豊穣の魔王の子(2)
スィルヴァが言う"お願い"を内容も聞かずに引き受けたイーディスは、狩りを楽しんだ後の疲れと汚れを洗い流すため、義妹たちと共に大浴場へ向かった。
五つもの湯船がある大浴場は二十人くらいが一挙に入浴してもまだ余裕がありそうなほど広い。
「空間を広げる魔法って便利すぎない?」
「そう思います……ところで、ちょっといいですか」
微炭酸の湯に浸かっていたニティカが、何かを決心したような表情でイーディスを見つめる。
「何でしょう」
「今さらですけど、お義姉様って呼んでもいいですか? ほ、ほら、誕生日はわたし達の方が二ヶ月遅いですし? 不自然ではないと思うんですけどっ」
ニティカのことだ。
とても真剣に考えて、悩んで、ようやく決めたことなのだろう。
イーディスを『義妹』と呼ぶか『義姉』と呼ぶかが、本人にとっては大問題だったのだ。
ローゼンハイムの王宮から離脱したばかりだし、日常を過ごすための支えにしていた異世界の遊びも、本来は頼りになるはずのスキルさえも今は封印してしまっている。
両親のもとへ帰るわけにもいかない。
誰かに頼りたいと思わない方が不自然ではないか。
「もちろん。わたしで良ければどんどん頼っちゃってね」
「うん……いま言っとかないと、と思って」
「何故?」
「……義姉様は誰からも頼られるのが当たり前の人だし。スィルヴァ様やアリスさん達だって、これからはきっとそうするわ。こんなふうに構ってもらえなくなっちゃうかもしれないと思ってしまったの」
「うーん、そうだね……わたしの身体が三つくらいあればよかったんだけど」
「誰かに頼ろうとするのがいけないの、ちゃんとわかってるの、でも……」
心と身体を鍛えよなどと、まして早く自立せよなどと誰が言えようか。
独立を認められる、あるいは迫られる十六歳までは、あと二年弱もある子ではないか。
元を質せば、周囲の都合で振り回されてきた子たちではないか。
スィルヴァ殿下が現れたことが彼女にとってどういう焦りに繋がったのか、はっきりしたことは分からない。多分、ルーチェと仲良く風呂を楽しんでいるレメディにも。もしかしたらニティカ自身にも。
何も言わなくていいと伝えるべく、ニティカの金髪を丁寧に撫でる。
花の香りのする洗髪剤と、数枚の衣服と、数冊の本と、それからぬいぐるみ。
大好きな物をたくさん持っていた彼女が、自立のための長い旅に持って来れたのはそのくらいだ。
提案できることがあるとすれば……。
「ニティカもレメディも、まだ島にいるでしょ?」
「うん」
「傭兵を雇って、二人で『銀の樹の迷宮』に行ってみるとかいいかも。あと、アリス達が居るうちにスキルのこともよく相談してみないとね。欲しい物は欲しいって、どんどん言わなくっちゃ」
「……嫌がられないかな」
「ありゃ、ずいぶん慎重。まあ他人に気を許すまでが長いもんね、二人は」
「反論できない……」
「いっぱい悩めばいいよ。たくさんの人に頼ればいいよ。あなたが良い人間であろうとする限り、皆あなたの味方。わたしも」
ニティカは頷いて、目尻を指で素早く拭った。
「考えてないで、早く義姉様って呼べばよかったな。ねえイーディス、もし……」
「出会うのが早かったら? そうだなぁ。もっと前に、ぜんぜん違う選択肢を選べてたら……あり得なくはなかったかもね。ニティカもレメディもすごく可愛いし」
「うぅーっ、義姉様はわたしの言って欲しいことばっかり言うっ……もぉ知らない言っちゃう、大好きっ! 先に上がるねっ!」
ニティカはざぶんと大きな音をさせて湯船から脱出し、逃げるように大浴場を後にした。
バスタオルのまま部屋まで逃げ帰ろうとして、シャトゥ・ハーンに止められた。
さすがにマズいだろう、と片言で諫められてようやく落ち着いたようだ。
「……私なら、どう答えたでしょうね?」
「うわぁっ!? スィルヴァ殿下!? いつからいらしてたんですか!」
「気配を消すの、得意なんです──最初から隣の湯船にいましたよ」
全然、気づかなかった。
さすがと言うか何というか、能力の無駄遣いと言うべきか……。
「それにしても良いお姉様ぶりでしたね。ちょっとだけ、ニティカさんが羨ましくなってしまいます」
「誰かに頼られるのが好きなんです。認められた気がするの」
「そうなのですか──やはり私もあなたとお話をしたい、今夜は付き合ってくださいね」
義妹さん達からの許可はちゃんと頂きますから、と冗談交じりに言って、古代の王女が笑む。
2021/3/8更新。




