追放猶予(3)
「待ちかねたわ、お姉様……!」
イーディスがシエルの離宮に忍び入ると、妹姫はなりふり構わず突撃してきた。
「どれほどお会いしたかったことでしょう、どれほど語らいたかったことでしょう」
抱き留めて、妹姫の心からの言葉に応える。
「わたしもです、シエル。ずっと待っていてくれたのね」
「うん。だって……わたくし、昼間はひどいことを言ったわ、まずはお赦しを願わないと……ごめんなさい、姉様」
「いいわ。あの場はああするしかなかったんですもの。貴女もわたしも、父上も」
「憎くないの? お父様のこと。さんざん期待しておいて、役目ばかりを押し付けるように与えるだけだったのに」
「全然、と言えば嘘になりますけれどね。今さらお義父様を恨んだって、何にもならないわ。将来の騎士団長候補が無様に負けたのだもの、君主としては厳しい処分をしなければならないはずよ」
「そういうところなのよ。お姉様の優しいところや真面目なところに、みんなが甘えすぎてしまってる。勿論あなたを利用したわたくし自身も含めてね。……わたくしは、それを変えたいの」
「シエル?」
「お姉様は、ご自分が我が国から追放されることが、どうしてわたくしの“生涯最大の悪戯”になるのかが知りたいのでしょう」
「ついに人の心まで読めるようになったのですか、シエルは」
「ひとえに『邪眼』の力ですけどね。本当は、わたくしには何もないの。『邪眼』の力の他には何も持たない本当のわたくしが、一国を預かるのにふさわしい人間となれるかどうかの、これは勝負なのです」
先制攻撃として、国に悪戯をしてやるのだ。
そう言い添えて、シエルは悪戯っぽく舌を出してみせる。
「では、改めて尋ねてよろしいですか? わたしが居なくなることが、どうして悪戯を仕掛けることになるの?」
「国内最強の戦士。無欲で真面目で、自分よりも他人を優先できてしまうひと。……そんな人が国を去ったら、どうなると思う?」
「他の人が、正式に騎士団長になるわ。その人に任せたら事は済む──ジークなら安心よ」
「わたくしは、そうは思わない。ジークがすばらしい騎士なのは分かっていますけれど……騎士団だけに自国の防衛を任せきりなのが気に入らないの。我が騎士団が陰で他国に何と呼ばれているか知っていて? 『茨の国の残業だらけの庭師』ですよ!」
シエルの言うことにも一理ある、とイーディスは思う。
ローゼンハイム騎士団につけられた不名誉なあだ名も、知らないわけではなかった。
五万もの人口を抱える広い公国の護り手たる騎士団は、わずか二千人しかいない。
多数の国と血縁を結び、強固な同盟と共同体を築くことで、ローゼンハイム公国が国としての存在を脅かされることは無くなったが……。
「一部の人に役目を押し付けて、負担を強いて……それで平和だなんて間違ってるわ。公女殿下の扱いだって、そうだわ。外国に嫁いだ方たちは皆、国のために結婚相手を決めなきゃならなかったんですもの」
昔から、頭が良くて精神年齢の高い子だとは思っていた。
だが、シエルがこのように深く国の未来について考えていたとは、イーディスには思いもよらないことであった。
姉姫は己の鈍感さを恥じて口を噤み、妹姫は小さく息を吸い込んで言葉を続ける。
「今は人間同士の争いが起きないからいいけれど。もし、魔物が大挙して攻めてきたらどうするの? 魔物を統率する指揮者が突然に現れて、徒党を組んで襲撃されたらどうするの? 大人しく城を明け渡す? わたくしは嫌」
侵略者、破滅主義者、破壊者──おおよそ絶対悪と呼ぶべき危険な人物が、現在の世界の国々を治める王たちの中にいるわけではない。
ただ、全世界の国々や地域と友好関係になり、同盟を結ぶなど不可能だ。
公女たちの半分以上は既婚者だし、自らの事情のために王宮を離れた者も居る。
今まで通りのやり方を踏襲して、新たに他国と血縁を結ぶ方策は、公女たちがそれぞれ自立を迎えた現状、現実的でないと言わざるを得ない。
昔だから採れた手段だったのだ、政略結婚は。
だから公王は急いで後継者を指名し、シエルのもとで国をまとめさせようとしたのだ。
彼の思惑では今日の御前試合でイーディスが優勝し、近衛騎士としてシエルに仕えることが決定していたのだろう。
「ジークがお姉様を散々に打ち負かしてくれたことは──お姉様には本当に申し訳ないけれど、わたくしにとってはとても都合がよかったの」
シエルは公王の裁定に意見を挟み、シエルの望む方向に変えさせた。
前例が出来た、と言うわけだ。
これまで父親が一手に握って来た国事について、シエルならば意見する事が出来ると言う前例。
「でも、だから……わたくしは、お姉様に詫びなければならなかった」
2020/11/18更新。