ABCDHNP包囲網
海軍は相当におかしくなっていた。
北米大陸消滅以降、大幅な艦隊削減を求められた。
それをきっかけに艦隊派と軍縮派(条約派)の抗争再燃。
一号作戦における現場の暴走と、それを処分した時の世論の反発。
一号作戦の現場暴走時、責任無しとした司令官の子息が暗殺される。
そして五・二六事件での大恥と、若手の国粋主義的な暴走。
度重なる逆風で
「どうすれば良いと言うのか!」
と自暴自棄になっていた。
海軍の名誉を回復する為には、華々しい戦功が必要である。
いつしかそういう気分が、佐官級以上に蔓延していたのだった。
イギリスからの禁輸措置に、松岡商工次官は頭を抱えた。
こうなる事は分かっていた筈だ。
そして、アメリカ合衆国が無く、そこからの輸入が消えた為、日本は産業維持の為にイギリスやその植民地からの輸入に相当依存をしていた。
アメリカ合衆国が無い分、余計に。
鉄やボーキサイトは満州からの輸入が可能だが、熱帯にしか生えていない生ゴムや、そちらが生産地の金属、そして何より石油は代替が効かない。
「石油は蘭印から得られるが、それは再来年以降になる。
それまでの間、備蓄で何とか……」
「なりません!
アメリカ合衆国が在った時よりも、石油輸入量は減っていて、備蓄に回せる程潤沢では無かったのです。
イギリスからの輸入量はアメリカ合衆国から程ではなく、産業に回すだけなら十分ですが、大規模な軍事活動をしたらあっという間に消費してしまいます。
今後石油を止められたら、早ければ来年前半には干上がります」
イギリスはそうなる事を見越して、輸出量を調整していたのかもしれない。
それを今言っても始まらないが。
岸信介と松岡は、産業の為の必要量と現在の備蓄量とを照らし合わせ、ため息をつく。
「経済学で、独占市場では売る側に決定権を握られるとなっています。
現在の日英の関係がまさにこれです。
自分はこうならないよう、手を打ちたかったのですが」
「それを今言ってもどうにもならんでしょ。
何か他の手は有りませんかね?」
岸も深刻さから、いつものちょっと語尾にアクセントをつけて相手をからかうような口調が出て来ない。
「……ない事は無いですが、かなり危険です」
「言ってみたまえ」
「ソ連から輸入する事です」
「う、うーむ……」
危険である。
純軍事的に言えば、敵の可能性が高い国に自分の苦境を知らせる事になる。
「日本は石油が無くて動けない」
と知れば、すぐにでも満州に攻め込んで来るかもしれない。
松岡は更なる危険を先に見る。
イギリス以上に、ソ連は依存してはいけない国なのだ。
イギリスは資本主義の範囲で物を判断する。
儲けになると分かれば、手のひらは返す。
一時的に敵対しても、例えば全面的に屈服して要求を呑めば、それなりに紳士的に対応してくれる。
だが、ソ連相手だとそういう紳士的な態度を取るかなんて分からない。
彼等は一回の自分たちの譲歩をネタに、どんどん相手に対価を要求し、最終的には経済的な支配に留まらない可能性がある。
ゆえに、松岡商工次官に求められたのは
・決して弱みを見せず
・ソ連につけ入る隙を与えず
・必要量を安値で購入する
という無理難題であった。
だが、ソ連はあっさりと日本に資源を売ると約束した。
決して安くは無いが、資源確保に走り回る商工省や、民間の商社にとって助かる事に変わりは無い。
外務省では、対ソ友好関係を築いて来た自分たちの成果であると胸を張る。
だが世の中甘くは無い。
よく言うだろう、「無料より高いものはない」と。
共産革命において、その波及に対して2つの考えがある。
世界革命と一国社会主義である。
ロシア革命が、すぐにヨーロッパに波及して各地で無産階級革命を呼び起こす、そう期待したのはレーニンである。
元々、マルクスの友人で協力者のフリードリヒ・エンゲルスが
『共産主義革命は、決してただ一国だけのものでなく、全ての文明国で同時に起こる革命になるだろう』
と著作『共産主義の原理』で述べていた。
これは「発展して行き詰まりに達する資本主義から、共産主義に変わるのは必然」という歴史観から、同じように発展していく欧米諸国では同じ頃に限界が訪れ、同じように歴史の必然から共産革命を起こすだろうとしたものである。
これを発展させたのが、レフ・トロツキーという男で
「ロシアだけで共産革命をしても、ヨーロッパの富裕層からの反動で潰しに来られる。
ロシアの共産政権が長続きする為には、こちらから働きかけて、ヨーロッパにも共産革命を起こしていかねばならない」
という『永続革命論』である。
世界同時革命を目指し、永続的に革命を起こし続ける。
レーニンはこのトロツキーの考えに、当初は批判的だったが、次第に賛同していった。
これに対し、スターリンは
「革命は一段落したのだから、国内の事を放って他国に革命を輸出するより、まずは国内を固めよう」
と主張する。
やがてこれは「世界革命が無くても、ロシア一国でやっていける」とする一国社会主義と呼ばれるようになる。
トロツキーは
「革命を輸出するというより、ヨーロッパ各国にも共産国になって貰わないとロシアが困る。
ロシアは遅れた国だ。
共産革命を起こし、同志としつつ、先進地域の優れた思考を取り入れよう。
それによって遅れたロシアだが、飛躍的に発展する事が出来るだろう」
と考えていて、トロツキーとスターリンは激しく対立する。
一国社会主義を説いたスターリンだが、決して革命の輸出に反対では無い。
彼は「ロシア一国でも社会主義国家建設は可能だ」とする一方、「国外の富裕層からの反動はある」と切り離して考え、これから守る為に共産主義国の衛星国を持つ事は望んでいた。
この話をしたのは、ソ連とコミンテルンの関係及び戦略が、日本に資源を輸出させたからである。
コミンテルンは、元々世界各国の社会主義者、労働者が国の枠を超えて集結した第1インターナショナル、第2インターナショナルの後身として生まれた。
「皆で社会主義運動をやっていこう」という第1インターナショナル。
「運動の支援とかでなく、政治進出とかで社会主義を実現しよう」という第2インターナショナル。
両方とも世界革命の考えに基づき、世界で横断的に活動を行っていた。
これに対し、実現した初の社会主義国家ソビエト連邦成立後、その呼び掛けで結成された第3インターナショナルことコミンテルンは、レーニン時代は「世界各地の革命を支援しよう」という考えで活動した。
ソ連は資本主義の各国と外交を結ばざるを得ない。
だから世界革命への動きはコミンテルンが担当しようという訳である。
しかし一国社会主義を掲げるスターリンに交代した後は、ソ連の外交を各国で擁護するものに役割が変わる。
更にムソリーニやヒトラーの台頭後は、反ファシズム闘争が役割となる。
そんなわけで、コミンテルンは
・ファシズム勢力である大日本帝国の打倒
・世界革命の一環で、日本を標的とした共産革命の実行
・スターリンの政策を支援する為、邪魔なイギリスの弱体化
という理由で、より日本を南方に深入りさせる為、石油の輸出を提案した。
スターリンは基本的に、トロツキーの考えに近いコミンテルンを好んでいなかったが、ヨーロッパ側の劇的な寒冷化に伴い、極東に軸足を置く以上、日本とイギリス双方の排除に異論は無かった。
更にスターリンは、日本海軍の壊滅を考える。
それはソ連極東艦隊では無理だ。
戦力が違い過ぎる。
イギリスやハワイに居る旧アメリカ合衆国艦隊にぶつけるのが一番だ。
中国の兵法でいう「借刀殺人の計」、他人の戦力を使って敵を潰すのだ。
これの二重版、「イギリスを使って日本の艦隊を潰す」と「日本を使ってイギリスを東洋から駆逐する」を考えていた。
強大な日本の艦隊が南方で消耗し尽くせば、ソ連は邪魔者無く日本海やオホーツク海を渡って日本に侵攻出来る。
更にもっと上手くいけば、燃料不足で動けなくなった日本の艦艇を鹵獲出来るかもしれない。
戦利艦として日本の艦艇を得ても良い。
どうせ敗戦後の日本に、高額な賠償金を支払うだけの国力は無いのだから。
潰し合っても良し、ソ連の石油依存にさせた上で、適当な時期に輸出を止めて動けなくするもの良し。
イギリスだって、独ソ共倒れを狙って双方に食糧を売り、戦争継続可能な状態にし続けた。
これの逆をソ連がやったって良いのだ。
「打って良いのは、打たれる覚悟がある奴だけだ」
こちらに対し共倒れを仕掛けた以上、共倒れさせる策謀を逆に仕掛けられても文句は言えまい。
「貴国と我がソビエトは友好関係にある。
資源輸出を制限するものではない」
スターリンの言葉として、モロトフ外相は佐藤尚武駐ソ大使にニコニコとしながら伝えた。
そして
「代わりと言ってはなんだが、最近満州で貴国の軍の越境が相次いでいる。
これを厳に謹んで貰えれば有難い」
と交換条件をつけ、余りの気前の良さから疑われないようにもした。
関東軍はいまだに気を抜いてはいなく、ソ連に対し少数の強硬偵察部隊を出していたのだが、外務省からの猛抗議を受けた陸軍が「慎むように」と指示を出す。
それに素直に従う関東軍では無かった為、陸軍省では配置換えをしてこれに対処する。
つまり、関東軍所属の部隊を引き抜き、南方に回したのだ。
ソ連はこんな事までは計算していなかったのに、日本側が勝手に関東軍を弱体化させる。
ソ連から石油を得られる目途の立った日本は、俄然強気となった。
イギリスの猛抗議も無視し、蘭印各地の占領を拡大する。
ついにイギリスは最終段階一歩手前の状態に移行した。
それは新合衆国(フィリピン、ハワイ)、オーストラリアとニュージーランドの海軍と連携し、南方から日本を撤退させる圧力をかけ始めたのだ。
そして、堂々と蒋介石をシンガポールに招いて協力関係構築を報道させる。
「東インドから手を引け。
さもないと、蔣介石に肩入れしてまた戦争を起こさせるぞ」
という脅しである。
蔣介石の帰国後、中国各地で小規模ながら日本軍や日本人居留地への襲撃が起こり始める。
日本の新聞は、それぞれの国の頭文字から「ABCDHNP包囲網」と呼んで危機感を煽った。
A:Australia(豪州)
B:Britain(英国)
C:China(支那)
D:Dutch(蘭国)
H:Hawaii(新合衆国布哇)
N:New Zealand(新西蘭)
P:Philippines(新合衆国比律賓)
である。
多分に語呂合わせだが、太平洋方面でぐるっと包囲されたのが分かる。
(これは極めて危険だ)
松岡はそう感じる。
彼は紳士的に付き合えるイギリス相手でさえ、依存状態になれば危険であると訴えていた。
これがソ連相手だと尚更危険だろう。
ソ連が資源を売ってくれるように関係各所に手配したのは松岡である。
それは急場を凌ぐ為のものだ。
これが恒久的になっては、イギリス以上に危険であろう。
松岡はその考えを岸に伝える。
だが新聞報道に「ABCDHNP包囲網」の文字が躍ってから数日後、松岡は岸に呼び出される。
「残念だが、君は商工次官を辞めねばならない。
代わりに新設される国土開発省の大臣に就任する予定だ。
いや、決定と言って良い。
これは君が幹事をしている異常気象対策研究会の拡大発展版だ。
引き受けてくれますネ?
いや、引き受けざるを得ませんヨ」
単なる栄転なら「残念だが」とは言わない。
「おめでとう、君は明日から大臣です!
いやあ、僕と同格になりますネ!」
なんて機嫌良く言ってくるだろう。
「もしかして、自分が英国と近過ぎるから、資源獲得とかで相手と接するのを好まない。
そういう事なのでしょうか?」
松岡は聞いてみた。
岸は無表情で答える。
「その側面も無いわけではありません。
ですが、より重要な事は君の命を救う為なんですヨ。
君、自分が思っているより危険な状態にいます。
大臣として身辺の護衛も付けないと、本当に危険ですネ」
岸は松岡を取り巻く状況について話し始めた。
おまけ:
日ソコミンテルンの違い。
日本「資本主義打倒だ!」
ソ連「そうだな、そして旧支配勢力の打倒だ!」
日本「地主、財閥、軍や治安官僚を倒せ!」
ソ連「そして次は天皇も処刑だ!」
日本「え? 天皇陛下は残すけど?
何言ってんの?」
ソ連「え?」
日本「え?」
…………
ソ連「それは兎も角、軍の中にも協力者を作り、逆襲をするイギリスに備えないと」
日本「軍は解体して、国防だけの赤軍を作る」
ソ連「じゃあ、ソ連の代理としてイギリスと戦う役目はどうする?」
日本「え? 何それ?」
こっちもこっちで一枚岩ではない。