ディッシュ・コラル(10)
伯爵家のシャワーを借りたイーディスは軽く汗を流したあと、お手伝いさん達から丁重な治療を受けた。
使用人たちがちょっとした愚痴を交えながら楽しく話してくれた言葉によれば、代々のフリカデレ伯爵は決闘や狩猟を好まれると言うだけで、特に乱暴だったり酷薄な態度を取る方ではないとのことであった。
それに何より、伯爵のハンサムな良人と同じく、彼女が振る舞う独特な肉料理に胃袋を掴まれているらしい。
いわく、牛肉と猪の肉を細かく叩いてミンチにし、鶏卵やパン粉などを繋ぎにして混ぜ合わせ、良くこねた後に整形し、質の良い油でじっくりと焼き上げる料理だとか。
伯爵が自らその調理に取り組む間に異世界の料理本で確かめたところ、『ハンバーグステーキ』なる食べ物と調理工程がほとんど同じだった。
調理を終えて料理用の手袋をつけたまま食堂のテーブルまでやって来た伯爵に、料理本のページを見せてみる。
「これと同じ作り方ですよね? 形も色もそっくりで、おいしそうです」
「はい。曾祖母が異世界から来た旅人に教わったと聞いています。当家にその時の写真とレシピが残っていましてね、そっくりに、しかも美味しく作るようにと念を押されていたものですよ」
「じゃあ」
食いしん坊のルーチェが疑問を挟む。「どうして同じように『ハンバーグ』って言わないんですか?」
「それも曾祖母のこだわりです。ハンバーグとはもともと異世界の街であり、この世界に存在しない街の名を借りては貴族の名折れである、と。ゆえに我が家では『フリカデレ』と呼んでいるのです」
おごそかに言い切ってから、小さな声で「そのこだわりに意味あるのかなーとか思いますよね」などと言って来るから、この伯爵は面白い。
「まあ、人のこだわりなんて簡単に理解できるものでもないのでしょうし……」
イーディスは苦笑で応じる。
「そうですね」とこちらも苦笑した伯爵が、魅力的な料理が載った多数の皿を並べた。
「理解するかどうか、という次元ではない……曾祖母の教えのおかげで、私も楽しく過ごせていますし」
広い食堂には使用人たちが次々と集まって来る。
労使の区別なく、楽しく食事をするのが伯爵家の習わしだという。
初代のこだわりが家のあらゆることを決め、後に続く人々はそれを嫌がらずに守っている。良き貴族の手本のようだ、とイーディスは思う。
「ときに伯爵、ご夫君は……」
「彼は夜にならないと起きられない性質でして」
「左様でしたか。しかし、カーテンを閉めて暗くすればその限りではない、ですよね」
楽しく剣を交えたからかどうか、この女伯爵のことについてはやたらと直感が冴えている。
夜にならないと起きられないという一言で、女伯爵の良人がどういう人物なのか見当がついてしまった。
フリカデレ伯爵は薄く笑んだ。蝋のように白い頬をわずかに赤らめて、初恋の乙女ごとく。
「そうしてもよろしい?」
イーディスは隣席のルーチェに視線を送って確認を取る。
義妹が静かに頷くのを見て、彼女も伯爵に頷いて見せた。
気の利く使用人たちがすぐに食堂のカーテンを固く閉ざす。
昼の庭園の景色が、夜の帳に隠されて行くようだった。
女伯爵は手袋を外して食堂のランプに青白い炎を灯すと、どこかへ歩いて行った。
弾むような足取りを見送って、暫し待つ。
夫人に手をひかれて食堂に現れた美青年は、イーディス達の対面の席に品よく腰かけた。
『やあ、お客人。わざわざ私を同席させてくださるとは、何とも御心の広い方でいらっしゃる──お気遣い感謝いたしております』
「お食事はみなさんで、楽しく摂るに限ります」
イーディスは仄暗い食卓をものともせずに二人ぶんの『ハンバーグステーキ』こと『フリカデレ』を切り分ける。
よく手ごねされた柔らかい肉を切るナイフの感触がたまらない。
遠慮しながらも先に口へ運んだルーチェの顔が一瞬で笑み崩れたのを、薄暗い中でも見てとる事が出来た。
美貌の女伯爵とその良人である吸血鬼とともに味わった肉料理は、生真面目なもと姫騎士の頬を軽くとろけさせる美味であった。
2021/1/22更新。