日本の冬、欧州の冬
1940年11月、タイ王国はフランスに奪われた旧領(カンボジア、ラオス)回復を目指し、フランス領インドシナに軍を進めた。
日本は親独のヴィシー政権の樹立を受け、北部仏印に進駐している。
もう必要が無くなった為、日本は南部仏印までは侵攻する気が無い。
資源は再度輸入出来るようになったからだ。
だが、その詳しい経緯までは掴めないタイは、日本が南部仏印にまで侵攻すると、旧領は日本占領下に入り、領土要求しにくくなると考えて行動していた。
外交巧者のタイであるが、南国であり、太平洋や大西洋と面していないだけに、日英の事情は掴めない。
第二次世界大戦は終わったような雰囲気となっている。
ドイツでは兵士が東部戦線に移動しているが、戦闘は行われていない。
イタリアがギリシャに向けて侵攻を始めた。
しかしヒトラーは
「やりたいなら勝手にどうぞ」
という態度を取っている。
イギリスとの講和が成った以上、仮にギリシャにイギリスが味方し、イタリアが叩きのめされたとしても、そちらの方面から自国が攻められる事は無い。
フランスを屈服させ、イギリスと講和し、アメリカが消滅。
ヒトラーにとって倒すべき相手はソ連だけである。
9月に発動した北アフリカでのイタリア軍の行動も、これ以上イギリスと戦う必要も無い為、外交ルートを使って停戦させた。
イタリアは全力をギリシャ戦に注げる。
であるのに、意外な事かやっぱりイタリアだからなのか、孤立無援のギリシャ軍にエピルスの戦いで敗北してしまう。
その後ムソリーニは司令官を罷免し、新司令官と6個師団を増派する。
それでも勝てず、それどころかギリシャ軍によるアルバニアへの逆侵攻を許してしまう。
「まったく、何をやっているのか!」
ヒトラーはイラついた。
あんなのが同盟国だと国際的にちょっと威厳が無い。
(いっそ介入するか?)
そうも思ったが、イギリスの動きが丸で無い。
口先でイタリアに対し参戦を仄めかすくらいで、ドイツには
「我が国は一切介入しないから、貴国にも中立を期待する」
と使者を送って来た。
(イギリスの動きがおかしい。
アメリカが居なくなったくらいで、古くから大陸の戦いに干渉して来た国が大人しくなるものか?)
ヒトラーはそう疑問も覚えるが、それでも彼は雪解けと共に発動する「ソ連侵攻作戦」の準備で忙しい。
1941年3月には作戦を発動し、雪解け水が消える頃にはロシアの草原を進軍する予定だ。
イタリアには「我が国は平和を願う(ソ連侵攻まではな)」という書簡を送って、1対1の戦争に手助けする気が無い事を伝えた。
それにしても、今年の冬は寒いし、風が強い。
とは言え、これくらいの寒波は以前にも経験がある。
冬は寒いものだし、春は必ず来る。
「諸君、我々は今年ソ連を攻めないで正解だったと思わんかね?」
幕僚団は追従笑いをした。
でもまあ、冬にロシアに辿り着いたナポレオンの二の舞を演じるのは避けたいところだ。
「冬将軍が早めにやって来た」
なんて言い訳はしたくない。
一方の日本。
太平洋側は暖冬となる。
1930年代の東北地方は悲惨であった。
昭和九、十年(1934、35年)には冷害で多くの農家が苦しんだ。
その惨状に同情した陸軍若手将校が事件を起こしたりもした。
冷害、凶作、飢饉はトラウマとなっている。
「暖冬の年は冷夏になり、凶作となる」
という言い伝えもある。
今感じている暖かさは、東北の農家に希望よりも不安を感じさせる。
「こりゃ、今年の米も駄目だべか……」
と生温い冬に農民は戦々恐々としている。
一方、新潟は豪雪となった。
今年の冬も豪雪の記録を出した。
まだ12月になったばかりなのに雪が多い。
「んでも、寒くはねえな」
「んだ。
こったらボタ雪だもんな」
寒い時は粉雪になる。
今降っているのは、湿気の多い重たい雪だ。
上空が湿っていて、雪こそ多いがさほど寒くない時に見られる。
珍事が起こる。
根性試しの為、寒中水泳をしていた横須賀の海軍水兵が死亡した。
解剖して調べてみる。
軍医が出した診断は
「これはタコに噛まれたな」
「タコ?
あの酢蛸とか刺身にする?」
「そんな美味しいタコじゃないですな。
これが事故が起きた海で捕らえたタコです」
「随分小さいものだね。
こんなんでどうやって人を殺すのかね?」
「ここに噛み傷があるのが分かります?」
「この指の、これかい?」
「そうです。
この噛み傷
ここから毒を流し込まれました」
「先生、そりゃおかしいよ。
毒を持ったタコなんているのかい?」
「いる。
ヒョウモンダコっていうタコで、この辺りの海には生息していないが、
南の温かい海にはいる」
「ほおお、初めて知りましたよ。
先生、よく知ってましたね」
「南洋諸島の方に行った事があってね。
そこで見た事はあるんだ」
「なるほど。
でも、それが何故この横須賀に?」
「さて……??」
こうしている内にも、中国戦線は動いていた。
十一月二十四日には漢水作戦が発動され、大戦果を挙げる。
アメリカの消滅、日英の接近、英独の和睦はこの方面では何の影響も与えない。
前線部隊の作戦行動に、後方の政治は無関係である、という文民統制は効いていないのが日本陸軍だ。
十二月二日まで作戦は継続された。
その最中の十一月三十日、日本は汪兆銘南京政府を正式承認。
日満華共同宣言を発表した。
これに対しイギリスは、従来の立場から一転、汪兆銘を承認する。
その代わり、日満華経済ブロックへの参加を打診して来た。
「今まで散々援蔣ルートを使い、蔣介石を支援して来た国が、随分と都合が良いな!」
「いっそ雲南からビルマのイギリス植民地を攻めてやろうか」
陸軍は鼻息が荒かったが、ここでイギリスが出した切札
「インド帝国の市場を日本に開放する」
が効果を発揮する。
如何に陸軍の若手が意気軒昂とはいえ、首脳陣はもっと現実を見ている。
インド市場の次は、英領マラヤ(マレーシア)からの石油が輸出再開される。
前線部隊はそのままに、本国はイギリスとの関係を改善していった。
蒋介石には衝撃である。
アメリカ合衆国が消滅したという事だけでも彼には打撃であった。
そしてイギリスの離脱。
蔣介石は夫人の宋美齢をイギリスに派遣して、アメリカにやったような親中派を増やす事を画策する。
一方、某所に潜伏している毛沢東は、ソ連に対し支援増強を依頼する。
彼にとって、蔣介石軍が壊滅するのは好ましい。
しかし、それで日本軍が残ってしまっては意味が無い。
共倒れになって貰わねば。
毛沢東も、アメリカ合衆国消滅は話で聞いていた。
(資本主義の巨人は倒れた。
次はソビエトの時代だ)
と思っている。
それに乗り遅れてはならない。
中国の大地も早く共産圏にしないと。
だがソ連は動かない。
いや、動けない。
寒いのだ。
寒過ぎるのだ。
それはアメリカ消滅の影響とは言い切れない。
普通にシベリアは寒く、こんな時期に大がかりな行動は出来ない。
シベリアでは多くの囚人が凍死している。
アメリカ消滅の影響では無い。
平常運転のシベリア送りの結果である。
だがソ連はまだ気づいていない。
確かに中央シベリアはこれまで通りの極寒が更に酷くなる。
だが、東シベリアは希望の大地に変わる。
気候条件はそのままではあるが……。
総力戦研究所の松岡は、どうやら
「東條陸相のお気に入り」
「松岡外相の親戚? 娘婿??」
という噂が立つ事で保身に成功したようだ。
この場合の保身とは「特高に目をつけられない」である。
特高は外国人と接触する者を、まずスパイ予備軍として観察する。
中には「目をつけた以上、あいつは怪しいに決まっている」として結論ありきで付き纏い、些細な事で捕らえて「自白」を強要する者も居ると聞く。
そういう危険から逃れられたのは大きい。
総力戦研究所の本格的な始動は年度始めからだ。
それまでの間は、準備期間であり商工省と研究所を行ったり来たりしている。
情報収集の名目で、岸次官と共に陸軍の参謀と会う機会も増えた。
「今後、色々な人と会って貰いますよ。
人脈は多くて困る事はないですからネ!」
岸次官はそう言う。
ただ、この人の人脈にはかなり好戦的な軍人も多く、言動には注意が必要なのも確かだ。
満州時代に築いた人脈と、そこから派生したものであり、必然的にそうなってしまったようだ。
松岡は
(岸次官そのものは何を考えているのか、読めないところが多い)
そう感じていた。
そう感じつつも、今日も料亭に引っ張り回されている。
「君の交渉相手はエリートコースに乗ったようだ」
ジョージ・サンソムは、クレイギー大使に紅茶に誘われ、その席でそう言われた。
接触する相手が国家中枢に近ければ、それだけ外交にも意味が出る。
「まだ日本は大丈夫なようだ」
大丈夫の意味は、イギリス側に取り込めるという意味や、気候変動の影響が小さいという意味や、色々な話が通じるという意味や、様々なものを複合して言っている。
「しかし、いまだに信じられない。
あの巨大な新大陸が跡形も無く消滅した等とな」
大使は溜息を吐く。
サンソムにしてもそれは同感だ。
彼等にしても、その目で直接見た訳ではない。
言われたままに動いているのだが、どこかに
(これって大がかりなジョークなのではないか?)
と思う部分が残っている。
「本格的に忙しくなるのは新年を迎えてからだろう。
今年のクリスマスは楽しみ給え。
来年のクリスマスがそのようにリラックスして迎えられるとは限らないからな」
大使の有難い仰せである。
もっとも大使は自分自身にもそう言っているところがあった。
大使は本国からの電報を受け取っていた。
それは北アメリカ大陸の在った場所の科学的な調査を日英共同で行おう、というものだ。
日本の年末休暇の前に、関係官庁に届け出る。
大西洋はハリケーンの季節がある。
大陸消滅でどう変わったかは分からないが、分からないからこそ知っている範囲で安全策を取る。
冬の内に調査チームを送る。
その為にも年内に日本に申し入れ、年明け早々には調査団を出発させたい。
休戦が発効したが、いつまでもそれが続くと考える程イギリス人はお人好しではない。
出来る内に出来る事をしておこう。
(信じられない事が起きた年がそろそろ終わる。
来年は常識で考えられる範囲で物事が収まる年になるよう、神に祈ろう)
温かい東京で大使はそう天に祈った。
その願いはかなわない。
……そして、欧州では多くの難民が天に召される。
欧州には現在、パリ上空に地上でマイナス10℃以下となるような強力な寒気団が居座る厳冬となっていた。
ドイツの侵攻で住まいを失った、あるいは強制移住を命じられた人たちの内、100万人が凍死してしまう。
しかし、まだ序の口であったと、後に知る事になる。
次は13日17時。