追放前夜(1)
深夜。
虫の声が風の音とともにかすかに響く、静かな離宮。
イーディス=シャロン=ローゼンハイムは、なぜか妹姫のベッドの上に居た。
「シエル、一体何をするつもりです?」
「何をして欲しいですか──などと言って、お姉様を困らせるつもりはありません。少しばかり問答をしてみたくなっただけですよ」
だから、そんな風に警戒なさらないで。
シエルの妖しい笑みでそんなことを言われても、ますます身体に力が入ってしまうイーディスである。
赤紫の短髪、同色のオッドアイ。
小さく整った鼻、少し薄いが瑞々しい唇と、時折覗く八重歯。
ふわふわフリルのついた寝間着に大人しく覆われた体つきは子どもらしくふっくらとしていて、小柄。
蝶のように可憐で可愛らしく、それでいて大人びた、色香にも似た不思議な魅力を持つ──義理の姉のイーディスも例に漏れず溺愛する妹姫シエルには、ただひとつ短所がある。
「わたしをこのような状況に追い込んででも、ですか」
「あら、お姉様は恥ずかしいのですか? 義理とは言え、わたくし達はれっきとした姉妹のはず」
「それは……そうです、が」
イーディスは媚びまでも含むかのような妹姫の表情をこれ以上見つめていられないような気がして、わざとらしく顔を背けながら答える。
「ふふっ! イーディスお姉様、可愛いっ!」
「なっ……!」
しかしその態度が余計に妹姫の内心にある“何か”を刺激してしまったらしい。
思いっきり抱きつかれてバランスを崩しかける。
鍛え上げた美しく強い背筋と体幹が、姉妹二人を支えている。
「さすがはお姉様。わたくしの突撃くらいでは、揺らいではくださいませんね?」
抱きついた格好のまま、姉を困らせたいと言わんばかりの笑みをシエルが見せる。
末姫の持つ厄介な短所。
それは、誰に対しても思わせぶりな態度を取って反応を楽しもうとすること、だ。
即断即決で思いつきを実現してしまう力強い行動力と合わせて、彼女は王宮のトラブル・メーカーの座を恣にしている。
「鍛え方が違います。ねえ、シエラザート……あまり姉上を困らせないで頂戴」
「ごめんなさい。最後だからと思って、甘えてしまったの」
「……シエル?」
身体を離した妹姫が、いつになく寂しげな表情をしたのが気になって、イーディスは彼女の顔を覗き込んだ。「今日はおかしいわ。一体どうしたの?」
「お姉様。わたくし、今日で十二歳になったのよ」
「あ……」
すっかり忘れていた。
緊急事態だと言って呼び戻されたからいいようなものの、王族の鍛錬場である階層の浅いダンジョンに篭ったまま、大切な大切な妹姫の誕生日をすっぽかしてしまうところだったのだ。
「ごめんなさい、シエル。姉上ったら、贈り物の一つどころか、おめでとうの一言も言えずに過ごすところだったわ」
「うん……いいの。それでね、それでね。お父様に言われたの」
「何を?」
「もう十二歳になったのだから、いたずらは止めなさい、って」
「……そう」
お義父様はまだご存知ないのね──という言葉を、姉姫はどうにか飲み込んだ。
多忙な公王はやっとの思いで授かった末姫が抱える事情を知らない。
城に長年つとめている侍女長も、公王が子どもの頃からついているという執事長も。
少しばかり憤っているはずのイーディス自身でさえ、進言する勇気を持てないままにずるずると過ごして来たのだ。
「シエル、おいで」
「お姉様……大好き」
イーディスは素早く体勢を整えると、妹姫を抱き寄せた。
ふわふわフリルの寝間着から、高めの体温が伝わって来る。
何人もの側室を抱え何人もの養子を迎えた挙句に、公王と公王妃の間にようやく生まれた十六番目の末姫。
いかなる不運かいかなる呪詛か。
シエラザートの瞳は強大で凶悪な力を持つ『邪眼』の一種だった。
シエルの右目は誰彼構わず他人を深く魅了する。
そして左目は生命を持たぬ物や、感情を持たぬものまでをも操ってしまう。
彼女を出産した後、いち早く異形の力を看破した公王妃は、すぐに子供が使用人と共に暮らすには十分な大きさの離宮を作らせた。
母親もそこに暮らし、愛情をいっぱいに受けたとは言え……。
魔法や魔力に対する防御を可能な限り高めた特別あつらえの服に身を包んだ召使や家庭教師に囲まれた十一年間は、とても窮屈で退屈だったのではないか。
──と、イーディスは思う。
2020/11/13投稿。
2020/11/16更新。