小夜曲
「ねえ、お姉ちゃん。これからどうする?」
ベッドに入っても思考があちこちに跳びまくって寝付けなかったイーディスに、ルーチェが小さな声で話しかけた。
イーディスは義妹の長くて柔らかい金髪をゆっくりと梳きながら、静かに考えにふける。
はっきりとした選択肢は二つだ。
ひとつは、"スキル・コレクター"や『金暁騎士団』と共に、豊穣の魔王が御子スィルヴァが眠る塔の探索に赴くこと。
もうひとつは探索に参加せず、南大陸を周遊する冒険旅行を続けること。
モグリとはいえ冒険者の真似事をしている以上は、新たな地点とそこでの発見の楽しさを想像する。
アリスやシャトゥ・ハーンとの勝負は実に楽しかったし、さらなる強敵と巡り会うのはさぞかし楽しいだろうと思う。
だが。だが、どうしたことだ。
異世界にまで行けるはずの冒険心と探究心は、一体どこに消えてしまったのだ。
冒険者として走り続け、世界を探求したい想いはある。
しかし……それ以上に、甘美な休息を再び味わいたい、という気持ちが強い事に、もと姫騎士は自分でも驚いている。
「もっと美味しいものを食べたいし、もっとルーチェと遊びたいなぁ……」
「ずっと、戦ってきたんだもんね。ずっと一所懸命、誰かのために頑張ってるもんね……そうしても、誰もお姉ちゃんを責めないよ」
最近のイーディスときたら、休みたいばかりなのだ。遊びたいばかりなのだ。
魔物との戦いや武芸者・冒険者達との勝負が既に遊びの範疇に入っている事には、どうやら気づいていなさそうであるが……。
「これから大きな船に乗って、違う世界へ行ってもいい。何をしてもいいんだよ──しなきゃいけないことが全然ないの、お姉ちゃんは知ってるでしょう」
「うん……」
「そういえば、『楽団おじさん』からは何も連絡ないの?」
「届いてないなぁ。魔法で手紙を送るって言ってたんだけど」
「……ちょっと外に行かない?」
「いいよ」
眠れない夜には眠れないなりの過ごし方があると教えてくれたのは、確かシャルロット義姉様だった気がする。
イーディスはベッドから這い出ると、ルーチェを抱き上げて、ギルドの建物を出た。
玄関から出た途端、小さく空気が震えた。
飾り気のない真っ白な封筒が現れる。宛名はイーディスとルーチェ、差出人は『楽団おじさん』だ。
ルーチェは「やっぱり」苦笑したが、すぐに封をあけた。
「どうして分かったの?」
「ギルドの建物に魔力が溢れてて、あたし達に手紙を届ける隙間がなかったんだと思うよ」
問いに応えながらも手紙を斜め読みしたルーチェが、にんまりと微笑んだ。
「ねえ、イーディス。あたしと一緒に、島を作ってみませんか」
「あ、それ……急に名前、呼ぶのズルい」
「ふふーん。たまには義妹らしく、義姉上を誘惑しないとだからね」
「う~~」
イーディスは、シエルから『ちょっと追放されてくださらない?』と持ち掛けられた日の夜に戻ったかのように、頬を真っ赤にしながら考える。
そうするまでもなく、すぐに一つの結論にたどり着く。
「いつからシエルと連絡とってるの。お姉ちゃん怒んないから正直に言いなさい、ルーチェ」
「いつからかな? 内緒にしとこうかな? ふふふ……何でも話し合ってる、とだけご承知くださいな」
義姉上と呼ばれるのが好きなのも。
不意打ちで呼び捨てにされるのが好きなのも。
丁寧に抱き上げるのが好きなのも。
腰に手を回して抱き締められるのが好きなのも。
すべて掴まれてしまっている。
「じゃあ、じゃあ……わたしの、いちばん大事な秘密も?」
「──かもね」
イーディスは我知らず、自らの唇に触れていた。
形よく柔らかく瑞々しく変わっても、あの時の感触だけが残っているように思えてならない。
国を出る直前の夜、シエルは確かに触れたのだ。
熱さも激しさも感じさせない唐突さと勢いを駈って──だが義妹は、あの時、わたしに確かにくちづけた。
何も言えずにいるうちに、ルーチェが『邪眼』をゆっくりと閉じた。
「ざーんねん。あたしの『邪眼』はシエルとは違うんだよねぇ」
お部屋で一緒に寝よう、と明るく誘う蒼い瞳がわずかに潤んでいたことを、イーディスは少しも追及しなかった。
本当に残念、という、小さな小さな声の呟きも。
2021/2/16更新。




