ディッシュ・コラル(11)
ちょっと途中下車しただけのはずが、結局フリカデレ伯爵の屋敷に宿を借りることになった。
伯爵夫婦や使用人たちと会話を楽しみ、夜の庭園の美しさもたっぷりと目に焼き付けた。
年に一度だけ決闘に来る変わり者のヴァンパイア・スレイヤーの話や、拳銃の扱い方。
庭園で昼夜を分けて咲き誇る花の種類や由来、育て方のコツなど、様々な事柄を聞く事が出来た。
無茶な決闘に付き合わせた礼として、特別に拳銃を拵えてもらえることにもなった。
『グラシェ・デパート』の近くに拠点を構える冒険者ギルド『金暁騎士団』への紹介状まで書いてくれたのだから、正しく至れり尽くせりであった。
「お姉ちゃんが怖がってたの、なんか分かっちゃうな……あたし達この旅で全然、損してない」
六頭立ての豪華な馬車で送ってもらい、三つ先の駅から再び乗った『クリーム・パフ号』の車内で、ルーチェが小さく呟いた。
上手く運び過ぎている。当然、今の幸福を疑っていると言うわけではないのだけれど……楽しい事しかないというのも、それはそれでわずかな恐怖を覚えてしまうものである。
「まあアレよ……幸運のツケが来るなら来るで、上手く払えばいいじゃない。気楽に参りましょうよルーチェさん」
「そうだねぇ。楽しもうって言ったの、あたしだもんね」
明るく微笑んだルーチェが左手を掲げて、車内販売から果実ジュースとおやつを買い込んだ。
いつも冷静な彼女からすれば考えられないくらい、弾んだ大きな動き。
イーディスはお馴染みの『ひとり楽団おじさん』から残りの販売品のほとんどを買い占めた。
席を立つと、一両目から五両目までの乗客たち全員に商品を配って回った。
運転席にも差し入れをし、ある頼みごとをした。
あとはどうにかしますので、ここで列車から降りさせてください、と。
運転手と車掌は無言で許しを与え、わずかに減速する。
イーディスは荷物を抱えて列車から軽く飛び降り、後に続いた義妹を優しく抱き留めた。
「ごめんね、折角の汽車の旅だったのに」
「お姉ちゃんのせいじゃないじゃん。それに、あたし歩くのも好き。疲れたら“鎧”が運んでくれるよ」
ルーチェが微笑む。
とりあえず先に見える小高い丘に向けて、二人は歩き始めた。
──見られている。
今朝ごろからだ。
何者か分からないが、確実に。
羨望と嫉妬と謂れのない憎悪が混じった、魔力ある視線であった。
伯爵夫妻の忠告通りだ。この視線のせいで、朝のシャワーを浴び損ねた。
だからわざとらしく、列車内でオカネモチの真似事をしてみたのだ。
案の定、見ている奴は相当に腹を立てたらしい。横っ腹の方から刺すような殺気を感じる。
「この丘、崩しちゃっていいのかな?」
「伯爵が何とかしてくれるって。信じよう」
「了解」
苦笑したイーディスが、ついに憎悪の視線と目を合わせる。
「覗きはよくないわよ~。腕に自信がないなら退きなさい。もし、そうでないなら……」
もと姫騎士は言葉を切って、少し息を吸い込んだ。
「堂々とかかって来んか、この臆病者がっ!!」
獣のごとき息遣いが、大音声に怯むことなく応じた。姫騎士の眼前に現れて拳を突き出す。
単純。
大振り。
がむしゃら。
そんでもって単なる八つ当たり。
てんで形になっちゃあいない。
一発、二発、三発と紙一重で拳を回避した後は、完全に見切る事が出来てしまった。
相手も体力があるようだしもう少し付き合ってやるか、くらいに思っていたのだが……。
ごすっ。
妙な音がして、黒い影がすぐに丘に倒れ伏してしまう。
奴の後ろに回っていたルーチェが、いつ買ったのか分からない玩具の木槌で後頭部を叩いたのだ。
「警戒して損した……」
「この旅始まって以来の大損だったねぇ」
イーディスは盛大なため息をついて、倒れ伏した敗北者に手を差し伸べて治療の魔法を行使した。
見も知らぬ若者を優しく助け起こしてやる義理はないし、相手もそんな事は望まないだろう。
金持ち、そして女子の二人旅と判断してすぐに襲い掛かってくるような身の程知らずだ。
それでいて気位が高くて自信過剰。自分は誰にも負けないとでも思っているはずだ。
気づいた若者は懲りもせずに跳ね起きて、殴りかかって来る。
イーディスは笑いながら拳を手のひらで受け止めて、徐々に力をこめる。
若者は3つ数えたところで悲鳴を上げた。
2021/1/22更新。