『夜明けの道標』(1)
ティラミスは変わらず微笑みを浮かべて、魏姉妹の様子を眺めていたようだった。
やがてまたテーブルの上に意識を向け、食べかけの昼食を軽く食べ終わる。
「それじゃ、わたしは仕事に戻りますね」
背伸びを一度して立ち上がり、慎重に席を離れた。
「待って、ご飯のお代がまだです」
「ローブの代金と一緒に頂きました。この後もどんどんお買い物しちゃってくださいねー」
人差し指を顔の前に立てると、ネリネに目配せして、数枚の綴りになった小さな紙束を手渡してくる。
南館はセレブ向け売店のプリン無料券だ。
可愛らしい丸文字で"楽しい旅を!"と添えられた券を、イーディスは私服のポケットにしまい込む。
ティラミスが慎重な動作で歩き去るのを、微笑ましく見送った。
「……では、参りましょうか」
内心とてもドキドキしながら社長を見送ったであろうネリネが、安堵のため息をつきながら言った。
先頭に立って歩く彼女の案内で、東館の最上階・五階へ。
途中の店に立ち寄ったり各所にしつらえられた柔らかい椅子に座って休んだりして、普通のお買い物をしっかりと楽しみつつ、三人は『夜明けの道標』へとたどり着いた。
店内にはおしゃれな音楽が流れ、一面に高級そうなじゅうたんが敷かれている。
左右それぞれに棚があり、奥へ行くにつれて広く空間が取られているようだ。
「ようこそのお運び、有難うござる。"ディッシュ・コラル"の冒険者諸君に安心と安全と楽しさを保証いたす、こちらは『夜明けの道標』にございます」
正面のカウンター席に静かに腰かけていた紫の髪の女性が立ち上がり、一礼する。
「私は当館の支配人のクヴェトゥーシュと申しまする。どうぞご贔屓くだされ、お客人」
古めかしい言葉遣いだったが、よく通る声のために、意味を理解するのに支障はなかった。
「ネリネ殿を伴われておる所を見るに、社長のお客人と見た。大変にお世話になり忝い──引き続きネリネ殿の案内をご希望かな?」
「はい。ずっと一緒に買い回っていただいて、助かっています」
「あい分かり申した。武器は右の棚、防具は左の棚、そして知識は此方。ご所望の品を仰られよ」
イーディスはわずかに微笑み、ネリネに倣って丸椅子を引き寄せて座った。
ネリネの仕事を奪ってしまわないよう、彼女から要望を伝えてもらうことにした。
本当にぜいたくな買い物をさせてもらっていると思う。
ネリネは一瞬こちらに目配せすると、カウンターに身を乗り出して、館の支配人と親しげに言葉を交わす。
「クヴェット様、魔導師が武器を自在に操る魔法はありませんか? 逆に、戦士が高等な魔法を使いこなす技はありませんか? 少なくとも、私の知識にはないものですから……」
「ふぅむ、そのような方法は聞き覚えがない。お客人は魔導師と戦士の限界を軽く越えんとされているようだ」
店の支配人は、さして痒くもなさそうな頭を、苦笑とともに描く。
近い様相の異世界と同じように。
イーディス達の居るこの世界において冒険者は、選んだ『職業』に強く影響を受ける。
一般的には、召喚魔法や攻撃魔法、補助魔法を操る『魔導師』が高等な武器や技を扱うことはできない。
逆に、斧や槌、槍などを使いこなす『戦士』には、魔導師が扱う多様な魔法を使いこなす事が出来ない。
言うまでもなく、双方のデメリットを補い更に発展させるべく努力が続けられてきた。
付与魔法と剣技を高いレベルで修めた者が認定される『魔法戦士』や、身体強化魔法を極めて主に徒手空拳で戦う『鉄人』などの特殊な『職業』もないことはない。
いずれ目前に現れる"スキル・コレクター"を打ち破るためにイーディス達が持ち込んだ要求は、全世界に革命を起こしかねないほどの、無茶な求めなのだ。
「ぜひお考えを頂きたいのです、クヴェット様。彼女たちなら……」
「うむ。皆まで言うな、ネリネ殿。お主がこのお二人にかける期待も理解できるつもりだよ──求める品物がどこにも存在しないのならば、作り出せばよい事である」
クヴェトゥーシュは、短い牙を見せて微笑んだ。
2021/2/2更新。