指針(1)
ようやく追いついて来た客船に戻ると、イーディスは思わぬ歓待を受けた。
大型の魔物を独力で退けた、という話が広がってしまったらしかった。
実際には歓待にふさわしい戦果を挙げられていないことを説明すると、セレブ客たちはすぐに落ち着きを取り戻してくれた。
思ったよりも話の通じる人々が多いようだ。これなら気楽な旅を楽しめるかもしれないと、イーディスは安堵した。
それよりも一言でも文句を言ってやろうと思い、大胆な子捨てを企んだ者を探してみたが、既に護衛の魔導師に連れられて逃げ去ったあとだと乗客の一人が教えてくれた。
船会社が雇った冒険者達の奮戦にもかかわらず、客船は先ほどの戦いで浅くない傷を負ったとのことだ。
その危機に乗じて脱出してしまったのだろうと、ヒゲの紳士は義憤をあらわにしながら言った。
現役の頃ならば逃がしはしなかったのに! ──と地団太でも踏みそうな勢いだ。
イーディスはあえて冷静に言う。
「あの子に話を聞くことができれば、親のことを詳しく知れましょう。どうするかは彼女に決めてもらうこととして、この場では怒りを収めて頂ければと思います」
「う、うむ。それがよかろう。見苦しい姿をお見せしてしまったな……私としたことが」
恰幅のいい紳士は頭から落としてしまった帽子を拾い上げた。
「いいえ。見知らぬ子を気遣える貴殿の姿勢を見習いたく思います。何か、子捨てを許せない理由がおありでしょうか?」
「うむ。殊更言い立てるほどのこともないが、私も孤児だったのだ。“春風の園”という施設で随分と世話になっていた」
「……ソフィア様の施設ですか?」
「そう! そうだ! ソフィアおばさまを知っているのか、お嬢さん!?」
「はい、お友達になってくださいました。器量の大きなお方ですよね」
「そうだったか。お便りも差し上げずご無沙汰してしまっているが、お元気でいらっしゃるのだな……よかった」
「新しく事業を始められるとのことでしたから、わたしの様に旅する者ならばお会いすることもございましょう──ご伝言をお預かりしましょう」
「では、『ダンケルクがお会いしたがっていた』と」
「分かりました、ダンケルク様」
「ありがとう、お嬢さん。よければお食事でも?」
「折角ですが、戦った後ですので……お気持ちだけ受け取らせていただきます。後で、あの子に何か食べ物を届けてあげてください」
「うむ。私の仲間内だけでも彼女を後見できればと思う。貴女のご要望を、その手始めとしよう」
「ありがとうございます。ダンケルク様はどちらまで?」
「家と、事業のほとんどを子に譲ったのでな、リゾート地で妻と一緒に安楽な隠居暮らしでも楽しもうと思っていた」
思っていた?
今は違う、と言いたいのだろうか。
「初老オヤジの戯言と笑わんでくれよ──お嬢さんや同乗したギルドの諸君の奮闘を拝見して、昔の血が騒ぎ始めて来おったのさ」
若い頃は斧を振り回して魔物を相手に戦っていたらしい。
冒険の最中に宝石の鉱脈を発見し、実業家に転身したそうな。
「今さら、冒険者にもう一度なろうとは思わんが……武術を志す若者の助けになれればと思う」
『人生とは冒険、心の底から楽しむがよい』と言い聞かされて育ったと言う。
「引退などと言ってのんびりしていたのでは、おばさまに笑われてしまいそうだからな」
「そうですね……ではダンケルク様も、新たな冒険の始まりですね」
「うむ。お嬢さんはどちらへ?」
「特に決めていないのですが……少し、一人で何かを楽しもうかと」
「左様か。ならば“ディッシュ・コラル”に着き次第、“スタークラッカー諸島”を目指されるのが良いかも知れぬな」
ダンケルクは懐から地図を取り出した。“ディッシュ・コラル”はこれから向かう南の大陸の名前だから、イーディスも知っている。
彼が口にしたもう一つの地名“スタークラッカー諸島”は、大陸から多少沖に出た海域に位置する、小さな島が無数に広がる大群島地域の呼び名であるらしい。
「なるほど……こちらはどのような地域なのでしょうか?」
2020/12/16更新。