風使いソフィア(1)
おそらく船底までを貫いているであろう階段の五つ目の踊り場で、ソフィアが立ち止まる。
踊り場と繋がっている廊下を歩き、扉をくぐる。
「わぁ……!」
扉の先には街が広がっていた。
空間に通常の船室のような仕切りは全く設けられておらず、大小さまざまな商店が軒を連ねている。
広場があり、道が走り、家がある。
空間を歪めて広げる魔法がかけられてでもいるのか、やたらと広く感じる。
『小さな街のような構造を持つ船』は金持ち国家を訪れた時に目にしたが、『船の中に街がある』なんて聞いたことも見たこともなかった。
木造の街道を歩きながら、ぶっ散らかった玩具箱みたいだ、とイーディスは思う。
外国に嫁いだ第三公女を訪ねた時、彼女の子ども達の部屋が、確かこんな感じだった。
規則性も何もなく、でも部屋のあるじには何がどこに在るかが完璧に把握できてるんだろうなと思わせる、そんな子供部屋の様子とよく似ている。
義姉の幼い子ども達にとって嫌な叔母上になりたくなかったので、一切文句を言わずに思い切り遊び相手をしたら、尊敬のまなざしで見られたことを覚えている。
『……住んでいた世界から色々な事情で離れざるを得なかった者達を、ここに集めて住まわせておるのじゃ。そういうボランティアに凝っていた時期があってのぅ』
「そうなのですか……ソフィア様のお考えは何というか、大きいですね」
半龍人はふふんと自慢げに鼻を鳴らし、迷うことなく進んだ。
『ここじゃ。あやつめ、居るか……』
街の広場近くの、“愛と美の館”なる看板がでかでかと掲げられた、広い建物に入る。
館の玄関ロビーの真ん中にあるカウンター席に座ってうつらうつらとうたた寝していた受付係が、ソフィアが近づいた途端にハタと目を覚まし、右手をすっとロビーの右奥側へと差し向けた。
極端な無口なのか声を持たないのかの判断がイーディスにはつきかねた。
戸惑っていると彼がにっこりと笑んで『先客あり、待たれたし』と書いた厚紙を見せてきたので、何が言いたかったかはちゃんと伝わった。
『イーディスは運がいい。これまでの報いかの? 館のあるじが出勤しておるとさ』
「何の館なのですか?」
『ちょうど先客がある。右奥に意識を集中して、聞いて居れば分かる』
館について知り尽くしているらしい年長の友人の言葉に従うしかない。
やがて、イーディスの耳に──。
ごりぐしゃげしぼりぃっ!!
不穏なこと限りない音が響いて来た。
『落ち着けぃ。施術の音じゃ』
「は、はぁ……」
慌てたり帰ろうとする前に先手を打たれたので、大人しく肩をすくめるしかないイーディスである。
やがて、先客だったらしい半龍人の青年が、肩で風を切って現れた。
上機嫌だ。鼻歌なんか歌ったりしている。
右目の眼帯と、恥ずかしげもなく晒した逞しい上半身が、長い角よりも印象的だった。
龍の血が薄いのか、美形の細マッチョという感じだ。
四番目の義姉が喜びそうだと思ってから、なかなか公国のことを考える癖が治らないことに気づいて、イーディスは内心で自分にあきれた。
イーディスが考えごとに浸ている間にも、半龍人はカウンターで瓶づめの飲料を受け取り、その場で腰に手を当てて一気飲みした。
金貨がいっぱいに入っているだろう袋をどかっとカウンターに置き、上機嫌で玄関ロビーから消えて行った。
「彼は……?」
『熟練の戦士と見た。龍族の男は生涯のほとんどを戦いに捧げる。さしずめ身体のメンテナンスでもしに来たのじゃろうて』
「龍族を始め、魔族は老いないと聞きますが」
『無事に“覚醒”を迎えて老いなくなった身体でも、疲れは溜まる。じゃからこの商売が成り立つのよ。さて、わしらも行くぞ』
金髪の半龍人はロビー右側の通路へ向けて、すたすたと歩き始めた。
イーディスも慌てて続き、奥の部屋に入る。
重そうなローブを着て、フードを深くかぶった人物が、施術台の前にいた。
『あらン、ソフィアおばさんじゃないの~ン。お久しぶりねン』
『おう、久しいのぅマリウス。元気にしとったか。ってか、その“おばさん”っての、いい加減にやめん?』
2020/11/25更新。