ルーチェの悪夢(2)
二人だけの寝室に長い沈黙が落ちる。
そっと義姉から身を離して考え込んでいたルーチェが、ようやく小さく息を吸い込んだ。
「あたしのことだけ考えてて欲しいなんて、あたしは思ってない。とっても深くシエルさんと関わってたから──だから今の、あたしの大好きなお姉ちゃんがいるんだ。それは分かるもの」
「うん……」
「一度でも関わった人のことを全部忘れて少しも考えないなんて無理だって。お姉ちゃんが言ってくれたんだよ? ……あなたの心に居るべき人なの、そのひとは」
「でも、遠く離れたよ。違う道を行かなきゃいけない。……今さらあの子のことを考えても意味ないって、自分でも思うのに」
「あたしは、そうは思わない。シエラザートの為じゃなかったら戦士なんて目指した? 例えばお養父様の為に最強の騎士になろうとした? ぶっちゃけ『ない』でしょ」
「……ございません」
「迷ったけど迷った挙句に言い切ったっ! それでこそイーディスさんですよ」
ルーチェがケタケタ笑う。
笑いをすぐに収めて。
眼を閉じて、手を伸ばして、髪に触れる。
優しいしぐさだった。
「大好きな人はいつまでも大好きなまま。少なくともあたしは、それが嫌じゃない。昔の事を話してくれたりしたら嬉しいけど、こだわったりしない。だから何も気にしなくていいんだよ。二人が選べなかった選択肢を、あたしが選ぶんだ──ずっと一緒に居てね」
今の姿に変身する前のイーディスの瞳は、よく研いだ剣のように鋭かった。
常に周囲を警戒し、守るべき人に危険が迫れば自らそれを引き受けた。
いま、暖かな涙に濡れる彼女の目は磨き上げたように丸く大きく、それでいて少しタレ目で可愛らしい。あらゆる感情の為にくるくると輝く緑色の瞳。
魔物の気配を鋭く嗅ぎ取る高い鼻は小さく可愛らしく顔に収まり、常に引き締められていた頬は丸っこく豊かだ。
瑞々しい唇は常に血色よく、紡ぐ声は以前よりも高い。
「……うん。ずっと一緒にいる」
「よろしいっ!」
改めて思い切り抱きつくルーチェを、イーディスはしっかりと受け止めた。
「じゃあ、改めて対策を練らないとね」
これで悩まなくて済むだろう。
その代わり──ルーチェが見た悪夢の彼方から迫り来るはずの、まだ見ぬ強敵のことを考えなくてはならない。
「そいつが奪い取りに来るなら……わたしの何が眼にとまったのかな?」
「話に聞いた"スキル・コレクター"なんだとしたら、やっぱりお姉ちゃんのすごい腕力を欲しがるんじゃないかと思うんだよね」
「スキルだと勘違いされるくらいの馬鹿力だってこと? なんかー複雑なんですけどぉー」
「でも悪い気はしない。違う?」
「違いません。今じゃ褒められるのが好きで堪りません」
いつからか、褒められると嬉しくて仕方なくなっている。騎士らしい謙遜なんて一切、しなくなってしまっている。
褒められたかったのだと思う。求めていないふりをしても、心が求めていたのだ──優しい言葉や、ねぎらいや励ましや、一緒に泣いてくれる誰かを。
「お姉ちゃんの隠し事しないところ、好き。……今のところ全部が推論でしかないけど、あたし的にはほぼ確定だろうと思ってる。相手は昔のイーディスお姉ちゃんの顔をした、"スキル・コレクター"。どうするのがいいと思う?」
「堂々と受けて立つ。それしかない気がする」
「そうだね。あたしも、そう思う」
「いつ、来るかな」
「わからない。明日かも知れない、あさってかも知れないし一ヶ月かも知れない。アテにならなくてごめんね」
一ヶ月は欲しい、とイーディスは思う。
たとえ旅の進行を押し留めてでも、もっと強くなって。
大切なルーチェを少しでも泣かせた"スキル・コレクター"とやらを、逆に叩きのめしてやるのだ。
「お昼から、また買い物に行こう。武具を揃えなくちゃ。それからご飯を食べてお風呂に入って……もし眠くなかったら、ルーチェに教えて欲しい魔法が沢山ある」
「金暁騎士団には?」
「面倒だし、登録せずに依頼する。チェルシーと重ならない時間で先生になってくれる人を探す──馬鹿力だけじゃない、新しいスキルを身につけるの」
「お姉ちゃん、本当に世界最強になっちゃったりして」
「もし、そうなったら……それで、この世界に冒険がなくなっちゃったら。そしたら大きな船に乗って、違う世界に行こう。ふたりで」
2021/2/1更新。