銀の樹の迷宮(1)
異空間は、さながら深い深い森のようだった。
ハイネは先ほどから異空間を覆う植生を軽く調べていたが、困惑した顔でイーディスを見上げた。
あたり一面を覆い隠す如き樹海は、すべてが純銀だという。
「どの樹を調べても、成長してる跡があるの。ここの植物は確かに銀細工。でも、生きてる」
「謎を明かすには、先に進むより他ないようです」
「うん。行ってみよう」
イーディスは義姉の手を優しく引いて立たせると、彼女が直感するままにエスコートする。
宝石の研磨屑みたいに煌く苔類が覆った地面には、虹色の水が浅くたゆたい、歩を進めるたびに小さな水音をさせた。
銀色の蔦を断ち、棘を払い、決して身体が強くはないハイネに負担をかけぬよう、ゆっくりと進んでゆく。
異空間は不快さを感じない程度に温暖で、幻の中にいるような違和感が消えない。
一定の間隔で下り階段があり、降りるたびに構造が変わっているようだ。
不安なく歩けるようにか、月の光のようなランプがともっている。
明らかに人工的な建造物なのに、樹木や花の香りが途切れることがない。
かなりの距離を歩いているはずだが、全く空腹にならない。
おそらく、時間の流れすらも歪められているのだろう。
「ごめんね。私がもっと強かったら、イーディスに迷惑かけなかったんだけど」
「迷惑だなんて思いません。一度も思ったことないです」
「本当?」
「誓って」
ハイネは小さく頷いて、黙って何かを考え始めた。
イーディスはちょっとした遊び心が命じるままに、小柄な義姉を抱え上げた。
脇から背中に右手を回して支え、細い足を左手で支える。
ローゼンハイム公国騎士団では絶対に教えてくれない、これぞ騎士式お姫様抱っこである!
「わっわっ、何なにー?」
「さっきは嬉しそうだったじゃないですか」
「だっ、だってさっきは魔法で混乱してて……それにイーディスは剣も持たなきゃだし……っ!」
ハイネリルクは顔を真っ赤にしていたが、やがて小さく息をついた。
「……自分がどれだけ好かれてたか、わからないの? 近くにあなたがいないと嫌だって泣いた女の子が、騎士団に何人いたことか」
「それを聞ければ充分です、義姉様。どちらにせよ、わたしは何かの理由をつけて追放されていたでしょう」
「それは、そうだけど」
私だって……、という義姉の小さな呟きを、追及するわけには行かなかった。
片腕で義姉を支えたまま、イーディスは素早くクロスボウを放った。
美しい異空間にふさわしくない醜い魔物が、矢を受けて消え去る。
次には周囲の銀色の樹が牙を剥いた。
枝と言う枝を鋭く伸ばし、二人を襲撃する。
「義姉様、しっかり目を閉じて!」
返事も聞かずに走り出す。奥へ奥へ、片手で枝や蔦を払いながら進む。
基本的に動きが緩慢な銀の植物はその速さに追いつく事が出来ないが、様々な角度から枝を伸ばして攻撃し、彼女の前進を阻む。
「私を置いて行きなさい、イーディス!」
「だめです! いいから耳をふさいで!」
義姉が耳を両手で覆ったのを確認したイーディスは、声に魔力を載せるイメージを鮮明に描いた。
鋭く短く息を吸い込み、束ねて──「はっ!」
こっそり練習していた『戦士のための魔法』のひとつ、"気合で物質を斬る"。どうやら上手くできたようだ。
前方をふさいでいたおびただしい樹木が一瞬で寸断され、おののいたように引き下がって道をあけた。
「通してくれるらしいですよ。一緒に居て良かったでしょ?」
イーディスは植物の抵抗が止んだのを見て、再び義姉を支えることに専念した。
「う、うん」
「ハイネ様はいつも、ご自分を顧みない──どうしてですか」
「だって……誰の役にも立てないし」
「王宮に居て、楽しいことはありませんか?」
「楽しいよ。騎士団のみんなが大事にしてくれるし、傍にもついててくれる人がいる。好きなことで生きて来れたし、楽しいんだけど……なんだか申し訳ないばっかりでさ。私、弱いし……子どもとか、無理だし。すぐに"いらない"って言われちゃうに決まってるもん」
「……マリー・フルール、ヘイズヴェリ、それからライムツィード」
少しの間沈黙を守ったイーディスは、騎士団で仲の良かった同僚の名を次々に上げる。「あとトルナトサージュもかな」
「ええと、確かに私も仲良い四人だけど?」
「『ハイネ様っていいよね』って言ってましたよ。いつも明るいのになんか危なっかしくて、守りたくなるんですって」
「……そ、そうなの?」
「そうですとも。トルナトなんか、ハイネ様から直々に名前を頂いたんだって、いつも自慢してたんだから」
2021/2/24更新。




