ディッシュ・コラル(1)
グリセルダが取ってくれた宿で一泊したイーディスとルーチェは、忙しそうに転移魔法で姿を消してしまった彼女を(行先はすごく気になったが)追いかけず、大陸の各所を観光して回ることにした。
宿で買い求めた最新版の観光ガイド本を、ロビーで一休みしつつ読んで行先に見当をつける。
今回の旅の最終目的地は、大陸西南の遠洋に広がる『スタークラッカー諸島』だ。
大陸の東側から鉄道網を使って気になる所を巡り、西南の港から再び高速船に乗るコースに目星を付ける。
さて……ここで当然、気になるのは“ディッシュ・コラル”という大陸の呼び名について、である。
観光ガイドによれば、『水晶の皿』という意味になる。
土地柄なのかどうなのか、実際に食べ物の名前が地名になっている地域が多い。
誰も確かめていない説話として、『ある魔王がその妃のために、有り余る魔力と財産を惜しまず投じて、美味しい食べ物や楽しい物事が溢れる大陸を作り上げた』
と言う物語が一般的になっているのだそうだ。
「えーと? 『大陸の北東に広がるセモリナ平原では一年じゅう、質の良い小麦や大麦、コメなどの穀類が作られている』か……ふむふむ」
イーディスがまず小麦粉に目をつけたのは、客船でヤサブローが残念そうに言っていた言葉が印象に残っていたからだ。
彼いわく自分のスキルは海産物を幾らでも釣り上げたり捌けると言うだけで、簡単な調理しかできないとのことであった。
以前の世界でさんざん食べてきたから様々な調理法を知ってはいるけれど、スキルの制限から自ら作り上げることが難しいのだとか。
ヤサブローは、もう少し『異世界渡航局』にカネを払えてたらなぁ、と苦笑していた。
タコやイカを小麦粉の生地で包んで丸く焼き上げる鉄板料理『タコヤキ』、白身魚などに水で溶いた小麦粉をまとわせてカラリと揚げる『テンプラ』……。
ヤサブローから安値で買い取った異世界の料理本をルーチェと二人で見るにつけ、はしたなくもお腹がぐぅぐぅと鳴っていたものである。
「コメってことは、ドンブリも食べれるかな」
「食べられると思うよ。どっかで海産物を仕入れてー……んー、冷凍できたりするといいかなぁ」
食材の冷凍・冷蔵保存を可能にする異世界の製品『冷蔵庫』が、ローゼンハイム公国でもかなり普及している。
シエルが夏場に氷菓を食べたがったので、イーディスもよく果実ジュースを買い求めては凍らせていたものだ。
そう話すと、ルーチェが青い瞳を輝かせた。船旅の間にすっかり食いしん坊になったようである。
「その『冷蔵庫』っていうの、欲しいなぁっ」
「先に例のデパートに行ってみようか」
「いいの!?」
「何も問題なし。他にもいろんな道具とかが売ってるだろうから、ルーチェに見せたいんだよね」
異世界の機械文明を大いに取り入れているこの世界にも、れっきとした魔法文明が発展している。
食材を凍らせるならば氷の魔法で事足りる。火をつけたり何かを燃やすなら炎の魔法がある。
機械ではなし得ない、風や雷を操る術さえも確立されている。
何も、機械や異世界の道具に頼る必要はない。
イーディスが義妹にその話をしないのは、彼女に色々な物事を見せたり体験させたいという思いを優先したからだ。
異世界の技術を見せたいと思っても、まさかローゼンハイムに戻るわけにはいかない。
それにルーチェほど強い魔力を持っていれば、ごく一般的な魔法であっても、行使すると疲れてしまう。
術式を詠唱して魔力を練り上げる過程が、『邪眼』の力を開放する手続きと酷似しているのだ──シエルからの受け売りの知識が、イーディスを迷いのない行動に導いている。
現在地は“ディッシュ・コラル”の北の玄関口である港町。
観光ガイドに掲載の地図によれば、ここから大陸の中央部までは鉄道で五日ほどの距離だ。
お金に余裕があれば転移装置を使うのが理想であると書かれている。
後々に買い求める予定の釣り船の代金として取り置きしてある三百万ゴルトを差し引いても、まだまだ旅費に余裕はあるが──。
「汽車に乗ってみたい」
という義妹の意見を尊重して、イーディスは宿泊できる汽車の旅券を手配することにした。
2021/1/14更新。