グラシェ・デパート(7)
遅めの昼ご飯を食べようと、魏姉妹は再び『グラシェ・デパート』の中央広場にやって来た。
係員として忙しく店の間を行き来していたネリネが素早く気付き、すぐに他の係員に仕事を引き継いで、こちらに飛んできた。
「お待ちしておりました──イーディス様、ルーチェ様。よろしければご一緒に昼食を頂きたいのですが、いかがでしょう?」
「もちろんです。起きたばかりなので軽く済ませたいのですが、おすすめは……」
でしたら、とネリネが人差し指を立てる。
「とっておきのお店がございます」
中央広場の端に建つその店の外見は、とても素朴で平凡だった。
魔法などで他の客の視覚をごまかしているわけではなさそうだが、象牙色のレンガ造りの建物はとにかく目立たない。
知る人ぞ知る店、という雰囲気だ。
「ようこそいらっしゃいましたー」
おっとりした口調で、金髪の女性がカウンター越しに出迎えてくれた。
女性の背後には大きなかまどがあり、彼女が慎重に慎重にふたを開けて取り出した陶板の上には、可愛らしい形のパンがいくつも並んで見える。
「ちょうど焼けたところですよ。どれでも三百ゴルトの後払い、たくさん食べてくださいね~」
お飲み物はどうしましょうか、と穏やかに尋ねられたので、冷たくて甘いバニラ味のドリンクを注文する。
陶板の上から特に美味しそうなパンを選び出して移し替えた大皿とドリンクを両手に、イーディスはネリネが待つ木陰のテーブル席に向かった。
「さあ、いただきましょう」
テーブルの上には、いつの間に運んで来たものか、野菜のサラダやハム、スクランブルエッグなどを載せた皿が並んでいる。
ネリネがにこやかに手招きすると、一瞬きょとんとして自分を指差したパン屋の女性が、エプロンと頭のハンカチを外して、慎重な上にも慎重さを重ねたかのようなゆっくりとした足取りでイーディス達のテーブルにやって来た。
「ご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか~?」
「あ、はい、どうぞご遠慮なく」
「ありがとうございます。もうお腹ぺこぺこですよ」
微笑んだ慎重な動作の女性は、ゆっくりと椅子に腰かけた。
「イーディスさまとルーチェさまですよね。グラシェ・デパートをお楽しみいただけていますでしょうか?」
「うん、とっても!」
「わたしもです、いっぱい買っちゃいました」
「それはよかった。新しく来られるお客様に気に入っていただけると、わたしも嬉しくなってしまいます。商売を始めて十年以上になりますが、いつまでも小さな店の店長みたいな感覚でして……」
え!? と声を上げたのはルーチェである。
「お姉さん、イーディスお姉ちゃんと同じくらいの歳じゃないの!?」
「たはは……このとーり童顔で小柄なもんだから、他のお客さまにもよく言われるんですよー。早く大人として見られたい二十六歳の今日この頃だったりしますけれども」
「そ、そうなんだ……失礼しました」
「いえいえ。パンが冷めないうちにどうぞ」
魏姉妹は食前のあいさつをして、香ばしい黄金色のパンを口に運んだ。
一昨日の品物よりもさらに高級な材料を使っているのか、一口噛んだだけで、小麦とバターの味が体いっぱいに広がってゆくかのような錯覚すら覚える。
「おいしいですっ! これどうやって焼いてるんですか!?」
パンは非常にシンプルだが、基本的に料理に疎い方のイーディスですら、ちょっとはしゃいで身を乗り出してしまいそうなほどの美味である。
「えっへへー。今回はとてもうまく焼けたんですよ。いつもは失敗ばかりなんですけどね」
「何を仰いますか、社長」
ネリネが慌てたように言葉を挟む。「最近は見てくれの良くない品物ができてしまうだけで、前みたいにひどい味の料理じゃないじゃないですかっ」
「それは褒めてくれてるのかなー」
どっちだか判別しかねるネリネの言葉に、女性店長が苦笑した。
家庭的な面が全然ない、と三番目の義姉に苦笑されたことのあるイーディスは、炊事や洗濯掃除について誰にも何も言えない。
ただただ、美味なるパンを味わい、サラダを味わい、ハムを味わうしかない。
っていうか今、確かに『社長』って聞こえたんだけど?
2021/2/1更新。