 白羽の矢が立ったのが、既にサイパンで観測実績のある「宗谷」であり、その時の装備がそのまま利用出来たのと、元々が貨物船で搭載量が大きい事からも最適であると判断された。

 「宗谷」に海軍水路部員、農林省水産局員、文部省気象局員、東京帝国大学の海洋学者らが乗り込む。

 調査団の責任者は小林仁海軍少将、調査団長は宇多隆司となった。

 海軍は準備が整い次第、第二陣として第六艦隊の潜水母艦隊を派遣する。

 潜水艦の航行についても調べたいのだ。

 よって小林少将は、以前所属していた潜水母艦も含む大規模な艦隊の現場指揮をする事となる。

 「宗谷」はまず、バンクーバーの在った海域を目指した。




「ここがアメリカ沖……なのか??」

 三月になり現場海域に到着した宇多は、信じられないと呟いた。

 何も無い。

 昨日までと同じ太平洋のど真ん中と、何ら変わりが無い。

 信じられないが、天測の結果、確かにかつてバンクーバー島が在った場所から三海里沖にいる。

「測量を行いましょう」

 音響測探儀の他、アナログな水深測定の為のロープ懸架、潜水夫による調査も行われる。


 北米大陸は大きく広かった。

 その跡を進む船は遅く、観測出来る範囲も狭い。

 イギリスが共同調査を依頼したのも、それが理由だろう。

 水路は軍事機密である場合が多い。

 その航路を知っているのが自分だけというのは、戦術上の優位に繋がるからだ。

 だが、そんな余裕は無い程、広大な海域がここに在る。

 敵とだって手を組んだ方がマシだ。

 実際イギリスは、大西洋側からの調査に際し、ドイツやヴィシーフランス、更に中立国スペインやスウェーデンにも協力を要請している。

 戦争を一回終わらせている事で、このような共同調査が可能なのだ。


 ただし、ソ連だけは入っていない。

 ドイツが強硬に反対し、調査を先に進めたいイギリスが折れてそうなった。


 ひと月ばかり調査を行い、何となく気づいた事がある。

「どこで調べても、水深は約45メートル。

 潮の満ち引きもあるだろうが、正確には45.5メートル前後。

 25尋ってとこだ」

「大陸の大体の面積から、どれだけの体積が消滅したか、つまり減った体積分そこに海水が流れ込み、それで海水面が下がったのだから、海水面の低下した値を元に、北米大陸が海面下どれくらいの分消滅したかを算出していた。

 誤差はあれど、平均で40~50メートルと算出していた。

 ただ、凹凸があるだろうから、深い所と浅い所が出来て、浅い所の航行が問題だった。

 しかし、どこで測定しても45.5メートル前後の数字しか出ない。

 この下は、まっ(たいら)なのだろうか?」

「この規模の陸塊が消えたなら、地震も津波も相当大きなものになる。

 しかし、確かに大きな被害をもたらしたが、実際にはもっと甚大で、下手したら国家が存続出来ない規模の津波が襲った筈だ。

 それについて説明出来ない」


 平均で約50メートルの海底。

 だが平均というのは概念的なもので、彼等はもっと凹凸を考えていた。

 例えば外周部は浅く、暗礁となるくらいなのに、中央が深く抉れるような形であったなら、海水はそこに流れ込む一方、浅い海域が緩衝となって津波の被害を減らしたかもしれない。

 だがそうではなく、考えられない程真っ平に大地が消滅した。

 これは一体どういう事なのだろう?


 宇多の疑問はイギリス側も持っている。

 調査に参加しているスウェーデンのエクマン教授は

「信じられない事だが、恐ろしい程水平に北米大陸は切り取られ、消滅したようだ」

 と言っている。

「例えば北米大陸の下にマグマ溜まりがあったが、長い年月をかけて空洞となった。

 そこが重量に耐え切れずに沈んだ。

 大地震と洪水によってアトランティスが沈んだとするプラトンの記述。

 私はそういう理由で北米大陸が沈んだと考えていた。

 だが、こんな海底の形は想像もしていなかった」


 潜水調査をして、この目で見てみたい。

 人間が潜水服を着て潜れる深さは150メートル。

「いずれ大々的に潜水夫を派遣してみよう」

 イギリスチームはそう結論づける。


「日本チームはどうしている?」

「以前はロッキー山脈の在った辺りまで調査したとの事です。

 そこでも深さは50ヤード(45.7メートル)程だそうです」


 日本隊は、宇多の提案によりバンクーバー島から400km進んだロブソン山の在ったポイントを調査する。

 この山はカナディアン・ロッキー最高峰で、高さは富士山以上の3,954メートルを誇っていた。

 しかしそこも、岩礁一つ無い海面となっており、深さは約45.5メートル。


「冷たい海だね」

 バンクーバー島付近には、以前はアラスカ海流が流れ込んでいた。

 アラスカ海流は黒潮が北太平洋海流と名を変えた後、分流して北上する暖流である。

 カナダ沿岸は、その緯度の高さの割に温暖であった。

 しかし、黒潮はもっと高緯度で北太平洋海流になり、陸地に沿って北上する暖流も無くなった。

 その結果、緯度相応の実に冷たい海になっている。


 緯度と言えばロブソン山は北緯53度に在り、この緯度の海は元々荒れやすい。

 日本は大正時代から北太平洋の気象データを有している。

 これはアメリカですら記録してなく、イギリスにしたら垂涎のものであった。

 「宗谷」から観測用の気球が打ち上げられる。

 この電波を発する気球を使った観測・ラジオゾンデのデータは、日本から知らされていた周波数でイギリスも受信している。

 イギリスには初めて自分たちで得られた、太平洋側の有意義なデータだ。

 日本にとっては、既に過去のデータがある為比較対象となる。

 そのデータを持ち帰って精査する。


 「宗谷」は元ロッキー山脈に沿って南下し、引き続き調査を続行する。

 そこには補給船が来ていて、物資の補充と、帰国する人員の入れ替えが行われる。

 補給船と遭遇したのは、4月中旬になってからだった。


 補給が終わった「宗谷」は調査をしながら、かつてのニューメキシコ州まで到達した。

 この辺りを境に、北は極端に冷たく、南は極端に暑くなっていく。

 この頃には日本も追加の調査団を出していた。

 航行可能と知った海軍は、海流の調査や、より詳細な海底地形を調べようとしている。

 数が増えた事で、「宗谷」の負担は大分軽減した。


 数が増えた分、補給船の到着も遅くなる。

 「宗谷」が次の補給を受けたのは7月を過ぎていた。

 情報に飢えている調査団の者たちは、積まれている新聞を読み、仰天する。


 そこにはこう書いてあった。


『獨蘇開戰

 ヒ總統、不可侵条約を破棄

 獨逸軍破竹の進撃』

 と。

18時に次話アップします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] Death ValleyというかBadwater(北米大陸最低点。海抜マイナス86メートル)だった場所は測量したんでしょうか。多分大抵の知識人だと「あれですよ。30年くらい前に世界最高…
[良い点] 観測すればするほど異常事態が明るみになって、耐えきれずに狂う人が現れそう(汗
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