南へ!(2)
追放されたからもう国とは関係ない、国のことは考えない!
そう断言して、すぐに自分の為に動き出すことは、イーディスには難しい。
気持ちや考えを切り替える練習もしていかねばならないだろう。
自由を得てもするべきことは山のようにあるような気がするし、それで構わないと思う。
荷物を片付け終えてベッドに寝っ転がったり本を読んだりしながら考え事をしていると、客室のドアが控えめにノックされた。
お食事を持って参りました、と聞こえる。
お食事は早めにお運びしてゆっくりと味わっていただくと、パンフレットに書いてあった。
すぐに思い出す──そう言えば三食昼寝付きの旅行を楽しんでいるのだった。
明るく返事をして、ドアを開けた。
給仕の少年の顔が隠れるほど巨大な牛ステーキが運ばれてきていた。
食材を納入したハンターは相当な腕前だろう、と想像できた。
鉄板と付け合わせのサラダの皿を載せたトレイを受け取る。脇のテーブルに丁寧に置いた。
その間にイーディスの困惑した様子を見てとったのか、少年は「ヴィントブルク公国、カール陛下からの特別な注文がございました」と丁寧に告げた。
船に帯同するシェフが腕によりをかけ、おいしくて栄養になるメニューを十日間、提供し続けてくれるらしい。
ありがたい配慮だった。とんでもない大声も、たまには出してみるものだなと思う。
イーディスはふと気になって、給仕に尋ねてみた。
「他のお客様は、どのような方々が?」
乗船する時には確かにたくさんの同乗者を見かけたのだ。
最新鋭の豪華客船を利用できると言うことは、各国の王族や、それに準ずる地位の人々だということだ。
すれ違えば挨拶はするけれど、何となく今は、やんごとなき人々と関わるのが面倒臭い──なんて本音はおくびにも出さないけれども。
「我々が提供する御旅行は、それなりのお値段ですので……お支払いいただけた方々、ということになるかと」
「やっぱり、そうよね。パーティとかするのかな」
「皆さまは現在グループに分かれて、屋上で歓談なさっています。パーティといえば、パーティでしょうか……私にも正直、分かりかねますが」
「別に、その人たちに会ったりしなくてもいいのよね?」
「もちろんです。すべてのお客様のお好みどおりに過ごしていただけますよう、我々も配慮を欠かしません」
その言葉を証明する為か、少年は胸ポケットから上質な紙を取り出した。
赤い筆を素早く走らせ、何かを書きこんでから手渡してくれた。
「こちら、屋上甲板や船内施設の使用予約表でございます。お役立てください」
「ありがとう」
イーディスは小さな財布を取り出すと、港町で両替しておいた一千ゴルト銀貨を二枚、給仕に手渡す。
物静かだが、仕事を楽しみながら懸命に働く者の顔をした少年だ。チップとして妥当だろう。
少年は丁寧に一礼して銀貨をスーツのポケットにしまい込み、もう一度深く一礼して下がった。
一人になってから渡された紙を見直してみると、読みやすく写植・段組みして印刷された予約表には、赤い文字で“ひとりで楽しめる時間帯”が記されている。
今の仕事を続けるなら、あの少年はきっと優秀なコンシェルジュとなって旅行客の旅路を導き続ける事だろう。
イーディスはなんだか投資家にでもなったような気分で予約表を眺めた。
プールやカジノ、食堂など、楽しそうな設備がいっぱいだ。
ほとんどの時間はゆっくり読書をしたり、眠ったり、大きなガラス窓から美しい景色を眺めることに使うだろうけれど、各国セレブを存分に惹きつけたはずの遊興設備にも興味がある。
旅路の夢想に浸りつつ、また大きなベッドでごろごろしていると、不意に客船が揺れた。
強化魔法を使って研ぎ澄ました聴覚には、乗客の悲鳴が届いている。
大型の魔物が現れたのだと、すぐに分かった。
海の魔物と戦ったことがないとか、貴族がたと関わるのが面倒だとか言っているヒマは、どうやらないらしい。
もと姫騎士は義姉達から賜った武具を掴み出すと、大急ぎで屋上へと向かった。
2020/12/9更新。
2020/12/10更新。