困難と解決(2)
白銀の大胸筋を誇示するのに飽きたのか、鎧の魔物が姿勢を正して空中に直立する。
イーディスにとっては息苦しいだけだった、頭を覆い隠す兜がそのまま、頭部と頭脳の役割を負っているようだ。
主君の命令を待つ騎士のように、頭と身体をルーチェに向き合わせたまま動かない。
『この船を南の大陸まで運んでちょうだい』
銀の鎧の魔物はルーチェの命令を聞き届けて、大型客船を小さく持ち上げた。
そして、どうやら身体全体で担ぐような恰好で、船底に張り付いたようだ。
海面すれすれを、客船は飛ぶように走り始めた。
ものすごい速さだ。
優雅に船旅を楽しみたかっただろう他のお客には申し訳ないが、予定に遅れるどころか早く着いてしまうことになりそうだ。
ダンケルク殿の奥様が卒倒してしまっているのではないかと余計な心配をしつつ、イーディスは全く別の動きをする。
一階の調理場に駆け込み、充分な額のチップを支払って、魔力を使い切った義妹の為に、食べ応えのある軽食を用意してもらう。
即座に手渡されたチキンカツとチーズのクレープ(ビバ異世界食文化!)を手に、猛然と甲板へ戻る。
無防備なルーチェに忍び寄ろうとしていた魔物を蹴とばし、槍で貫いて、ようやくお片づけを完了させた。
「お姉ちゃん」
大きめの椅子に身体を横たえていたルーチェが気づいて、ゆっくりと起き上がった。
「すごいね、ルーチェ。わたしの鎧もきっと喜んでる」
「うん……そうだといいな」
イーディスはにっこりと微笑んで、クレープの包みを開けた。
熱々の湯気が上がり、香ばしい香りが漂う。
いただきます、と静かに呟き、ルーチェがチキンカツをクレープ生地とともに噛み締めた。
いつもながら、丁寧に食べる娘である。
「ガズがね、食べ物は大事に食べなきゃだめだって言ってたの。あの人たち、基本的に善悪の区別がついてなかったけど、本当の所では悪い人じゃないと思うんだ」
「だから、許せるの?」
「うん。あたしにとっては親代わりだったし」
「そう……それならいいわ。『爽海亭』の皆にも、ちょっと脅かしてやるくらいで充分だって、改めて伝えておくね」
「ありがとう。変だよね、あたし……捨てられたのは変わらないのに」
「そこなのよねぇ」
「え?」
「わたしも国を追い出されたのは変わりないのに、今はお養父様にちょっと感謝しちゃってるのよ。……それがイヤでさぁ」
「軍隊を連れて仕返しに行こうとかは思ってないわけでしょ?」
「まあ、そこまでは思わないけどさ。面倒だし」
イーディスもクレープに噛みつく。さくさくのチキンカツととろけたチーズ、もちもち食感のクレープ生地がたまらなく美味しい。
ヤサブローの居た世界に住む人々はこんな美味しいものを食べているのかと思うと、ほんの少し羨ましくならないでもない。
「基本的にものすごいストレス社会だってヤサブローさんは言ってたから、こっちの世界にはない苦しさとかがあるのかも」
「そうだね。良いところばっかりの世界なんて、あるわけないもんね」
でなければヤサブローは、異世界に来てまで釣り三昧の日々を望むこともなかっただろう。
どこの世界にも住みやすい事情と、そうでない事情とが両方あるのだ。
銀の鎧の魔物に担がれた大型客船が、南の海を進む。
クレープを食べ終わる頃には風も随分と強くなってきて、さすがに甲板で海を眺めることはできそうにない。
船はその旅程を何日も早め、既に“ディッシュ・コラル”を囲むように島々や岩礁が多く存在する海域に入ったようだ。
小さな島々の間を縫うように進むので、これはこれで面白い景色ではあるのだけれど。
「ルーチェ、部屋に戻ろう」
「……もう少し、動けないかも」
「任せて」
イーディスはいつものようにルーチェを抱き上げる。相変わらず羽のように軽い。
「あたし、お姫様になったみたい」
「お姫様が幸せなら、お姫様を守る騎士も幸せ。……ジークにも、そうなって欲しいけどね」
「もし、もしも──そうじゃなかったら」
「そりゃもちろん、軍隊連れて仕返しに」
「今すぐシエルさんと連絡とる方法教えてっ!?」
「大丈夫よ~、冗談冗談! お養父様に捻り潰されておしまいだよ、そんなことしたって!」
その道もなくはない。
黒い鎧に身を包み、『茨の園』に咲く花々を刈り取り、奪い取る道。
だが、もう……その道を選ぶわけには行かなくなった。
腕の中の小さな姫君のためにも。
2021/1/8更新。