ディッシュ・コラル(2)
昼食を食べてから宿を出たイーディス達は、腹ごなしも兼ねて港町を散策し、大陸を周遊する鉄道の駅までたどり着いた。
宿の係員から連絡がなされていて、すぐに汽車へ乗り込むことができるようだ。
ルーチェを抱きかかえて人波をくぐり抜け、大きな木造駅舎の右端、三番目の停車場へと向かう。
「わぁぁ……っ」
停車場に乗り入れている汽車を見て、ルーチェがはしゃいだ声を上げる。
高級なカスタード・クリームみたいな色の車体は美しい円筒形で、五つもの客車を引っ張る先頭の駆動車は機関部の調整中なのか、少し甘い香りのする蒸気を煙突から吐き出している。
「この汽車は鋼鉄じゃないみたい。それに、石炭で動いてるわけじゃなさそう。珍しい木を燃やしてるのかな」
などと小首を傾げつつ、可愛らしい配色の車体を眺めている。
ガズとデボリエの研究施設にいた数少ない友達に鉄道オタクの子がいて、一度は自分の目で見てみたかったのだと、港町を歩く間に教えてくれた。
もうあの二人のこととか施設のこととか考えなくてもいいってわかってるけど、どうしても考えちゃうんだよね──なんて言いながら笑う顔は、大人びた寂しさをたたえていた。
自分を海に放り捨てる前にデボリエが言った古い言葉の意味が気になるとも言っていたので、デパートで語学の辞典を探してあげようとイーディスは決めている。
観光ガイド本に記載の時刻表と駅舎の時計を照らし合わせる。あと二分ほどで発車時刻だ。
「そろそろ乗っておこう」
「うん」
快活に頷いたルーチェを連れて動き始めた途端、急ぎ足で汽車に乗り込もうとする人物とぶつかった。
女性だ。
余裕なくちらりと振り返って目礼し、速足で立ち去ろうとする。
「食い逃げだっ! 捕まえてくれ~!」
野太い声が駅舎に響き渡ったのは、その直後だ。
イーディスは一瞬、どう動くべきか迷った。
食い逃げ犯と思われる女性の位置はルーチェが魔法で追跡してくれている。今すぐ飛び乗って車内を走れば捕まえることはできるだろう。
しかし、今から動いたのでは列車の進行を妨げてしまわないか──否!
ルーチェを車内に降ろす。
走り始める。
いかにも高級な造りの床を駆け、乗客の間を縫うように進む。
食い逃げ犯を捕える前に汽車が発進してしまったらイーディスの負けだ。
加速しすぎて周囲に衝撃波を発生させないよう(グリセルダと一緒に練習したことがある)気をつけながら身体強化魔法を使い、細心かつ大胆に列車内を駆け巡る。
二両目から三両目、四両目。
苦手なりに魔法を使ったため、イーディスにも食い逃げ犯の動きが感知できている。
彼女は素早く移動して周囲を騒がせ、発進までの時間を稼ごうとしているようだ。
迷った挙句に何かを決めたらしく、一両目とその先の運転席に向けて走り始めた。
こうなると単純な競走だ。
もと姫騎士が走る。食い逃げ犯も。
円形の帽子でごまかしていたが、彼女は恐らく魔族──半猫族だろう。
人間の領地にもかなりの人数の半猫族が暮らしており、ローゼンハイム騎士団にも数人が所属していた。
一緒に訓練した時、逃走する側と捕縛する側に分かれて競走したことが何度かあった。
いい勝負ができていた。自己最高記録を塗り替えられれば……!
一両目で追いつき、座席と客たちの間を縫って並走する。
前方に見やる運転席の扉は、乗客の安全のために固く閉ざされていた。
舌打ちして引き返そうとする食い逃げ犯を、どうにか捕らえる事が出来た。
小さな手を手加減しながら掴み、優しく自分の方に引き寄せる。
約三分間の追っかけっこだった。
運転席に連絡が回らなかったのか進行予定を優先したのかは分からないが、高級列車は既に駅舎を滑り出している。
暴れようとすることすらできない強力な拘束(左手一本による)に遭い、食い逃げ犯はついに逃避を諦めたようだ。
腰のナイフを手に暴れられたらどうしようかと思っていたイーディスも、内心で胸をなでおろす気分だった。
他の客に聞こえないよう、そっと耳打ちして話しかける。
「あなた、幾ら食べたの」
「一万ゴルトぶん。文句あっか」
「へえ……まあ、確かに安くはないけど? その金額で? 食い逃げ犯から列車乗っ取り犯に昇格しようとしたわけ? ……そこまでやるならもっと派手に食べたりすればよかったと思わない?」
「な、なんだよ、お前……」
「ど・う・な・ん・で・す・か」
2021/1/14更新。




