波乱の1940年9月が始まる
昭和十五年(1940年)九月十一日、商工省の官僚松岡成十郎は嫌な揺れに身を委ねていた。
「何だろうね?
震度3くらいかな?
随分とゆっくりと、長い時間揺れているねえ」
不思議な地震だった。
東京だけでなく、札幌でも那覇でも、京城でも台北でも同じような揺れを感じている。
全ての地点で同じくらいの揺れ、しかも長周期振動が続いているという。
「震源は随分遠くなようだね」
「そうだね。
一体どこだろうね?」
この地震は彼等の常識を超えていた。
それを数日後に知らされる事になる。
四日後、東京の駐日イギリス大使館。
この大使館は日英関係悪化に伴い、最近親睦的な仕事はしていない。
情報収集や本国からの外交電文を日本政府に伝えるような仕事しかしなくなった。
イギリスはアメリカと組み、中華民国を侵攻中の日本と敵対していた。
密かに蔣介石を支援している。
そんなギスギスした日英関係の狭間に在る大使館に、緊急電文が入る。
「お呼びですか?」
歴史学者にして外交官でもあるジョージ・サンソムは駐日全権大使ロバート・クレイギーから呼び出される。
彼だけではない。
主だった外交官、駐在武官たちが全員呼ばれていた。
呼び出したクレイギー大使は見た事も無い表情で、信じられない話を始めた。
「諸君、アメリカが消滅した」
「は?」
「アメリカ合衆国で革命かクーデターでも起こったのですか?」
「アメリカでもナチスに政権が代わったとか?」
「何が起こったのですか?」
「北アメリカ大陸が消滅した」
「意味が分かりません」
「文字通りの意味だ。
私とて意味が分からなかった。
というか、信じられずにいる。
まずは話を聞いて欲しい」
一同は大使の言に耳を傾ける。
最初に異変に気付いたのは、アメリカ合衆国に向かっていたイギリス船である。
彼等はまず、前触れの無い揺れに翻弄された。
その数時間後、彼等はアメリカ本土を確認出来なかった。
本当なら、アメリカ東海岸が見える筈である。
しかし、何時まで進んでもアメリカが見つからない。
アメリカだけでない。
カナダも消えた。
メキシコも消えた。
北米大陸と呼ばれる陸地が全て消滅した。
僅かに北極圏に浮かぶ旧カナダ領の島と、カリブ海だった場所にある島々が残るだけである。
アメリカに向かうイギリス船は多かった為、複数の船が同じ報告を送って来る。
余りに信じられないイギリスは、海軍の軍艦を送り、空からも観測し、確かに消滅を確認した。
「信じられません」
周囲の発言に対し
「私だって信じられずにいる。
本国の連中が季節外れのエイプリルフールで騙そうとしてるんじゃないか、と思ったね。
だが、どうやらドイツの連中も同じ報告を上げているらしい。
ヒトラーは信じていないようだが……」
1940年、既に第二次世界大戦は勃発し、6月25日にはフランスがドイツに降伏している。
本国上空ではバトル・オブ・ブリテンと呼ばれる航空戦が繰り広げられ、大西洋にはドイツのUボートが徘徊している。
Uボートは、アメリカから物資を購入したイギリス商船を沈めるべく、アメリカ大陸近くまで進出していた。
そのUボートが、やはり謎の振動を受けた後、目標とすべきアメリカ東海岸の街の灯を見失った。
聞こえて来る筈のアメリカのラジオ放送も聞こえない。
Uボートの艦長たちは、ドイツ本国に向けて大量の暗号を送っていた。
発信位置を突き止められる危険性を考えられない程狼狽している。
イギリスはまだ、その暗号を解読は出来ていないが、大体の内容は想像が付く。
「それで、だ。
アメリカが消滅した事は我が連合王国にとっての危機であるから、外交政策を転換しないといかん。
本国は日本との関係改善をし、予想されるドイツ側での参戦を阻止せよ、そう言って来た」
9年前の満州事変、8年前の満州国建国、7年前の国際連盟脱退、大日本帝国は孤立していった。
そんな中、日本はドイツ、イタリアと防共協定を結ぶ。
エチオピア侵攻で、やはり国際的に孤立したイタリアも含めた「共産主義に対し、共に当たろう」という協定である。
まだ攻守同盟ではない。
イギリスは既にドイツと戦っている。
アメリカが消滅した今、日本を敵に回せなくなった。
アメリカ大陸が消え、連結された北太平洋と北大西洋は、日英を直通航路で結んでしまった。
日本がドイツと同盟を組んでイギリスに宣戦布告すると、イギリスは大西洋の果てから艦隊による攻撃を受けてしまう。
ドイツ帝国艦隊のような歪な艦隊ではなく、世界三大海軍と呼ばれた強力な国の艦隊である。
その実力は、育て上げたイギリスが一番知っている。
「諸君、何としても日本とドイツを両方同時に敵にする事態を防ぎ給え」
その日本は、大混乱している。
九月十二日に押し寄せた謎の津波により、沿岸各地が被害を受けていた。
特にリアス式海岸の入り組んだ所は、昭和三陸津波の傷も癒えていないのに、再び同じような被害を受けてしまった。
海岸線が長く、離島も多い日本は各地の被害状況の収集に忙しい。
そしてアメリカの公館や商社との連絡が途絶えている。
度重なるアメリカによる禁輸措置で往来は減少していたが、産業に必要な石油や屑鉄の輸入はアメリカ頼みであった。
その商船から自分たちは位置を見失っている、アメリカに辿り着けないという無電も入る。
商工省の松岡は、その話がもちきりになっている現場に正にいた。
彼は、十月に作られるアメリカとの全面戦争を想定した研究部門へ、商工省代表として派遣される事が内定していた。
彼は四十歳になっていないが、将来を嘱望され、次期次官候補でもあるエリートなのだ。
故に、情報収集に余念の無いイギリスは彼に目を付ける。
松岡はイギリス大使館のサンソム氏から
「是非に会って欲しい」
という報告を何度も何度も何度も受ける。
(この忙しい時に……)
しかし、事なかれ主義の省庁、幾ら将来の交戦すら想定されている国からであっても、外交を疎かにはしたくない。
そういう商工大臣の思惑もあり、会う事となった。
(通敵行為として捕まらんだろうな?)
商工省も馬鹿ではない。
敢えて身の潔白を示す為に、警察に連絡し、密かに警察にも同行して貰うよう手配した。
(特高付きで、外国の人間と会う。
本当にゾっとするよ)
だが、本当にゾっとするのはこれからである。
「ミスター、紳士の礼に欠けるが非常事態だからストレートに話す」
握手後、挨拶もそこそこにサンソムが話す。
特高の人間が話が聞こえる位置に座っている。
何となく臭いで、あの人がそうなんだと理解出来る。
「このような場所に呼び出して、何が重要な話なのですか?」
紅茶の飲めるホテルの喫茶場なのがイギリスらしいが、ここは他人の耳もある。
「密室だと貴方は警戒して来ないだろう。
それに、私が貴方に接触したように、私の同僚も多くの日本人に会っている」
特高の密偵から放たれる殺気が強くなったように感じる。
だがそれも、次の言葉で吹き飛んだ。
「信じられないだろうが、アメリカ合衆国が消滅した。
アメリカだけではない。
カナダもメキシコもだ。
君たちもアメリカとの電話が繋がらなくなったと騒いでいないか?
まずはそれを確認して欲しい。
その上で、通商について私と交渉をして欲しいのだ。
こんな信じられない話、どこで話そうが、誰に聞かれようが構わない。
むしろ私としては否定する情報を聞きたいくらいなのだ。
君のお供のエージェントにも調べて頂きたい。
これが私の名刺と連絡先だ。
まず、私が言った事が真実かどうか調べ、その上でもう一度話し合いたい」
唖然としている松岡を後目に、言うだけ言うと
「ここは私が払う。
あそこのエージェントの分も出させて貰うよ。
早く戻って確認してくれ給え」
そう言ってサンソムは、ダブルのスーツを翻して去って行った。
「貴方はもう戻って良いです。
後は自分に任せて下さい」
毒気を抜かれた表情だった特高の者が、もう職業独特に嫌な顔つきに戻っている。
松岡に帰省を促すと、彼はサンソムの後を付けて去っていった。
帰省途中、霞ヶ関の通りを歩きながら、松岡はサンソムの言った事を咀嚼していた
そして至極当然の結論に行き着き、愕然とした。
「アメリカ合衆国が消滅しただって?
日本があの国から得ているものは重要なものばかりだぞ。
これでは我が国の産業は壊滅するじゃないか!!」
主人公の松岡成十郎は、モデルは実在の人物ですが、子孫の方もいますので名をいじって、立場は同じだけど人格も思考も別人としています。
その他は基本、実在の人物を使います。
何となく、戦記というには微妙(戦闘描写より外交・経済主体)、歴史ものとしては科学的な考察なシミュレーションありきになったので、ここの分野にしました。
SFも何となく違うし。
今日はあと2回更新します。