追放猶予(2)
泣き疲れて眠ってしまったらしかった。
深夜の都を歩き、一部を除いてすべて灯りの落とされた王宮へとたどり着いた。
人目のあるうちに堂々と帰り着くなどということは、眠っていなかったとしても、できなかっただろう。
ただの敗北ではなかったのだ。
王族専用の脱出経路を逆に辿り、十六人の公女に与えられた建物がいくつも建つ、広い中庭に出た。
誰も見ていないことを確認してから、第十公女と共に暮らしていた小さな離宮に入る。
同居人は王家と縁の深い貴族に降嫁してしばらく経つが、今日は武術会を見に来たために、この離宮に泊まっている。
「……イーディス?」
「はっ。夜分にお邪魔いたします、レンカ姉様」
「あたしにまで遠慮することないよ。誰かにバレたら面倒だし、すぐ荷物まとめちゃいな」
手伝ったげるから、と言いつつ、十番目の姉がベッドを這い出る。
レンカは小人症で、ローゼンハイム公王の娘たちの中でもシエルに次いで体が小さい。
イーディスは特に姉姫を止めるでもなく、大人しく魔法を発動した。
子どもが使う玩具箱よりも小さい、奇抜なデザインの箱が現れる。
箱には空間を歪めたり広げたりする魔法が何重にも重ねてかけてあり、『人間以外なら何でも入る』という触れ込みで売り出されている。
王宮に帰る途中の商店街で買い求めたものだった。
レンカはちょっと楽しそうにしながら、ご自慢の怪力でイーディスの荷物を丁寧に魔法の箱に収納して行った。
用の美を重んずる故国の文化が色濃く反映された一人用の家具家財が、あっという間に片付いてしまった。
「よーし。ってか改めて思ったけど、イーディスって物欲ないのねー」
既に王位継承権をブン投げ、今は夫と共に別の家で暮らす身である。
普段は領民と共に農作業や林業に汗を流す、活発で快活な姫君だ。
子どもの頃、山籠もりの最中に現れた魔獣を投げ飛ばしてやっつけてくれたことも、あったっけ。
思い出話をすると、レンカもケタケタ笑った。
「あたしもやんちゃだったからねー。ゲオルグを投げ飛ばしちゃいそうで心配だったりする」
「ケンカしないようにしてくださいね。お姉様は温和でいらっしゃるし、大丈夫だとは思うけど」
「気を付けるよ。あ、そうだ。子どもの時の服とか貰っていい?」
「はい、差し上げます。イーディスにはもう着られません。衣服も喜びましょう」
「ありがとう。……何の力にもなってあげられない姉様で、ゴメンね」
「偏にわたしが力不足だったのです。どうかお気に病まれることのございませんように」
「うん……イーディス、よく聞いて。お父様の手前、文句も言わないし遠慮してるけど。あたし達はあなたの味方だから──忘れないでね。もしも困ったことがあったら連絡を頂戴、あたしらの代わりに、グリセルダがすっ飛んでいくことになってるから」
「ありがとうございます、お姉様」
イーディスは丁寧に礼を言い、姉姫の手を取って唇を落とした。
話題に名前の出たグリセルダはかつてのローゼンハイム近衛騎士団長で、十三番目の公女だった娘だ。
イーディスと違って嫡子でありながら父王と反りが合わず、レンカと同じく早々に王位継承権を返上してしまった、生来からして自由な人物である。
自ら騎士団長の後継と見定めたイーディスを育て終えると近衛騎士団もあっさりと辞めてしまい、今や自由奔放な冒険者として冒険生活を謳歌している。
「これまでの恩義、イーディスは生涯忘れません」
「うん。寂しくなるけど、あなたはきっとグリセルダのように、自由に暮らした方がいいと思うの」
「……はい。わずか胸に残る後顧の憂いを断ち、せめては颯爽と国を去ります」
「それがいいよ。他の人にはあたしからよろしく伝えとくから、シエルにだけは必ず会って行きなさいね。絶対に離宮に来るように伝えてと、何度も何度も念を押されたもの」
「承知しました」
もとより、そのつもりだった。
まだ、末姫が望む“生涯最後のいたずら”についての真意を聞いていないのだ。
「それでは、レンカお姉様。またいずれお目にかかれることを願っています」
「幸運を、イーディス」
荷物と思い出とが詰まった魔法の小箱を懐にしまい込むと、イーディスは離宮を辞去した。
2020/11/17更新。
2020/11/18更新。