『邪眼』の子(2)
「どれだけ好きでも報われないのはちょっと辛いかも」
「まぁ……分かる気はするけど」
『お姉様以外にも目を向けて』──妹姫を励ますつもりで言った言葉が、今では時折イーディス自身の胸を柔らかく刺すようになってしまった。
もちろん、シエル以外にも魅力的な人はいるだろう。
決して狭くない世界に住んでいるし、異世界と接続する手段も少なくない。
もう一度、義妹に会えたとしたなら、その時は彼女に誇れる人間になっていたいとも思っている。その気持ちに嘘はない、はずなのだ。
その願いを実現するためには、これまでと違う努力が必要だと思う。
出会う人々に好意的に接し続ける事が出来るか。
よき人、よき大人、強き戦士であり続ける事が出来るか。
愛する人を見つける事が出来るか。
何度自分に問いかけたところで……そんなこと、分かるわけがない。
イーディスは複雑に絡んでしまった糸をほぐすように、心のすべてをできる限り言葉にする。
『邪眼』の力の前では隠し事など不可能だから──ちがう、ちゃんと聞いてくれるからどんどん話したくなって、気持ちも言葉も止められなくなっている。
全部を聞くとは言われていないのに、全部を吐き出してしまっている。、
思うこと全部を話した最後に、わざと明るく、「わたし戦うのが好きなんだよねー」と言ってみた。
何も考えなくて済むもん、と言ってみた。
優しく否定してくれるのを期待して、卑しくも。
ルーチェは何も言わない。
ただ、傍にいるだけだ。
それがイーディスには嬉しかった。
少しの間、船が海を走る音を、二人で静かに聞いた。
少女が口を開いた。
「……戦いは、たのしい?」
「気分が上がりすぎて困ることがあるくらい」
「なら……たのしい事をすれば、いいんじゃないかな」
「何も考えなくてもいいのかな?」
「うん。とりあえずだけど、むずかしいことからは逃げちゃおう。今は楽しい旅行の最中なのよ」
そう言えば現実逃避の真っ最中なのだった。
ここは最新鋭の豪華客船。しかもロイヤル・スイートルーム。
さきほど手を付けられなかったステーキ肉は熱々に温め直されて、まだテーブルの上にある。鉄板がおいしそうな音を立てている。
窓から見える海は明らかに色を変えている、スカイ・ブルーからエメラルド・グリーンへの鮮やかなグラデーション。
ニティカとレメディのコネで『カメラ』でも買っておけばよかったと、今さらながら少し後悔するほどの美しさだ。
夢みたいな旅路の途中だ。美しく、楽しい場所へ向かうための。
そう考えると急に不安になって、イーディスは少女を抱きかかえた。
まだ特に親しいわけでもないのに、そうしてしまった。
「ルーチェは夢じゃないよね? ……なんか、誰かが傍にいてくれないとダメっぽいや、わたし」
「それ自分から言うの? 別にいいけど」
金髪の少女は苦笑しながら、仕方がないなぁ、とため息をつくが、別に今の姿勢が嫌だとか話をするのが面倒だとか言うのではないらしい。
どっちが年上だか分からないなぁ……と思いながら、甘えてしまっている。
「まず確認したいです、イーディスさん」
「何でしょう、ルーチェ?」
「お姉ちゃんだと思っていいでしょうか」
イーディスは快活に返事をした。断る理由がどこにあるだろう!
少し考えるようなそぶりをしたルーチェが、また微笑んで、言葉を選ぶ。
『邪眼』の子ども達は、考える力やそれを言葉にする能力が高い。
ちょっと羨ましく思いつつ、イーディスはルーチェがしてくれたように、話を聞く姿勢を整えた。
「あたしは……からっぽ。昔のことも、周りで何があったのかも、よく覚えていない。だから……イーディスお姉ちゃんの気持ち、分けてもらっちゃおうかな。何も考えて来なかったから、その分──いっぱいいっぱい、あなたのことを考えようかな。これからだって大好きになれちゃうくらい、考えてみようかな。シエルってひとの代わり、にはなれないけど」
強力な“力”だけで満たされた器だ──と、ルーチェは自身を認識しているのだろう。
だから、自らを『からっぽ』と呼ぶのだ。
イーディスは理解する。唐突に。
彼女は、自らを満たす何かを求め始めている。
2020/12/20更新。




