二正面作戦
牟田口廉也中将は不快であった。
「なんか、『お前は補給軽視なんだろ』という謎の視線を感じる。
どこからか知らんが面白くないな。
自分は補給については重要だと考えておる」
「ところで中将殿。
作戦にあたり、地図は見ましたか?」
「当然みておる」
「ここに二千メートル級の山岳がありますが」
「うん、難儀な場所だね。
ここは現場の頑張りどころだよ」
(え? 現場に頑張れって?
この人、現場の苦労を何だと思ってるんだ?)
(現場の苦労も知らないで、って思ってるんだろうな。
だが、ハンニバルとて山を越えて奇襲したではないか。
無理を承知で作戦立案しろって言われるんだし、こうする他無いではないか)
なお、無理だからやめましょう、と進言する選択肢は無い模様。
昭和二十年一月、日本は二正面作戦の実施を決めた。
その内、まず南亜作戦から説明しよう。
日本の戦争目的は大きく2つ。
1つは蔣介石の屈服。
もう1つは欧州の植民地からアジアを解放する事。
この2つを同時に処理するのが南亜作戦である。
一軍をもってビルマ北方から雲南を攻め、蔣介石軍の背後を脅かす。
もう一軍をもってインド北方に進出し、蔣介石を支援するイギリスの輸送ルートを破壊する。
そしてもう一軍をもってインドに侵攻し、人民の蜂起を促してイギリスの支配から脱却させる。
全てはビルマを拠点とする。
そこでこの作戦を統括する緬甸方面軍という軍集団を立ち上げ、ラングーンに総司令部を置く事となった。
南方軍の隷下には
・雲南方面担当の第33軍
・緬甸方面担当の第15軍
・印度方面担当の第28軍
という3つの軍が配された。
それぞれは3個程度の師団と司令部付兵力とで編制される。
これに同盟軍という形で、チャンドラ・ボースのインド国民軍が参加する。
雲南方面の第33軍は、雲南省とビルマ国境付近の拉孟・騰越を目指し、そこから支那派遣軍と協力し蔣介石を挟み撃ちにする。
緬甸方面の第15軍は、イギリス軍の拠点であるインパールを打ち破り、そのままアッサム地方に突入する。
印度方面の第28軍は沿岸を進み、海軍と協力してチッタゴンを占領、そこからダッカを経てカルカッタまで達する。
兵力は日本軍の前線部隊だけで30万以上。
これに後方担当や予備戦力を含めると、60万以上の動員となる。
稼働中の陸軍航空部隊も六割をこの方面に配備する。
石油も食糧もこの方面に集める。
ここで勝てば、大戦は勝利に大きく近づくと信じられた。
ここで勝利すればイギリス軍は大きく西に後退し、東南アジアに攻撃する事も、蔣介石に支援する事も出来なくなる。
そして、ここを乗り切ればブルネイやマレーの石油生産が再開され、日本は長期に渡って軍も産業も維持する事が出来るようになる。
ここが我慢のしどころである。
国民には一時の事として、節約生活に耐えて貰おう。
兵力はまだ国内にも満州にも残っているが、物資的には根こそぎ動員と言って良いくらいであった。
「一号作戦(大陸打通作戦)に匹敵する壮大な作戦ではないか」
「当たり前だ。
これは亜細亜を解放する為、ドイツと共に行う西亜打通作戦の一環なのだから」
「一号作戦は蔣介石を降伏に追い込んだ。
その後、英国の陰謀が無ければ奴は蜀の山奥に逼塞していたのだ。
今次作戦は、その英国と蔣介石を両方打ち破るものだ。
一号作戦以上のものであっても、我々は文句は言わんよ」
「いやあ、大したものだ。
牟田口君はよく纏めてくれたものだ」
東條英機から依頼され、作戦案を纏めた牟田口廉也中将は、高評価に鼻が高い。
「この作戦を成功させる為には、物資が必要である。
ビルマに輸送船団を送るよう手配して欲しい」
牟田口は元々東部インド侵攻作戦が考えられた時、これに反対していた。
だが東條から
「そんな君だから、成功させるには何が必要かを考えられるのではないか」
と言われ、一に兵力、二に物資、三に輸送手段と回答。
結果、大兵力と大量の物資を投入する一大作戦となった。
そして、本音の部分で
「仮にビルマ方面やベンガル方面が停滞しても、雲南方面が成功すれば蔣介石を屈服させられる。
それで十分な戦果だ」
と考えていた。
まさか自分が第15軍を率いてインパールを目指す事になるとは、この時は夢にも思っていない。
彼は南方を統括する緬甸方面軍の総参謀長として、ラングーンから動かない筈であった。
この作戦は、背後にアメリカ合衆国という超強敵が存在しない事から、日本の総力を挙げて行われる事となる。
本当に背後を脅かす者が無いならば、この判断は間違いではない。
だが、まだ南アジアに専念するには危険な敵が残っている。
それがオーストラリア軍である。
イギリスはオーストラリアにも巡洋艦部隊や潜水艦部隊を置いている。
これがインドネシアの多島海を抜けて、日本占領下の資源地帯を脅かしている。
オーストラリアは、寒冷化したヨーロッパから脱出するイギリス人の居住地となる。
大戦再開により停滞し始めたが、それでも現在進行形で人口が増加している。
イギリスの民間人疎開計画は確かに遅延している。
代わりに兵士や軍属が優先してオーストラリアに移動していた。
更に大陸の戦線が絶望的と見たヨーロッパ諸国からの脱出者もオーストラリアに殺到した。
オーストラリア総督府は言う。
「移民を歓迎する。
だが、まずは家賃を前払いして貰おう。
軍人になれとは言わない。
だが、軍に協力して日本を南半球から撃退するのだ!」
オーストラリア軍は、急激に兵力を増やしている。
このオーストラリア軍に対抗すべく、ニューギニア作戦が立案された。
南亜作戦と並行して行われる、このニューギニア作戦を説明しよう。
これは大本営での議論で実施が決まった。
「ビルマ・インド作戦の為には、海軍の協力が必要である」
「承知した」
「それに先立って、最近油槽船や商船の損害が増えている。
海軍にはしっかりと対応して貰いたい」
これに海軍代表がカチンと来る。
基本的に陸海軍は不仲なのだ。
加えて、五・二六事件以降の遺恨もある。
「であるならば、そのビルマ・インド作戦は延期をするべきだ。
まずはポートモレスビー侵攻作戦であるMO作戦から先に行わねばならない」
「それは戦争を終わらせるものにならないと、以前否定されただろう。
ニューギニアを占領しても英国は痛痒を感じぬ。
しかしインドを解放されれば、国そのものが痛手を受け、戦争に勝てると。
また蒸し返すつもりなのか?」
「英豪遮断を行い、豪州の兵力を封じ込めねば、いつまでも潜水艦による奇襲攻撃は続く。
英本土よりは豪州の方が屈服させやすい。
ポートモレスビーを拠点に、豪州侵攻を匂わせてやって、豪州を戦争から脱落させる。
更に豪州にある英海軍基地を叩く事で、潜水艦そのものの活動を止める。
海軍としては陸軍のやる事だから反対と言うのではない。
インド侵攻の前に、まずは南方資源地帯と本土との間を安全にしなければならないと言っている。
順番はMO作戦の方が先である」
「潜水艦等、出て来た所を叩けば良いだろう」
「ふん、海を知らぬ陸の者の言いそうな事だ。
ただでさえ広いこの海で、海中に潜める相手を探し出す事がどれだけ大変か分からんか?」
「それをやるのが海軍の仕事であろう。
広いから出来ん? 潜るから出来ん?
海軍は弛んでおるのではないか?」
「比島の密林で、狙撃兵による被害を出しておる陸軍が何を言うか。
見つけられんものは見つけられんのだ。
それならば元より断つ他無いではないか」
「で、そのMO作戦はどれだけの時間が必要なのだ?
誰がそこを担当すると思っているのか?
海軍の兵力だけで可能なのか?」
意見がぶつかり合う。
多忙で、面倒を避けたい東條英機の仲裁で
「南亜作戦とMO作戦は同時に行うものとする。
MO作戦を実行し、海軍は豪州の英軍を抑え込んで欲しい。
MO作戦で海軍が資源地帯を安全にしている間に、南亜作戦では速やかにインドまで侵攻する。
これでどうか?」
となった。
不満もあったが、これ以上天皇臨席の場で醜態も晒せない。
陸海軍共に矛を収め、方針を了承する。
結果、MO作戦ことポートモレスビー侵攻作戦は、陸軍10万人を動員して行われる。
ポートモレスビーはオーストラリアの対岸に在る。
当然だが、猛烈な抵抗が予測される為、まずは距離のあるラバウルを攻める。
ラバウルには英豪軍が籠っている。
故にここを先に攻略しておかないとならない。
然る後に、そこを海軍の拠点とし、ポートモレスビー攻略の足掛かりとする。
ポートモレスビーを落とした後は、そこから対岸のオーストラリアを脅かす。
ポートモレスビーからは珊瑚海への進入出来る為、イギリスの移民船団を撃沈も可能だ。
一方で、蘭印から東ティモールにも艦隊を進め、英豪海軍の拠点ポートダーウィンも攻撃する。
こうしてオーストラリアに圧力をかける事で、戦争から脱落させるのだ。
臨席している大元帥こと天皇は
(少々都合よく物事を考え過ぎていないか?)
と不安を感じた。
確かに海軍の言うポートモレスビー、陸軍の言うインドを落とせばオーストラリアもイギリスも痛手を受けるだろう。
だが、それで戦争を止めるだろうか?
自分たちに当てはめて考えてみる。
北海道や沖縄を失陥したとする。
日本は戦争を止めるだろうか?
戦力が残っているなら、奪還を目指して戦い続けるのではないか?
まして、インドもポートモレスビーも北海道や沖縄のような自国国土ではない。
台湾や満州の方な占領地、戦争による取得地、開拓地であろう。
戦争を終わらせるには、どこを抑えるとかではなく、もっと別な条件が必要ではないのか?
天皇は皇太子時代にヨーロッパを旅した。
各国は本国が傷ついても、戦争をやめようとしなかった。
第一次世界大戦直後の荒廃したヨーロッパを見て、天皇は人間とは、国家とはそういうものだと見ていた。
だが、ではどうすれば戦争が終わるのか、天皇には分からない。
そして大本営において、天皇は臨席こそすれど、口を開かないのが不文律である。
不安を覚えながらも、一言も口には出さなかった。
天皇はどこか上滑りをしている感がある、戦争の終わらせ方に至る会議を、ただ眺めている事しか出来なかった。
大本営の会合には文官は参加出来ない。
決定を後から知らされるだけである。
岸信介軍需大臣は、遥かインドまで60万もの人員を動員して攻める事、オーストラリアを屈服させる為に南洋のジャングルを攻める事、それを同時に行うと知らされて、表には出さずに激怒していた。
連中は日本と周辺諸国の生産力及び備蓄について理解しているのか?
確かに今有るものを使えば、作戦は可能だろう。
成功しても、数ヶ月は苦しい状況が続く。
だが、成功すれば彼等が言うように、辛抱していれば来年からは何とかなる。
では失敗したら?
使ったものは、すぐには回復出来ないのだ。
「失敗したらどうする?」
普通この言葉を口にすると、軍人は激怒して暴行に及ぶ事もある。
だが岸信介の胆力は、これを相手に向かって言ってのけた。
当然言われた東條英機は、ムッとした顔になる。
それでも東條と岸は、満州以来の長い付き合いだ。
多少の無礼は許せる。
それに東條にも立場がある。
それは理解して貰えるだろう。
東條は返した。
「確かに君の危惧はよく分かる。
だが陸軍も海軍もやる気になっておるのだ。
これを止める事は、総理大臣といえども出来ん。
それに、陸軍も海軍も戦争を長引かせるのではなく、これで戦争を終わらせると確信しておる。
確かに勝てば戦争を終わらせられるだろう。
戦争を終わらせるのは、陛下の御意思にも沿う事だ。
であるなら、私には信じてやらせてみるしか出来んのだ」
ここに来て行政能力ではない、戦争指導というものにおける東條の非力さが露わになって来た。
おまけ:
イギリスは基本、鬼畜である。
インドが日本に助けを求めた事から、このように邪推した。
「オーストラリアにヨーロッパから移民が殺到している。
それは良い。
国力が増す事になるのだから。
だが、この乾燥した大地は利用出来る土地が、多いようで少ない。
原住民たちから土地を奪わないとならない。
だが、それに腹を立てた奴らが、インド同様日本に助けを求める可能性がある。
そうなる前に……
皆殺しだ!!!!」
かくして、ヨーロッパ内でのユダヤ人がまだマシと思われる、
イギリスによる原住民絶滅作戦が実行されていく。
ヒトラー曰く
「絶滅させる対象が違うだけで、独英は基本同じなのだ!
アーリア人らしく、劣等種族は抹殺する思考をするものである!」




