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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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【氷雨花火】


 ろくな夕食もなく酒に逃げることもできず不貞腐れてベッドに転がった翌日、ドレーミアに叩き起こされて引き摺られるように図書館の()へ連れて行かれた。


「さあ朝のひと運動ですわよ! アギスに乗ってくださいませ!」

「本当に飽きぬな、おぬし……コースは変わらんというに」


 元々、図書館には〝外〟がなかった。世界と世界の狭間には〝虚無〟しかなく、そこに館長が創り上げたのがこの図書館だ。だから図書館に外はなく、玄関もなかった。しかしドレーミアが全てを失い総てから解放された直後、館長に()()()()したのだ。

 〝テンペスタースを乗り回したいですわ〟──そう甘えるようにねだられた館長はしょうがないなぁなどと言いながら〝外〟にサーキットを創ってしまった。改めて、館長の理不尽さに嘆息せずにはいられなかったものである。

 ……いや。館長の理不尽さを噛み締めたのはサーキットを創ってしまったことよりも……むしろ、〝外〟を前にして平然としていたことであるな。

 そう。〝外〟──虚無。話には聞いていたが、館長が玄関を作り、開け放した時に我輩も目にした。


 いや。


 ()()()()()()()()


 玄関は認識できる。玄関先に立つ館長の姿も認識できる。だというのに、その先に広がる空間を認識することが一切できなかった。何があるのかわからないどころか、何がわからないのかさえわからない。それどころか、〝わからない〟と思うことさえできなかった。何も認識できないということは即ち、何も思考できないということ。

 闇に包まれた世界だったとしてもそこには〝黒色〟という色がある。〝空間〟という領域がある。だから思考できる。何もない、真っ黒なだけの空間であると認識して、その上で思考を巡らすことができる。

 だが〝外〟は──〝虚無〟は違う。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 あのような狂った空間に足を踏み入れて、館長は平然としておった。全く──魔女とはこれだから恐ろしい。

 まあ、そういうわけで館長は〝外〟にまず黒色の世界を創り、青色のペンキを流し込んで青空を描き、白色の風船に息を吹き込んで膨らませ雲にして浮かべ、テンペスタース用のガレージを図書館の隣に建設した。コースは決まっていた方が楽しいだろうからと絵の具を全てぶち撒けて作り出した虹の輪っかを幾つも空に投げ込んだ。

 我輩たち? ひたすら呆然としておったわ。当然だろう。


「ひとり乗りもできように」

「もちろんひとり乗りもいたしますわよ? たまには誰かとお散歩したいではありませんか」

「おぬしのは〝お散歩〟という次元ではなかろう」


 館長が作ったコースは全長一万キロの超長距離なのであるが、ドレーミアはそれをわずか二十分、どれいとのコンビであれば十分ほどで駆け抜けてしまう。どれい曰く〝東京からロンドンまで十分とか頭おかしい〟だそうである。要するに帝都シュヴァーファから王都ナイロンまで十分ということである──頭おかしい。

 だが言い出すと聞かないやつであるので、アギスでのサポートは期待するなと申し付けてから乗り込む。お散歩のお供にどうぞ、と棒切れを貰ったので、とりあえず握っておく。何なんだこの棒切れは。

 テンペスタースとはドレーミアお気に入りの二輪車である。どれい曰く空飛ぶサイドカー付き大型バイク。ドレーミアと我輩の世界にはこのようなものは存在しない。

 アギスの狭い背もたれに背を預けてベルトを締め、後は全てドレーミアに任せて手元の棒切れを弄ぶ。やがてテンペスタースが浮上し、重力加速度に応じて体全体にぐっと重力が圧しかかってくる。だがしかしアギスに守られている我輩が感じる負担はそこまで。慣性に慣れ、体が適応して普段通りに戻る。テンペスタースを操っているドレーミアは我輩の比にならないくらいの圧力を浴びているだろうに、横目に見上げるドレーミアの横顔は少しも苦痛を感じていない。それどころか心底楽しげである。


「執事さま、このお空ですけれど館長さまが昨日、少し(いじ)って機嫌を反映するようにしたそうですわ」

「機嫌……?」

「館長さまがご機嫌な時は晴れ渡った青空に、逆にご機嫌斜めな時は雷雨になるとか」

「……今は幸せな夢の中でお菓子の雲が浮かぶ空、というわけか」


 ソフトクリームのような雲、ドーナツのような雲、魚……タイヤキか? それのような雲と奇天烈なのが多い。なるほど、これでもしもドレーミアが〝お散歩〟を終わらせる前に館長が起きてしまえば朝食の遅れにご機嫌斜めとなって嵐が来る、と。


「何をしておるんだ館長は」

「〝たのしいこと〟ですわ。決まっていますでしょう?」


 で、あろうな。

 青空にかかる虹のリングを潜り抜けていく様を眺めながら、手元で弄んでいた棒切れについてドレーミアに聞く。ライターをサイドポケットに入れてあるからそれで先端に着火すればいい、と言われたのでその通りにする。棒切れの先端の、少しつるりとした感触の部分を火で軽く炙る──と、ほのかに青く煌めき出した。ライターを閉まってしばし見守っているとやがて、ぱちぱちと先端が爆ぜ始めた。


「これは?」

「〝氷雨(ひさめ)花火〟という花火飴ですわ。キッチンの遺物置き場から発掘しましたの。火に反応して氷の雨を降らしますの」


 遺物置き場──ああ、シンク下か。館長が色々詰め込んでおったからな……しかし昨夜あそこを覗いたが何も……ああいや。もういい。どうせドレーミアが片付けたのだろう。全く……。

 ぱちぱちと青白い火花が狭いアギスの中で散る。が、熱くはない。それどころか散った火花が素肌に落ちると氷のような冷たさを覚える。外には青空が広がり、虹色の輪っかは一瞬ではるか彼方へと過ぎ去っていく。そんな晴天の下、青白い花火を散らす。

 ……ふむ、風情は別に感じんな。


「夜であればもっと映えたろうに」

「それが執事さまのご朝食ですもの」


 沈黙する。ドレーミアは楽しげな鼻歌を歌いながらテンペスタースを飛ばしている。


「……どうやって食えと」

「氷雨が止むころに果実が実りますからそれを口に含んでくださいませ」


 そう言われて花火の先端を見やると、確かにぷっくりと水滴のようなつぼみがついていた。ぱちぱちと冷たい火花を散らしながらつぼみは膨らんでいき、弾けるように寒々としたアイスブルーの花を一瞬咲かせ──枯れた。その影響か一気に下がったアギス内の温度に白い息を吐きつつ、枯れた花びらの下に現れた瑞々しい氷のような果実にかぶりつく。

 甘い……が、くどい甘さではない。甘酒のような味わいのグミと言えばいいだろうか。悪くはないが……朝食にいただきたいものではないな。それこそ夜、星空の下でドライブしながらいただいて、そのついでにドレーミアを食いたいところだ。


「さあ執事さま、お腹いっぱい食べたければ渡界いたしましょう」

「断る」


 ドレーミアがそれはそれは不機嫌そうにふくれた。アギスの中でなければ可愛がってやりたいほどの愛らしさだ。




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