対英開戦
陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」の班長・秋丸次朗中佐は、上司である岩畔豪雄大佐に呼ばれた。
「北米大陸消滅から今まで、世界情勢の分析をよくしてくれた。
その手腕を、今度は現場で発揮して欲しい」
「……つまり、我々の研究班はもう用済み、という事ですか?」
「元々対米戦を見越しての研究班だったのだ。
事態が事態だけに、継続研究して貰ったが、本来は数年前には終了していた。
だから、君の転属は時期が遅れただけで、既定路線だったと思って欲しい」
秋丸中佐は、新合衆国フィリピンを担当する軍に経理部長として赴任する。
また一人、見通しを持つ者が中央を離れた。
「君は本邦においては過小評価され、海外からは過大評価されているようですナ」
岸信介が松岡成十郎の置かれている立場を説明する。
松岡は親英派と見られている。
本来秘密な筈の、御前会議前の関係者会合の内容が、いつの間にか外に漏れていた。
岸にとっても腹立たしいのだが、関係者の中に口が軽い者が居る。
お山の大将ぶりたい者が、配下の者に極秘情報を漏らし
「俺はこんな情報に接する事が出来る、重要な位置に居るのだぞ」
と威張ってみせる事が、実に古くからあった。
だからこそ、松岡と秋丸中佐が唱えた「味方するならイギリス」という路線が、あっさりと裏工作でひっくり返されたのだ。
そして陸軍軍人の秋丸は兎も角、初期から日本の異常気象対策に関わって来た松岡は
「チャーチルの手先。
詐欺師の片棒担ぎ。
有りもしない気候変動とか言い立てて無駄な土木工事をさせる小悪人」
という評価になっていた。
一般人は知らないし、新聞も次官に過ぎず、官僚であって政治家でも無い為、スキャンダルとしては面白くないのか記事にはしていない。
知られているのは、国粋主義右翼集団である。
彼等は
「白人の尻馬に乗る国賊に天誅を」
等と息巻いていると言う。
周囲は気に留めていないのに、暗殺集団からは標的にされる。
だから危険なのだ。
同様の理由で、田中角栄は理研の大河内正敏によって朝鮮に逃がされた。
秋丸中佐ですら現場部隊に転属させられている。
「岸さんは、異常気象はチャーチルの出鱈目だとは思っていないのでしょう?」
「勿論だ。
政府の中で、それを疑っている者はおらんよ。
まあ、温度差はありますネ。
欧州程激しい変化じゃない分だけ、見積もりを大きく見る者と小さく見る者がいますヨ。
ですが、問題は政府の中じゃないんです。
外の馬鹿どもなんです」
珍しく岸が「馬鹿」等と直接的な悪口を言う。
彼は、自分の発言が外に漏れて失脚する事が無いよう、言葉遣いには気を付けている。
故に「味方するならイギリス」と決めた事前会議においても注目されるような発言はしていなく、それが漏れた後でも岸を狙う者は居ない。
一方でイギリスとソ連は随分と松岡を重く見ているようだ。
イギリスは蘭印からの日本軍撤退交渉に
「ミスターマツオカを同席させよ」
と外務省に言って来たという。
それで通敵を疑い、内務省からの申し出でイギリス大使館から商工省の松岡への電話は繋がないようにしていたと言う。
(道理で最近、サンソム氏からの接触が無いわけだ)
裏で進行していた事態に漸く気づいた。
そして、あの事前会議の内容は漏れていて、ソ連にも伝わったようだ。
「我が国としては友好国日本に資源を売る事を歓迎しています。
しかし、この交渉の責任者であるマツオカ氏は、我が国を警戒しているようです。
資源交渉の担当から外して貰えれば、我々は更に歓迎しますよ」
このように申し出たと言う。
イギリスから高く評価されている部外者の松岡を、外務省は面白く思っていなかった。
だからソ連からの申し出は、渡りに船と言えた。
外務省では親英派の松岡次官を外交に関わる部署から外せと、岸や東條総理に働きかけていた。
岸は
(随分と高く評価されたものだ)
と半ば呆れながらも、ならばこそこのような人材をむざむざと殺させる気も、閑職に回す気も無かった。
だから栄転という形で、異常気象対策だけに専念させる。
更に大臣に格上げする事で、身辺をしっかり守らせる事が出来る。
イギリスとの関係が切れてしまうが、やむを得ないだろう。
松岡を気に入っている東條総理も、手放す気は無いようで大臣就任を「良き事」と言った。
(しかし、イギリスは兎も角、ソ連がここまで警戒するのは何故だろう?)
岸は、ソ連が松岡について詳しく知っている理由として、自分のスタッフが漏らしていると気づいていない。
岸のスタッフは、松岡とよく会合している。
松岡は常日頃から、独占状態に陥ると経済的に支配されやすくなる、だからイギリス一本被りは危険だと説いていた。
岸の仲間たちも、もっともな事だと頷く。
それを彼等は、コミンテルン関係者に
「こんな考えをする奴が居ましてねえ、どうです、優秀でしょう!」
てな感じで話していた。
重要人物とか要注意人物としてではない。
単なる雑談の一環に過ぎないのだが、それで政府における経済の方針に関わる人物の情報を漏らしているのだから呆れたものだ。
日本のコミンテルン関係者は、政府要人の情報の一部としてモスクワに送っていただけだが、受け取ったソ連の情報機関が
「この男は今は影響力がそれ程無いが、頭が良い分だけ危険かもしれない。
将来の為にも手を打っておいて良いだろう」
と判断した。
これから先、日本のトップには目の見えない、先が見通せない者で固めて欲しいのだから。
そんな訳で、松岡は商工次官から国土開発大臣に任命される事になる。
商工省自体が、これから先は軍需省に改組される予定である。
「では、英国との戦争は……」
「まだ決まっていませんヨ。
ですが、有ると見越して動く事になりました。
君としては避けたい事態ですよネ」
岸としても不満がある。
彼が望んで戦争をするなら、対英戦だろうが対ソ戦だろうが文句は無い。
ちゃんと計算がなされているのだから。
だが今の流れは、明らかになし崩し的なのだ。
何となく流されて、亜細亜解放の戦いを行う!方に動いている。
あいつが悪い、誰それが誘導している、というなら対処可能だ。
特高警察を事実上支配している岸と、憲兵隊を支配している東條英機が手を組んで、そういう者を捕縛してしまえば済むのだから。
だが今は、一体誰をどうすれば流れが止まるのか、把握出来ない。
岸も関係が深かった大川周明とか、血盟団の井上日召とかが影響を与えたが、初動なら兎も角今は彼等をどうこうしても意味が無い。
既に流れは彼等すら超えて、普遍的なものになってしまった。
いつの間にかイギリスの肩を持つだけで「非国民」と呼ばれる風潮となっている。
政府では誰もが、無駄としか思えない対英戦を避けようとしている。
なのに、その政府内でも「対英戦は避けられないかもしれない」と、諦めにも近い空気が漲り、戦争になった場合はどうするかの話し合いすら行われていた。
「一年も経たない内に、どうしてこうなったのでしょう?」
松岡は言っても埒が明かない事をつい口にしてしまう。
岸がその事を指摘した上で
「追及してもどうにもならない事より、これからの事ですよ。
君の国土開発省は、表向き戦争協力の為に働きながら、異常気象対策を行う事になります」
そう伝えた。
「東亜における異常気象はチャーチルの出鱈目」
そういう陰謀論が蔓延っている中、大っぴらにそれを理由とした公共事業は出来ない。
そこで「軍需工場稼働に必要な電力を確保する為、水力発電所を造る」「兵士、兵糧、弾薬を速やかに運搬する為、道路や港湾を整備する」「海洋国家である英国艦隊の襲撃に備えて、海上要塞と成り得る防波堤を築く」という修辞を駆使するのだ。
「表向きそうするのは分かりました。
しかし、表向きが実際を支配するのではありませんか?
発電所の設置が防災より上位に来る。
防波堤は実際に台風が来やすい場所よりも、主要港湾を優先される。
そういう事になるのではないですか?」
「……やむを得んだろうナ」
「予算も、戦争をするとなればそちらが優先、防災国家への改造は後回しに……」
「する事になるだろうナ……」
岸も歯切れが悪い。
そして表情的に
(これが精一杯なんだ、察しろ)
と語っている。
官僚で、保身能力には長けた松岡もそれに気づき、これ以上は口にしなかった。
与えられた中でどうにかする他無い。
岸も松岡も気づいていないが、この「与えられた中でどうにかする他無い」という思考こそ、今の状態を招く日本の悪癖であろう。
その流れが決まったなら、変えようと抵抗するのではなく、その枠の中で最善を尽くす。
有能な人材が無能者が引き起こす失態こそ防ぐが、大筋として全く改善となっていないのだ。
故に、松岡が現在の権限の中で必死に異常気象対策をすればする程、戦争の為の準備を整えていく事になる。
岸が統制経済の為の政策をすれば、戦争は方便ではなく、現実のものとなっていく。
全くもって、戦争に賛成していないし、自分の権限の及ぶ範囲で全力を尽くしていても、それが良い方に向かないのであった。
こうして松岡がイギリスとの関係を断たれ、国の意思決定には関われない実務一本の省庁に責任者として職務に精励する内に、外交の方がのっぴきならない状態に入っていった。
一方、皮肉な事に独断専行の本場・関東軍がこの時期に鳴りを潜めているのは、イギリスとの戦争近しという雰囲気からであった。
いつもなら
「本国はソ連に対する警戒が足りん!」
と独断専行で何か策謀を仕掛けるところだが、
「どうやら英国と南方でやり合うようだ」
というのが伝わると、不本意ながらも守りを固め、部隊の抽出にも黙って従うようになる。
ここで余計な事をすると、南でイギリス、北でソ連と両面に敵を抱える事になる。
如何に手柄を欲する連中でも、それは流石に危険過ぎると判断した。
彼等は満ソ及び満蒙国境を警備してつけ入る隙を与えねば良い。
支那派遣軍は、蠢動を始めた蔣介石軍を叩く支度をする。
こうしてイギリスからは
「日本は戦争する事に踏み切ったようだ」
としか見えなくなり、イギリスも最後通告に出る。
既にシンガポールに到着した戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「ハウ」及び巡洋戦艦「レパルス」「レナウン」の4隻に「戦争を前提とした作戦行動を行うべし」という指令を出した。
マレー軍、ビルマ軍、そしてインド軍が防衛体制に入る。
そしてついに
「1944年10月31日までに日本陸海軍はオランダ領東インドの占領を放棄し、撤退の意思を示せ。
この意思が示されない場合は、連合王国は大日本帝国に対し宣戦を布告するものである。
理性ある対応を望むものである」
という要求を出すに至った。
チャーチルにはいまだに
「極東の事なんて放っておけ」
という気分があったが、シンガポール、オーストラリア、香港いずれも
「黙っていても日本の方から攻撃を仕掛けて来る可能性が高い」
と言って来た為、欧州アジアでの二正面戦争は厄介極まるが、相手に攻められるよりは、こちらが攻撃的意思を示して屈服させる、と切り替えていた。
そしてこれに時を同じくして、新合衆国のマッカーサー元帥も
「東南アジア地域における日本の侵略行為を批難する。
直ちに半年前の状態に戻さざる場合は、新合衆国も日本に対し適切な行動に出るであろう」
と言って来た。
更に蔣介石軍が、大々的に動き出す。
今まで「支那事変」と言ったように、日本側も蔣介石側も公式な宣戦布告はしていなかった。
だから「事変」であり「戦争」では無かった。
だが今回、蔣介石は正式に宣戦布告を行い、重慶や長沙方面に兵を進める。
自分から蘭印に侵攻しておきながら、日本は「イギリスの罠に嵌まった」と何故か被害者意識に囚われていた。
余りにもチャーチルの手際が良過ぎたせいでもある。
最後通牒と共に、一斉に周囲が動き出して包囲を狭めて来た。
危機を感じた政府は、御前会議を開く。
「座して死を待つより、死中に活を求めて積極的に打って出るべし」
皇族で海軍長老の伏見宮前軍令部総長がそう言ったとされる。
それを海軍の意見として会議に伝え、ついに積極的賛成少数、
「仕方がないか」
「やむを得ず」
「ここに至りては打つ手無し」
という思考停止の元、対英戦争、香港・シンガポール攻略作戦が急遽決められた。
作戦発動は10日後、イギリスの言う回答期限直後、昭和十九年十月三十一日。
後にこの日は「破滅の始まりのハロウィン」と呼ばれるようになる。
おまけ:
イングランド「10月31日はハロウィンだけど、11月5日のガイ・フォークス・ナイトの方が大事だね」
スコットランド・北アイルランド・ウェールズ「何言ってんだ? 盛大にやろうぜ!」
ラテンアメリカ「次の日の『諸聖人の日』が休日なのだ」
日本「単なる火曜日ですが、何か?」




