ルーチェの悪夢(1)
「あのね、あのね……怖いものが来るの」
「怖いもの?」
「うん。お姉ちゃんと戦うの……」
「負けた? わたし」
ルーチェはそこで黙り込んだ。
俯いて懸命に堪えていたけれど、その目から涙が次々と溢れて来る。
「う……、うん。お姉ちゃんが負けて、あいつに力を奪い取られちゃって……旅が続けられなくなっちゃうの」
「そっか。うーん、わたしってば大事な時に負けるからな~。ルーチェの夢も間違いじゃなさそうかも」
「そんな、笑い事じゃあ……」
「本当にそうなのよ、ルーチェ。本当にそうなの」
イーディスはできる限り優しくルーチェの頭を撫でる。
無意識にこちらに視線を送っていた、チェルシー少年のような例もあることだ。
凄まじい力を持つ何者かがこちらに目をつけて、密かに狙っている──ルーチェが見たという悪夢も、現実として十二分にあり得る。
他人の心の動きまでを読み取っていたシエルのように、ルーチェの邪眼が何者かの意志と力をとらえていたとしても何の不思議があるだろうか?
「顔は覚えている?」
「女の子だった。彫刻みたいに背が高くて筋肉質で──きれいだったな。顔がちょっとだけお姉ちゃんに似てた気がする」
「ふむ。わたしの思ってる通りだとすると……けっこう人気者だな、わたし」
「だから笑ってる場合じゃ……! って、ちょっと待って。何か心当たりがあったりするの?」
ルーチェは一気に泣き止んで、いつもの思案顔を作った。
怖い夢を見たからと、ひとりで泣いている場合でもなくなったようだ。
「何か気が付くことがありまして? ルーチェさん」
「……間違ってたらごめん。お姉ちゃんって、顔を変えたりしてる?」
「うん。特別なエステで身体を作り替えてもらった。その時に、顔も自然と変わった感じかな。体つきに見合うように、かわいい系の顔にするっていうコースだったもん」
「じゃあ……あいつは、お姉ちゃんの昔の姿を真似したのかな?」
「話は聞いてないけど店側が実績として、わたしの姿を記録してたってことは十分あり得る。そいつが同じ店の客だったとしたら、当然“施術の見本を見せてくれ”って話になると思うんだよね」
「そ、それはよくないんじゃ」
「別にいいんじゃないかな、店は技術を証明してこそだし。わたしが心の底でこの姿にあこがれていたように……わたしの姿が誰かの憧れや見本になってたとしたら、嬉しくない話じゃないわけで」
「そうかもしれないけど……どうしてそんなに明るくしていられるの?」
ルーチェが言うように、これは前向きにとらえることのできる話ではない。
『邪眼』の力を目覚めさせた者が見る夢は……そのほとんどが予知夢だ。
「……わたしが、どうしてルーチェの夢を信じてるか分かる?」
「同じようなことがあったから……シエルさんも?」
「そう。夢の中で何か大事な物を壊してしまったと怖がっていた日の翌日に、シエルは大事にしていたぬいぐるみを壊してしまったの。悪い夢が現実になってしまった。ランスロットを直すことはできたけれど」
ルーチェが問題にしているのは、長い長い午睡で見てしまった悪夢だ。
彼女はイーディスをとても心配して、泣いていた。
でもイーディスの頭は別のことを考えていて、心も別のことで悩んでいて。
自分でも不誠実だと思うけれど、それをルーチェに伝えない選択肢はイーディスにはなかった。
「わたしがルーチェのことを考える時。『邪眼』のことを考える時。わたしの頭の中にはシエルがいる。わたしはシエルと過ごした日々の中で分かったことを中心にして、あなたのことを考える」
ルーチェは静かにイーディスの話を聞く。
イーディス自身がしていたように、一言も声を挟まずに。
「シエルが怖がっていたことがルーチェも怖いんじゃないか。シエルが楽しいと言っていたことならルーチェも楽しいと思ってくれるんじゃないか、って。わたしは、あなたを見ていないような気がしている。こんなに長い間、一緒に居るのに……あなたのことを、まだ少しも分かっていないんだ」
騎士ならざる身に、姫君の信頼が重い。
イーディスは言葉を尽くして、想いを伝えようとする。
2021/1/31更新。