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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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第一自我 【我輩という自我】




 じが【自我】

 (self イギリス・ego ラテン)

 ①〔哲〕 認識・感情・意志・行為の主体としての私を外界の対象や他人と区別していう語。自我は、時間の経過や種々の変化を通じての自己同一性を意識している。身体をも含めていう場合もある。↔他我↔非我。

 ②〔心〕 ㋐意識や行動の主体を指す概念。客体的自我とそれを監視・統制する主体的自我とがある。 ㋑精神分析の用語。イドから発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする、パーソナリティーの側面。エゴ。→超自我


 出典:広辞苑




 ── 自分図書館 ──


 第三幕 「我輩」の章


挿絵(By みてみん)




第一自我 【我輩という自我】




 ──ドレイク。




 最愛の妻の呼びかけに返事しようと開かれた我輩の口から声は出ない。どんなに喉を引き絞ろうと声は出ない。そうこうしているうちに我輩を呼ぶ声がどんどん掠れて、色褪せて、(おぼろ)げになっていく。

 手を伸ばす。

 けれどその手は、空を切る。また口を開く──声は出ない。

 ちりちりと、何かが焦げ付く音がする。また、名を呼ばれる。応えたいのに──声が出ない。

 待ってくれ。

 待ってくれ、置いていかないでくれ。

 我輩はここだ。我輩はここにいる。ここにいる! ──我輩はここだ!! 頼む──頼むから、置いていかないでくれ。

 声にならぬ我輩の懇願も虚しく、我輩を呼ぶ声は次第に消えてゆく。行かないでくれ、とまた声にならぬ悲鳴が上がる。

 頬を生ぬるい水が、伝う。


 待ってくれ。

 行かないでくれ。

 置いていかないでくれ。

 置いて、いかないでくれ……!!




 ──レン!!




「──執事さま!」

「!」


 いどけなさと妖艶の狭間にある美しい声に揺り起こされて、我輩は目を覚ます。我輩の目の前に映るのは〝我輩〟──ドレーミア。つい先月、全てを失い総てから解放され──名を得た我輩と魂を同じくするサキュバス。

 今日の髪型は三つ編みのおさげ。三つ編みに手を絡め、引いて倒れてきたドレーミアにそのまま口付ける。途端に襲い来る虚脱感と、ひとしずく垂らされる〝我輩〟への愛しさという興奮。

 ベッドに縫い留めたドレーミアの髪と服がしどけなく乱れるが、それでもドレーミアの愛らしさが損なわれることはない。サキュバスとしての美しさを持ち備えた妖艶な女であるからというのは勿論だが、それ以上に──〝我輩〟であるからだ。

 ドレーミアの首筋に舌を這わせて、上がる甘やかな声に酔いしれる。しゅうしゅうと燻られるように吸い上げられていく精気にはこの百数年で、もう慣れた。


「執事さまっ……」


 ドレーミアの甘やかな声ごと、また口付ける。ああ──愛しい。なんて、愛しい。当然だ──ドレーミアは〝我輩〟であるのだから。

 ひとつの世界を一滴のしずくとするならば、大海原ほども世界が存在する。あまつさえ、そのひとしずくひとしずくの世界には星の数に星の数を掛け合わせても到底足りないほどの世界線が存在する。

 揚げ句、そのひとつひとつに我輩と魂を同じくする、同一だが一致ではない存在がいる。容姿年齢性別は勿論、種族さえ異なるというのに最初のひと目は鏡に映った我輩だと誤認するらしい。

 〝らしい〟というのは、この図書館にいる〝我輩〟以外を知らぬからである。

 そして我輩は〝我輩〟を心底愛しておる。〝我輩〟とは即ち自分であるからして、〝我輩〟を愛していると言えば自分に陶酔するナルシストだと思う輩が大半であろう──だが違う。我輩はただ純粋に。ただ真摯に。ただ無邪気に──〝我輩〟を愛してやまないだけだ。

 そう、愛しておるだけだ。




 レンが愛した我輩を、愛しているに過ぎない。




 レン。

 我輩の、最愛の妻。


「──もうっ!! 執事さま!! せっかくセットした髪がぐちゃぐちゃではありませんか!!」


 がぶりと舌を咬まれて反射的に身を引いた我輩を、しどけない姿のドレーミアが不機嫌そうに見上げる。

 その顔も愛らしい。さすがはレンの愛した我輩と魂を同じくする〝我輩〟である。


「今日の朝食は何である?」

「その前に、館長さまを起こしに行ってくださいませ。あなたのせいで髪をもう一度セットしなければなりませんの」

「そのままでも別に似合うが」

「嫌ですわ! 今日は三つ編みにしますのよ」


 どきなさいませ、と我輩を押しやってブリブリ怒りながらバスルームに消えていくドレーミアを見送って、軽く伸びをして立ち上がる。さて、今日は寝坊してしまったからシャワーを浴びる時間がない。このまま着替えて向かうとしよう。




 ◆◇◆




「朝である。起きるがよい」

「いきなりベッドから落とすんじゃねえ!!」


 どれいがひっくり返った格好のまま怒鳴る。その隣で館長もパンツ丸出しのあられもない恰好を晒している。ふむ、なかなかいい眺めだ。


「昨夜は館長とお楽しみであったか」

「ンなワケあるかてめーらじゃねーんだから」


 記憶を取り戻して二年半と少し、だいぶ口悪くなったであるなぁ。どれ、少々躾けてやろう。


「やめろ!!」


 本気の蹴りが飛んできた。掴んで押さえつけて押し倒す。絶叫された。今日も中々いい反応であるなあ。

 ──こやつは(ひいらぎ)どれい。

 こやつが来て四年……三年半か? 館長には及ばないものの痩せぎすで明らかに顔色の悪い、過労死寸前の風貌でここに落ちたどれいに記憶はなかった。別に珍しいことではない──ドレーミアもつい先月まで記憶喪失状態であったし、館長も──……。

 いや。

 館長は、違うか。

 まあともあれ、だ。故郷も家族も過去も、自分のことさえも忘れてしまい──わかるのはただひとつ。この図書館に住まう我輩たちが〝自分〟である紛うことなき絶対の事実のみ。どれいはそのような状態であった。

 そう、ここには〝我輩〟しかいない。館長も、どれいも、ドレーミアも──住まう世界も辿ってきた境遇も織り成してきた人間模様も、それどころか種族さえも違うが、それでも〝我輩〟なのだ。魂を同じくする、同一だが一致ではない存在。

 鏡に映る自分よりもよっぽど〝自分〟だと感じられる我輩たちを前に、どれいはそれでもぼんやりしておった。そのまま、流されるままに館長の〝自分探しの旅〟へ随行した。館長は〝自分〟を探すべく世界と世界の狭間に図書館を創り上げ、ここを拠点にありとあらゆる世界を渡り歩いてそれぞれの世界に生きる〝自分〟を観察し、記録し、本にしている。何故そんなことができるのかだと?


「ワタシは自分図書館(ジブントショカン)の館長」




 ──魔女である。




 ……だから、である。思考に割り込んでくるでない。と、いうかパンツ丸見えのひっくり返った格好のままで言うてもシュールなだけだぞ。

 ともかく。館長はその理不尽かつ不条理な力を駆使して世界を渡り歩いている。どれいはそれに同行し、一年経ったある日全ての記憶を取り戻した。己は既に死んでいるという記憶も含め、総てを。

 あの陰鬱な顔は未だによく覚えておる。だが今、我輩の下でキャンキャン吠えておる仔犬は見た目こそ過労死寸前の虚弱男子であれど、随分と芯の強い瞳になったように感じる。

 どれいだけではない。ドレーミアも、二年前──記憶を取り戻したどれいに誘われて館長の旅についてゆくことになった。新たな世界をひとつ知るたびにドレーミアに表情が増え、我が増してゆき、輝くような笑顔を見せるようになった。ドレーミアがこの図書館に堕ちたのは百数十年前──どれいと同じく自分を知らぬドレーミアであったが、館長の自分探しの旅を頑なに──いっそ怯えていると言っていいほどに強固に拒絶し、メイドとして実に従順な働きを見せておった。頑なな態度も、館長に随行したどれいの変化を見て次第に軟化していき、最終的には半ば連れ出される形で旅に出たのだ。

 旅に出て二年。ドレーミアにとって実に実のある二年であったろう。ドレーミアの変化は見ていて非常に退屈しないものであった。

 ……そんなドレーミアが記憶を取り戻したのはつい先月。ドレーミアは、元の世界の肉体に引き摺られて千切れかけていた。だから殺した。

 ドレーミアを、殺した。

 ()()用に携帯しておったクラウンシングルデリンジャーⅧ型βモデルで、ドレーミアの脳天をブチ抜いた。

 結果としてドレーミアは肉体から解放され、完全なる自己を確立させるに至ったが──それでも、我輩がドレーミアを殺したのには変わりない。

 何故ならば。


「疑似自殺だから」

「…………」


 パンツ丸見えだというのににやにやと薄い笑みを浮かべて我輩を見やる館長に、僅かに眉を顰める。ほうぼうに伸び散らかした蓑虫のような黒い髪が腕を拘束しているみっつの鉄枷に絡んでしまえばいいのに、と思った直後に絡んだ。ざまあ見るがよい。

 ……館長の言う通りである。

 我輩は、ドレーミアを利用して自殺してみたかっただけに過ぎない。自殺したくてしたくて仕方ない気持ちを、ドレーミアの一件でこれ幸いにと押し付けただけに過ぎない。ドレーミアは自分を肉体から解放してくれた我輩に感謝しているが、元来恨まれるべきであるのだ。

 ……そう。




 我輩は、死にたくて仕方ない。




「いい加減離れろぉおぉおおお!!」

「そうつれないことを言うでない。口付けた仲ではないか」

「キイィイエエエエエエエェェェェエエェエエエェェエ!!」


 奇声を上げられた。面白いやつである。

 もう少し愛でたいところであるが、そろそろドレーミアが厨房に入る頃合だ。手伝いをしに行かねば後から何を言われるやら。

 起き上がってどれいの手を引き、立ち上がらせる。ついでに髪が絡んだままの館長も小脇に抱えてともに部屋を出ることにした。


「……で、昨夜は何をしておったのだ?」

「ゲームだよ。SOFって格闘ゲームを館長が持ってきてな~朝方までやってた」


 2Dドット絵の格闘ゲームで、途中から3DCGのホラーゲームに変わるんだそうだ。地球系列平行世界のサブカルチャーは仕組みの理解にちと苦労するものばかりである。だが非常に幅広くバリエーションに富んだサブカルチャーが多く、退屈はしない。最近はどれいが持ち込んでくるDVDの鑑賞が楽しみであるな。

 我輩の故郷である〝シュヴァルツヴァイス〟は……館長風に名付けるならば多重世界系列世界、であろうか……少々違う気もするが。図書館での三百余年なぞ霞むほどに永い年月を〝シュヴァルツヴァイス〟で過ごしたが、どれいの故郷である地球系列平行世界のように豊富なサブカルチャーはなかった。あってボードゲームと狩猟、馬術、演劇、球技くらいであろうか……中でも何百年経とうと変わらず栄えておったのはルナースであるな。

 ……そうだ。見ての通り、我輩には記憶がある。

 三百余年前、図書館に落ちた当初はどれいやドレーミア同様、記憶がなかった。どれいやドレーミアと違うのは……記憶がないその状態で、我輩はどうしようもなく焦っていた点か。

 当たり前だ──記憶がないとはつまり、レンのことも忘れていたということだ。

 記憶を取り戻したのはそれから一週間後だった。わずか一週間、されど一週間──我輩は生きた心地がしなかった。何を忘れているのかさえ忘れて、何もかもがわからない状態だというのに焦燥感ばかりは募っていく。

 早くしなければ。早く思い出さなければ。早くどうにかしなければ。けれど何故? わからない。けれど早く何とかしなければならない。そうしなければ、しなければ──何が、どうなる? それさえわからない。わからないけれど、どうしようもなく恐ろしいことが起きる気がする。

 ……こんな感じであったろうか。思い出さなければ、思い出さなければと焦燥感を胸に館長の散らかした図書館を掃除しているある日、唐突に思い出したのだ。

 レン。

 我輩の──最愛の妻。この世で唯一の、我輩の()()()

 三百余年経った今でもこの気持ちが薄れることはない。我輩は心の底からレンを愛しておるし、同時にレンが愛した我輩のことも愛している。

 ──だからこそ。


「執事さん、館長引き摺ってんぞ」


 おっと。小脇に抱えていた館長がいつのまにかズレて、足を抱えて引き摺る形になっておった。館長の蓑虫のような髪が床に広がっている。ふむ、よいモップ代わりになりそうであるしこのまま厨房に行くとしよう。


「普段主人として敬っているくせに時々雑いよな」

「館長であるしなあ」

「まあそらそうだ。しょうがねえ」

「しょうがなくない!! レディーは箱入りのお姫さまのように丁重に扱えっ!!」


 無視してそのまま厨房まで引き摺って行く。

 厨房に入ればドレーミアが冷蔵庫の前で考え込んでいた。


「ドレーミアさん、おはようございます。珍しく何の準備もしていないんですね」

「おはようございます、どれいさま。執事さま、モップでしたらランドリールームにあるもっと上等なのをお使いくださいませ」

「モップちがーう」

「執事さまのせいで遅くなってしまったので手早く作れるメニューを考えていたのですけれど、パンも野菜も切らしておりまして」


 無視すんなあ、という館長の声を無視して冷蔵庫の中身を見る。卵、魚、ゴボウ……なるほど、精々目玉焼きをすぐ作れるくらいか。


「白米はございますから今炊飯器にセットしましたけれど……炊き上がるまで時間がかかりますわ」

「そうか、前の世界にろくな食糧なかったもんなあ。館長、次の世界は食糧調達できるところにしてくれ」

「うぇーい」

「そういうわけで」


 そこで会話にひと区切り入れんとドレーミアが手を叩く。にっこりと、三つ編みが実に似合う清楚な微笑みを浮かべて我輩を見上げる。伊達眼鏡がよく似合う。どれ、今夜はシャワーの前にこの格好のままひとつ。


「食糧がございませんので次回の渡界は執事さまもおいでなさいませ」

「……そう来たか」


 先月、ドレーミアが記憶を取り戻して以降も館長とどれい、ドレーミアの渡界の旅は続いている。そこに我輩も加えようと、ドレーミアが執拗に誘うようになった。

 確かに〝我輩〟を愛でてやまぬ我輩ではあるが、だからといって他の世界の〝我輩〟をわざわざ見に行こうというほどの興味はない。……この図書館に住まう〝我輩〟たちだけで、十分。


「白米はあるのだろう。茶漬けにでも」

「あと数日分しかございませんから、次の渡界までには消えますわ」

「インスタント」

「館長さまが食べ尽くしてしまわれましたの」

「食べなさいってカップラーメンとカップ焼きそば三十個並べられた。最後の方は伸びきった麺で実にまずかった」

「……別に何も食わなかろうとこの図書館内では飢え死ぬこともないのだ。問題なかろう」


 最長で一ヶ月、飲まず食わずだったことがある。帰ってきた館長が〝戻る時間間違えたテヘペロ〟と抜かしておったがな。腹はあまり空かなかったものの、味気のない日々であった。食事の重要性を知った一ヶ月であったなあ。

 だが、だからと言って渡界するほど食事に執着しているわけでも──


「残念ながら館長さま、お風邪を召されたようで渡界後はこの図書館内の停滞を維持できないそうですわ」

「あ、うん……そうしないとおやつ抜きって言うから……」

「…………」


 そこまでやるか。


「そういうわけですわ。さ、執事さま。ともに渡界の旅へゆきましょう?」


 そう言いながら首に腕を絡めてくるドレーミアの腰を抱いて、ため息を零す。


「何故そこまでして我輩を連れ出そうとする」

「だって旅行するならば、みんなでした方が楽しいではありませんか。三人でも十分楽しくはありますが、常に考えてしまうのです。〝もしもここに、執事さまがいらっしゃったら〟──ねえ、行きましょうよ執事さまぁ」


 とろけた声で甘えてくるドレーミアの尻を揉みつつ、再度ため息を零す。我輩とて館長たちとともにいるのが嫌なわけではない。むしろ、館長たちを見ていればいるほど〝我輩〟への愛しさが募っていくほどだ。

 ──だがそれでも。

 それでも、我輩は。


「……さっさと朝食の用意をするぞ、ドレーミア。卵焼きと焼き魚、味噌汁でよかろう」

「ちょっ……話を逸らさないでくださいませ!」

「どれい、味噌汁はおぬしが作れ」

「執事さま!! んっ……!!」


 ぴいぴい鳴くドレーミアの小生意気な口を虐めつつ、片手間に魚を網に並べていく。卵も取り出し、ボウルに割り入れて掻き混ぜつつ、調味料はどこか聞く。ありませんわと拗ねた声で返ってきたので、また口付けつつ館長にコンソメを出すよう指示する。人間の頭部ほどもあるコンソメキューブを出された。角を少し削って卵に混ぜ入れ、フライパンに流し入れる。


「……そんなに、嫌なのですか? わたくしたちとの──旅が」


 ふと、寂しそうな声が耳に入ってきて視線を落とす。ドレーミアがしょんぼりと落ち込んでいた。


「……そういうわけではない。ただ我輩は……」

「──〝知るまで〟が怖いんですよね、執事さんは」

「…………」


 味噌汁の味を確かめながら、どれいが我輩を見やってくる。その隣で館長が乾燥ワカメを貪っている。水を流し込んでやりたいところだ。


「僕と初めて出会った時から執事さんは変わらず横暴で加虐的でしたけどね、でも変態ではなかったんですよ。僕とどこか一定の距離を置いてて」


 ──……細かいことを覚えている男だ。全く、どれいは本当に妙なところで目ざとい。〝我輩〟のことである──それはもう自分のことのようにわかって当然だろうが、それでもどれいはよく人を見ておるなと思う。


「それってさ、僕を知って、僕を通して──どうにかなるのが怖かっただけなんじゃないですか?」

「…………」


 答えは返さない。返せない。当然だ──図星なのだから。

 その通りだ。我輩はどれいがやってきた当初、どれいを知ることに警戒しておった。理由は至極単純。




 レンが愛した我輩を愛せなくなったら困るから。




 そう。我輩は〝我輩〟を愛している。レンが愛した我輩だからこそ、心の底から愛しておる。

 だからこそ、身構えてしまうのだ。どれいを通じて──異世界に住まう異なる〝我輩〟を通じて、我輩の〝嫌な部分〟を知るのが怖いのだ。〝我輩〟を愛せなくなり、我輩までも愛せなくなったら──困るのだ。

 レン。

 レン。我輩の、最愛の妻。

 今、我輩がレンの存在を感じられる術は本当に少ない。時折鼓膜の奥で奏でられる、記憶の中に生きるレンの声を聞いている時。そして──レンが恋し、愛しぬいた我輩という存在を愛している時。

 我輩を愛している間だけは、レンも確かに我輩を愛しておるのだと信じられる。

 〝我輩〟が愛しくて仕方ないうちだけは、レンも我輩を嫌っていないと思える。




 ──ドレイク。




 ああレン。

 我輩の、最愛の妻。




 【哀切】


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