風の城にて(1)
ローゼンハイム公国領を徹夜で歩き去り、イーディスは西隣の国『ヴィンドブルグ』までやって来た。
風の精霊の守護を強く受けるこの地は『風流るる麗しの国』と称され、山と湖と河、そして風車の織りなす美しい景色が見所の王国だ。
国境を越えた時のイーディスは疲れ切っていて、宿を探すのも面倒なくらいだった。
さすがに野宿をするわけにも行かなかったので終日営業の宿を確保し、たっぷりと眠った。
「さて……これから、どうしようかしら?」
昼すぎまで眠って、遅めの昼休憩を楽しむ宿の店員さん達と一緒のまかないをごちそうになってから、部屋に戻って考える。
指針がない。
目標がない。
夢がない。
今のイーディスには、自由な人生をしっかりと楽しむための素地が、全くない。
考えてみれば当たり前だ、今までは国を──いや、むしろ妹姫シエルを守る事と、その為に身体と技を鍛え上げる事しか考えて来なかった。
公女が忍びで出かけたいと言ったところには必ず随行した。
シエルの魔力が必ず暴走していた満月の晩には徹夜で警護を行った。
『邪眼』の力が具現化させる異形の魔物どもを、たった一人で皆殺しにしてやった。
強い戦士でいれば良かったのだ。
ただ、最強の騎士を目指していればよかったのだ。
気分だって悪くなかった、妹に格好いいところを見せられもしたし。
それしかしなくてよかったと言ってもいい。
楽をさせてもらっていたのだろうか。
妹姫に甘えていたのは自分の方なのかもしれないと思い至ってしまい、少しばかり暗澹とした気持ちにならざるを得ない。
自由──自分の思う通りに動くということは、まず自分自身と向き合わなければならないと言う事なのだろう。
「ああーだめだ、だめだ!」
これじゃあ、何のためにシエルが策略を練ってまで自由を与えてくれたのか分かりゃしない!
イーディスは再び階段を駈け下りると、昨夜やさしく応対してくれた受付のお姉さんに声をかけてみた。
「おねーさん、どこか思いっきり叫べるところ知りません!? ごはんは美味しかったんですけど、わたし今すっごくイライラしちゃってるの!」
「あらあら。昨夜はそうは見えませんでしたけど……でしたら、屋上を貸切にして差し上げましょう。なに、国王主催の大声コンテストに向けた練習だと言えば大丈夫ですよ」
「ありがとう、今すぐできる?」
「大丈夫。今は誰も使ってないから、思いっきりストレス解消していらっしゃい」
「うん!」
返事をするが早いか、イーディスは階段を駆け上がる。
あっという間に屋上へたどり着いた。
高い。
西を見渡せば、はるか遠く──山と河を越えた、違う国の市街地までが見渡せた。絶景である。
イーディスは、屋上を囲む柵に身を乗り出した。
ちっとも怖くない。叫びたくて叫びたくて叫びたくて。
息をたっぷり吸いこんで、風船になってしまうくらい吸い込んで。
風が吹く。
思い切り深呼吸したから魔力が高まって、それに精霊が反応しでもしたのだろうけど、そんな事はどうでもいい。ごうごうと逆巻き始めた強風の中で、もと姫騎士は大きな大きな叫び声をあげた。
「おとーーーさまのぉぉぉぉぉぉっっ!! ばああああかあぁぁぁぁぁぁ!!!」
魔力の乗った叫びの残響音が風を引き裂く。
街の北側に広がる森から、小鳥が一斉に飛び立った。
森のさらに先、小高い丘に築かれた城をわずかに揺らし(推定震度2)、山彦となって美しくも険しい山々に吸い込まれて行った。
「あーすっきりした……ああーすっきりしたぁぁぁ!」
ぜえぜえと荒く続けていた呼吸を整えることも出来ないまま、イーディスは膝から崩れ落ちる。
雲の隙間から急降下して来る影に気づかずに、屋上に敷き詰められた木の板の上に寝っ転がった。
『おい』
「んぁ?」
『おい!』
「う、うわぁっ!? なななな何者ですかっ!?」
そりゃこっちのセリフじゃわい──と、美しい金髪を撫でつけながらボヤいた人物の背中には、ドラゴンの翼が生えている。頭にも二本の短い角。
「あわわわ! どっ、『半龍人』っ!?」
『いかにも。さきほどのうるさい大声のもとは、まさかお主かえ?』
「そ、そのぅ、大声コンテストの練習で……」
『ばかもの……そんなもん一発で優勝じゃ。王城では今頃、臨時の審査会を開いておるじゃろうよ!』
美貌の半龍人がニヤリと笑った。
2020/11/19更新。
2020/11/24更新。