ティラミス=グラシェ(1)
社長と呼ばれた女性は暫くの間、食事を優先した。
四人で談笑しながら食事を進めて、上手に出来上がったパンを味わい尽くした。
それから慎重に立ち上がり、小柄な背を深く折って一礼する。
「わざと申し遅れておりました。一応『グラシェ・デパート』の社長を務めています、ティラミス=グラシェです」
「わざとですか!?」
「ええ。お二人がお休みの間に、ちょっとしたドッキリを仕掛けようということになりまして」
このパン屋は本当にわたしの店なんですけどねー、とティラミスが笑う。
楽しく買い物をしていただけだが、いつの間にかすっかり上客扱いだ。いや決して悪い気はしないけれども。
彼女が慎重に席に戻るのを待って、食事を再開する。
色々気になったが、イーディスはまず慎重な動きをしている理由を尋ねてみた。生来ゆっくりした人なのかもしれないが、何か理由があるとすれば聞き出してみたい。
「わたしは自他ともに認めるドジっ子、ってやつでして。何もないところでよく転ぶんですよね。荷物や食材を何度ひっくり返したことか。他にも失敗ばかりでしたんで、百回ほどで数えるのをやめてしまいましたー」
親戚や親友たちからは『ドジじゃないティラミスなんてティラミスじゃない!』とまで言われる始末らしく……生来のドジを直す気はもう全くない、らしい。
「それは、ネリネさん達が補ってくれるから?」
「そうですね……ネリネちゃん始めスタッフの皆が、わたしを支えてくれています」
「そっか。やっぱり、補うって大事なことなんだ」
疑問だったと言うよりは自分の考えを確認したと言うような調子で、ルーチェが頷いた。
「わたしもそう思いますよー。補い合える友達がいなかったら、商売なんて始めなかったですもん。子どもの頃に『おじいさまの道具屋さんが欲しい!』……な~んて気分任せで言ってしまって、新装開店した当初はそりゃあ後悔したもんですけど」
「おじい様の代から商売を続けていらっしゃるんですね」
「ええ。おじいさまの古い知り合いに判別してもらったら、けっこうレアなスキルを持ってたみたいなんで……正直、商売を甘く見てましたが、なんとか続けて来られました」
若き社長は他人の興味を惹く話し方が上手だ。
イーディスは彼女に対する興味のまま、疑問を提示してみる。
「レアなスキル、ですか」
「ここで使ってみましょうか」
「よろしいので?」
「減るもんじゃないですし、他の人には絶対と言っていいほど役に立ちません。わたしだけのためのスキル──ありがたいことですよ~」
なんでもいいので何か欲しい物はありませんか?
と訊かれたので、軽くて堅牢で魔法抵抗力も高いローブが欲しい、とわがままを言ってみた。
ネリネが食べた後の皿を素早く片付け、社長の周りを広くする。
「ネリネちゃん、ありがとー。いつも助かってます」
穏やかに係員を労ったティラミスは、人差し指を軽く動かした。
召喚魔法かと思ったが、少し違うようにも感じる。
何かを呼び寄せたり具現化させる前には、必ずと言っていいほど大きな魔力のうねりが発生する。
今は少しの魔力しか感じ取れない。
ティラミスの、糸をたぐり寄せるような五指の動きをしか、必要としていないかのように。
魔法とも技とも異なる、これが『スキル』なのだ。
「青い糸が見えるよ、お姉ちゃん。宝石みたいに光ってる」
隣席のルーチェが、彼女の邪眼だけがとらえる幻想的な光景に酔いしれたかのように呟く。
かろうじて何が見えているかを伝えようとしてくれたのだろう。
ティラミスの言葉を借りれば、二人で補い合う事が出来ているのかも知れない。
「ええと……魔法抵抗力が高くてー。ものすごく丈夫でー……羽みたいに軽い、ローブ」
ティラミスが呟くたびに、彼女の繊細な指が小さく光る。
小さく蝶の形に結ばれた色とりどりのロープや、この世界の物とは思えないほどきれいな鳥の羽根、いかにも堅牢そのものといった色合いの鱗などが次々と現れる。
「ローブです、社長」
「うん、大丈夫。今日は調子いいよ──見つけたっっ!」
魚のかかった釣り糸をぐいと引っ張る時のように、力を込めて五指を握り込んだ。
静かに手を置くと、美しい意匠のローブがテーブルの上に現れた。
2021/2/2更新。