英ソ密約
この頃欧州では……
ドイツ軍がイタリア半島最後の拠点・タラントの攻略に成功し、ほぼ南方生存圏確保に成功した。
一方イベリア半島では、ヴィシー政府のだらしなさから、フランコ統領率いるスペインが善戦し、枢軸国を領内から追い出している。
ドイツは北アフリカ作戦に移りたいが、シチリア島のイタリア海軍、アレクサンドリアのイギリス海軍は強力で、中々海を渡れないでいる。
海軍が弱体なドイツは、ジェット戦闘機等空軍力で連合国軍を圧倒しようとした。
しかしイギリスも「サンダーボルト」ジェット戦闘機を投入。
互角の戦いを続けている。
故にチャーチルは、アジア方面の戦況に足を引っ張られる事を嫌がっていた。
日本の快進撃は、ソ連を利する事になった。
イギリスがソ連に対し、協力を求めて来たのだ。
ソ連はアメリカ合衆国無き今、イギリスを最も恐れていた。
彼等が今現在、最も「持てる国」なのだ。
そのイギリスが、ぶっちゃけ言えば助けを求めて来ている。
交渉上有利なのは確かなのだが、もっと重要な事をスターリンに教えていた。
「イギリスは、こちらが恐れる程には強くない」
世界帝国イギリスは、単体でドイツとも日本とも戦えるものと考えられて来た。
だがヨーロッパにおいては、イギリスに助けを求めた国の領土を全く守れていない。
東南アジアにおいては日本に連戦連敗で、シンガポールも危うくなっている。
スターリンにとって、世界革命は余り興味が無い。
それはトロツキーの方の考えだ。
しかし、敵対的資本家勢力国家に攻撃されるのは避けたい。
だから共産主義の衛星国を作って、そこを防壁としたい。
軍事的にだけではなく、経済的侵略からも、である。
この辺は日本の大東亜共栄圏と考えが重なる。
他勢力に頼る経済では長続きしない。
自勢力圏を確保したい。
これはスターリンの「一国社会主義」の延長であり、世界同時革命でソ連を守ろうというものとは異なる。
ここが落としどころとなるだろう。
なお、コミンテルンは今でも世界革命を夢見ている。
イギリスという資本主義の権化は、その標的の一つである。
むしろ、マルクスの考えからいったら、発展した資本主義は社会主義、共産主義に移行する筈だから、イギリスこそ社会主義国家になっていなければおかしい。
スターリンからしたら「勝手に頑張ってくれ」てなものだが、もしもイギリスがコミンテルンのこの行動を問題視するなら、もう潰してしまって構わない。
この組織が無くなり、世界横断で社会主義を目指すものが無くなっても、痛痒を感じないのだ。
逆にイギリスやフランスが社会主義国家となったら、きっとそちらが陣営のリーダーとなるだろう。
そうなるとスターリンの指導者的立場も相対的なものとなる。
十分に発展した社会主義国家イギリス相手に、ソ連は次第に従属的な立場に堕しかねない。
スターリンが独裁者で居続ける為には、それなりの敵が必要だ。
領土を脅かす勢力の指導者ヒトラー、経済を脅かす勢力の指導者チャーチル。
ヒトラーとは野合に成功している。
あんな不毛な東欧は、お互い不要なのだ。
もう一方の勢力とも話し合ってみようか。
チャーチルとスターリンはテヘランで会談を行う。
お互いに対し、全く親しみなど持っていない。
いけ好かないイギリス野郎、野蛮なロシアの独裁者、お互い相手を軽蔑しながら、右手では握手を交わす。
「で、イギリスは我が国に何を譲ってくれるのですか?」
「譲る?
何故連合王国が、大英帝国が貴国に何かを譲らねばならんのか?」
「では、一体何の交渉をしたいのですか?
親睦を深めるような仲じゃないでしょう?」
「簡単に言えば、ドイツと日本の背後を襲う気は無いか? そういう事だ」
「ほお?
一体何の為に?
我が国はドイツとは講和条約を、日本とは中立条約を締結しています。
あえてそれを破る気なんて有りませんぞ」
(約束破りが常連のロシアのなれの果てが、何を世迷言をほざく)
チャーチルは内心そう思いながらも、一切感情には出さない。
「先程、連合王国は貴国に譲るものは無いと言った。
奪い取ったらどうかね?
ドイツが支配する、まだ温暖なバルカン半島を。
日本が支配する満州を」
(そうして得をするのは苦境に立たされているイギリスだろ?
全く、自分たちが苦しいのに居丈高に振舞う、可愛げのない奴等だ)
スターリンもチャーチルを不快に思うが、これもまた表面上にこやかに振る舞い、感情を表に出さない。
「2年くらいだな」
唐突にチャーチルが話す。
「何の事だね?」
「日本がオランダ領東インドと、我々から奪ったブルネイで石油を生産し始めるまでの時間だよ。
それと、貴国において飢えが表面化し始める時期だな」
「我々が飢餓?
何の事だね?」
「貴国の穀倉地帯は壊滅状態だ。
東方に農地を求めているのは分かっている。
その東方において、貴国は日本相手に何かを待っている。
まあ、予想出来るからそれが何かは言わんでおこう。
だが、待っている間に貴国の食糧は、消費量が生産量を上回る。
あとは備蓄を吐き出すだけだ。
そうなる前に、満州でも中国でも手に入れて、農業をしたいと思わんのか?
言っておくが、種を撒いても数ヶ月待たないと食糧にはならんのだぞ」
(知っておるわい、そんな事)
チャーチルの偉そうな説明に、今度はやや不機嫌な表情を見せるスターリン。
これはそういう表情を見せて良い局面だからだ。
「ソビエトの事はソビエトが決める。
勝手にソビエトの食糧事情を邪推する事は勝手だが、ソビエトのやる事に口は出さんで欲しい。
知っているかね、それは内政干渉というものだよ」
「いやいや、アドバイスをしているに過ぎんよ」
「ならば我々からも貴国にアドバイスをしてやろう。
ヨーロッパの陸と空でドイツ、アジアの海で日本、貴国には荷が重いのではないか?
どちらかと和睦する事をお勧めするよ」
(ふん、本心はそんな事して欲しくなく、連合王国がドイツ・日本と共倒れになって欲しいと願っている癖に、どの口がそんな事を言うのか)
チャーチルも、スターリンの反撃の毒舌に表情を硬くする。
実際に不快ではあるが、それ以上に「そんな事を言われては不本意だ」という演技をして、本題に入れるから表情を作ったのだ。
「インドの事かね?
色々と不平分子に肩入れされているようだが、心配は無用だよ。
我々がアジアで負けているのは事実だ。
だが、それこそが勝利への道なのだ。
説明したいが、良いかね?」
(それが目的だったのだろう、食えない爺いだ)
「そうかね。
興味深い。
是非聞かせて貰おう」
先程の2年という発言と合わせ、チャーチルはスターリンに戦況を説明する。
日本は自国で生産出来ない資源を食い潰しながら戦争をしている。
激しく戦えば戦う程、消耗もまた大きくなる。
日本は2年程耐えれば良い。
そうすれば、撤退時にオランダ軍やイギリス軍が破壊した油田設備を復旧し、石油を手に入れられるだろう。
現地を独立させ、資源を優先的に輸出させるだろう。
今は軍政だが、彼等は本気でアジアを解放する気である。
数年現地人を教育すれば、独立も実現するだろう。
だが、それは1年後が一番苦しい状況に陥る事を意味する。
物資を消耗していき、それが尽きかける時期。
そして、まだ生産が本格化していない時期。
このタイミングが日本を打倒する最適の時期である。
それを早める為には、日本を激しく戦わせるのが一番だ。
インドに来たいのなら来させてやろう。
そこが彼等の墓場となる。
(そんな上手くいくものか?)
スターリンが疑問を覚えた時、間髪入れずにチャーチルが言った。
「こんなに上手くいくとは限らんのだ。
特に貴国の動向次第でな」
ここからが本題である。
「貴国は日本に石油他、資源を輸出しているな。
その目論見も貴国の思うようには運ばんだろう。
日本が勝ってしまえば、ただのサービスで終わる。
そして、日本は本気でアジアの植民地を解放する気だ。
そうなると、共産革命は起きんぞ。
強化された日本が南方から戻り、再び満州に居座るだろう。
それに勝てるか?
勝てるんだろうな、ドイツに比べ、日本の陸軍は弱いのだろう。
侮れはしないが、ドイツ程の恐ろしさは無いだろう。
だが、長引けば長引く程、貴国も食糧を軍で消費し尽くすだろう。
飢えてから農業を始めても意味が無い。
分かるかね?
貴国が日本を支援するのは勝手だ。
だが、それが貴国にとっての仇となる事も想像した方が良い」
確かにスターリンにとっても、日本の快進撃は計算違いであった。
もっと苦しみ、どんどん弱体化していくものと見ていた。
しかし、現在のところ消耗無しで占領地を拡げている。
そして日本が衛星国を大量に作ってしまったら、手に負えない存在になる。
日本軍の装備は大した事が無いという情報を手に入れている。
だが、日本の同盟国はドイツなのだ。
日本が資源地帯を手に入れ、そこで得た資源をドイツに輸出し、代わりにドイツの優れた兵器を輸入する。
日本は技術を手に入れ、ドイツは資源と食糧を確保する。
それが満州に満ちた時、満州をあっという間に手に入れ、中国にまで共産主義衛星国を拡げる構想は破綻する。
資源と食糧を得たドイツはヨーロッパを完全に支配下に置き、やがてソ連再侵攻可能な状態に復活するだろう。
日本を長く自由にさせるのは、ソ連にとって不利になるという事だ。
スターリンは拍手しながら問う。
「実に、聞くに値する情報であった。
つまり、来年我々ソビエトが日本と手を切って、アジアに侵攻する事が両国にとって望ましい。
そう言いたいのであろうな。
で、イギリスはソビエトと日本を戦わせ、何をソビエトに提供するのかね?」
「最初に言っただろう。
何故連合王国が、大英帝国が貴国に何かを譲らねばならんのか?」
「別にソビエトは大日本帝国と戦う必要は無いのだ。
今だって、我々は資源を売った見返りとして、日本から大量の食糧を購入している。
この関係を深めるという選択肢もあるのだぞ。
確かに満州を手に入れられないのは厳しいが、日本が代わりに耕作し、我が国に引き渡すのなら何の問題も無い。
敢えて日本と事を構えさせる以上、日本がもたらす恩恵以上のものが無いと、虫が良い要求というものだ」
(強欲なロシア人が、足元を見おって……)
スターリンは正確にはグルジア人だが、細かい事は置いておく。
チャーチルも、ここが落としどころとして、突っ張るのを止めた。
「満州、中国、朝鮮半島の支配権を認めよう。
念願の不凍港が手に入るのだ。
嬉しかろう?」
「それは我々が戦って勝ち取らねばならぬものではないか」
「分かった分かった。
食糧と、貴国でも手に入らん資源を輸出してやろう。
あとは我が国の産業技術、軍事技術でどうだ?」
「悪くない。
だが、肝心なものが無いな」
「何だ?」
「日本本土だ」
(この強欲者が。
あそこは貴様らを陸地に封じる蓋だ。
そう簡単に渡すわけがないだろうが)
そう思いつつ、チャーチルは涼しい顔で
「貴国が取れたなら、な。
言っておくが、日本は貴国と陸続きではないぞ。
御自慢の戦車部隊も、海峡を渡る事は出来んのだぞ」
(それくらい知っておるわ!
一々厭味な野郎だ)
スターリンも感情を仕舞い込んで、
「では、我々が渡海出来て、占領したなら日本の領有を認めるわけだな」
と返した。
(やれるものならやってみな)
(やれんとでも思っているなら、我々を甘く見た報いをくれてやろう)
両首脳はそう思いながら、合意の握手をする。
更に深く詰めていく部分はあるが、大筋で合意を得た。
(これで日本の継戦能力を削る事が出来た。
あとは我が軍に、インドで日本軍を撃破して貰うだけだな)
日本を破るには、ソ連が空気を読まずに物資支援をしない状況を作る事である。
石油とかが十分なら、日本は補給をしっかりしてインドまでやって来るだろう。
1年後にソ連参戦、多分チャーチルが言わずともスターリンはそうしたに違いない。
だが、自分たちですら計算違いを犯したのだ。
スターリンが日本の実力を錯覚し、しばらく様子見に転じる危険性はあった。
情報共有の必要があった。
かなり譲歩をしたが、これでソ連は日本の実力を正確に把握し、予定通り来年のいつか日本を攻めるだろう。
それで十分だ。
ソ連が下手にイギリスのインド支配を崩せるなら、と野心を持って日本を全面支援する、なんて事をさせなければ十分なのだ。
チャーチルは外交成果を得て、本国に帰還していった。
おまけ:
チャンドラ・ボースに聞きました。
「ソ連と協力していますが、将来はインドを共産化するのですか?」
回答は
「私はインド独立の為なら、悪魔とでも手を組む。
用が済んだら悪魔は追い払うのみだ!」
結果、インド国内がドイツ派やらソ連派やら日本派やら、宗教や民族の違い以上にごちゃごちゃになって来てるのですが、良いのですか?
「まずは独立だ!
後の事は独立が成ったら考える。
言っただろう、独立の為なら悪魔とでも手を組む、と」




