『邪眼』の子(1)
着替えてすぐに眠ってしまっていたようだ。
無茶な戦い方をしたこともあるだろうが、新しい身体は今までよりも魔力体力の消耗が激しいらしい。
身を起こしてベッドの上に座ってもまだ寝ぼけたままのイーディスの耳に、小さなノックが響く。
気に入っていた普段着を(当然のようにダボダボのブカブカだったが手放すのは惜しい!)引きずりながら、のそのそと扉へ向かい、開く。
「……」
『邪眼』の少女が、所在なさげに立ち尽くしていた。
冒険者ギルドの女性から借りたのか、先ほどまでとは違う服を着ていた。
「ああ、いらっしゃい。どうぞ?」
「……お邪魔します」
軽く礼をして、少女が部屋に入る。
自分の客室に戻っても寂しいだけだと思って、遊びに来たのだろう。
イーディスは大きなベッドを叩いて、彼女を隣に座らせた。
「気分はどう?」
「ギルドのお姉さんに、お風呂つきあってもらったの」
お風呂でさっぱりして多少は気分も良いのだろう、少女は薄く微笑んで言う。
「──さっきはごめんね。ありがとう、お姉さん」
「イーディスって呼んでね。あなたは?」
「……名前、あったっけ? あー……なんでもいいや」
「じゃあ……んーと、じゃあ……“ルーチェ”ってのは?」
「いい響き。好き」
にっこりと微笑んだルーチェを、更に手招きしてみた。
金髪の少女はしばらく戸惑っていたが、はにかみながらも、イーディスの膝の上にちょこんと座る。
イーディスはルーチェの緊張がほどけるまで、しばらく無言で彼女の頭を撫でたり、身体を軽く揉みほぐしたりして待った。
『邪眼』がもたらす強大な力が身体にまで負担をかけていたのかは分からないが……。
十歳ごろから早くも肩こりその他を訴え始めたシエルのために、イーディスは三番目の義姉イマリから子供向けのマッサージ法を学んでいた。
その腕前は鈍っていなかったようである。
ルーチェは深い蒼色の瞳をとろんとさせて眠たげにしながらも、控えめに口を開いた。
「イーディスさんのこと……教えて。お話したくて、来たの」
「大しておもしろくないかもよ?」
「いいの。あたしは『からっぽ』だから……」
イーディスは彼女の要求に応じて、とりとめもない話を聞かせ始めた。
故郷が二か所あること。
騎士をしていたこと。
十五人もの姉妹がいたこと。
「ルーチェは……もっと、いたよ」
「何人?」
「んー、っとねぇ……百人くらいかなぁ。よく覚えてないけど」
イーディスは眉ひとつ動かさずに話を続けた。
「かっこいい王子様は好き?」
「絵本に出てくるような人でしょう?」
「そう。わたしも、そういう人に出会った。ジークって言うの、妹の幼馴染」
「ふぅん……ジークさま。見てみたいな」
イーディスは荷物入れから白紙の帳面を取り出すと、幼馴染で弟分で今頃は故国でも男爵位を得ているはずの、反則級な剣士の似顔絵をさらりと描いてみせた。
それはもと姫騎士にとって、あの敗北を昇華できているか否かを自分に試す試験であった。
結果──合格。
わざと下手に描いたりすることなく、きちんと彼の美少年ぶりをルーチェに伝える事が出来た。
「わぁぁ……」
「ちっちゃくっても女の子ねぇ」
「かっ、からかわないでよ、意地悪っ!」
ちょっとほっぺを膨らませる少女の様子があまりにも可愛らしいので、イーディスは自然とその頬に触れてしまっていた。
「あ、ごめん」
「いいよ。マッサージしてくれたじゃない」
「うん……」
「何か思い出してる時の、お顔」
「わかるの?」
「なんとなく」
「……そう」
「聞きたいな」
「いいよ」
イーディスは少しためらってから、再び口を開いてシエルの話をした。
ルーチェと同じく『邪眼』の持ち主であること。
いずれは国を引き継ぐこと。
とてもとても小さくて、可愛らしいこと。
そして……。
「わたしは……シエルが大好きだった」
「今でも?」
「うん。いずれは、さっき話したジークと結婚しちゃうから……傍にいることはできないけれど」
「だから、国を出たの?」
「そうじゃなきゃいけなかったんだと思う。そうしなきゃいけなかったんだと思う。広い世界を見て、いろんな人と関わって。それで大人にならなきゃいけないんだと思う。シエラザートも、わたしも」
「……好きな人がいるって、いいと思うけどなぁ」
ルーチェは優しく言って、手を伸ばし、イーディスの髪に触れる。
2020/12/18更新。