新たな船出
思わず大声コンテストの優勝をかっさらってしまったイーディスは、それでもカール陛下からの褒美を賜ることができた。
お金や食べ物、書物など魅力的な商品が並んでいた中で彼女が選んだのは、はるか南の地方を目指す遠洋客船のチケットであった。
移動手段をいつまでもソフィアの船に頼るようではダメだと思ったし、何より海を行く船旅というのをしたことがなかったからだった。
イーディスが生まれた国は山間部の小国だ。
ローゼンハイム南端には海岸線が広がっているが、その港から遊覧船に乗るなんていう遊びをする暇もなかった。
冒険の手始めとしては良かろう、と、ソフィアも認めてくれたことだ。
彼女は彼女で、イーディスが支払った五万ゴルトをもとに新しい事業を始めてみるという。
二人で話し合って、道を分ける事となった。
「色々と、ありがとうございました」
『よいよい。南の大陸はすばらしいぞ。存分に遊んで来るがよい、イーディス』
「はい。行って参ります」
『うむ。疲れたらまた戻って来るのも良かろう。わしは待っておるとするかのぅ』
ソフィアはイーディスの手の甲に何かの魔法文字を書き『我が友に風の導きぞあれかし』と呟いて“力”を込めた。
くるりと背を向けて指笛を吹き鳴らし、船を呼ぶ。
滑り下りてきた船のはしごを昇り切って、颯爽と右手を挙げた。
吹き抜ける風のような印象を残す、別れのあいさつであった。
「……さて、行かなくちゃ」
待っていると、ソフィアは言ってくれた。
また会えないわけではない。
イーディスは気持ちを切り替えて、ヴィントブルクの港を目指して歩き始めた。
道を詳しく知っているわけではなかったが、すれ違った人に尋ねたりして、無事にたどり着くことができた。
「待たれよ」
と、イーディスの背中に声がかかる。振り向いた。
港の雑踏の中に、外套を着こんだ体格のいい中年が立っている。
──誰だかすぐに分かってしまったけれど、そう言えばカール陛下はこういうお遊びを好まれる困った御仁だった。
大食漢でヨコにもタテにもでかい、でも話してみると気さくで憎めない、人の好いおっさん。
というのが、義姉グリセルダの彼に対する評価だった。
十以上も年上の生徒を憎からず思っていたのではないかと推測したが、義姉の真意は遂にわからずじまいだった。
イーディスはカール陛下の遊びに乗っかることにした。
「何かご用ですか」
「ああ。貴公に贈り物があってな。風の城の酔狂な王より、預かって参った次第」
有無を言わせない調子で言うと、中年は幌で包んだ荷物を手渡して来た。
受け取ると、見かけに反してとても軽く、扱いやすい物のようだった。
「確かにお渡しした。では、良き旅を」
「はい。いつか、想い人に再び出会われますことを──と、国王陛下にお伝えくださいませ」
中年は笑いを堪えるようなそぶりを見せながらも、くるりと踵を返して雑踏に消えて行った。
イーディスは荷物を魔法の小箱にしまい込むと、ひとつ息をついて、晴れやかな気分で港の受付へ向かった。
チケットを官吏に示し、案内を受けて、船が停泊する桟橋へ。
ソフィアの船ほど大きくはないものの、南方への遠い船旅を楽しむには充分な大きさがある船だった。
船体は三階建てでマストを持たない型だ。魔法で動力を得るらしい。
海洋国家ゼーフォルトから、最近になって直輸入して来た最新型だと、男性係員が鼻を鳴らした。
他の客が搭乗するのを待って、イーディスも木製のはしごを昇った。
係員は軍隊の出身らしく、敬礼をして出港を見送ってくれた。
失礼ながらイーディスは彼をよく覚えていないし、彼の方も身の上話などする気はなかったのだろうけど……いつか剣試合で対決したことでもあったのかもしれない。
軍人や騎士にとって、時に剣試合はその後の人生を左右する。
イーディスはチケットに記された三階の客室(今気づいたがロイヤル・スイートだ!)に向かいながら、自分の人生にはどんな風が吹くのだろうかと、詩的なことを考えてみる。
似合わないとすぐに気付いてやめた。
眼前の扉を開けて、客室へ入る。
2020/12/2更新。