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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
86/138

【粉雪硝子シチュー】


 執事さまが背後から腕を回してくる。そっと身を委ねれば、顎を持ち上げられて口付けられる。うっとりとその甘やかな精気に酔いしれる。

 わたくしがサキュバスだと自覚したことで、多少はわたくしの自由意志に委ねて身体を重ねる回数が減るかと思ったのですけれど、そんなことはありませんでしたわ。むしろ、わたくしが自覚したことで遠慮は不要とばかりにご自分の好きなように貪ってきていて……嫌いではありませんけれど、多少精気過剰摂取気味ですわね。


「何でだろうな。ぱっと見ラブシーンなんだけどよ、どっちも〝僕〟だからちっともラブシーンに見えねえ」

「老いた柊どれいが女装柊どれいを愛でているようにしか見えない、と」

「そうだけどやめろその言い方」

「なんだ、我輩に愛されるメイドが羨ましくなったかハニー❤」

「やめろ!!」


 執事さまの矛先がどれいさまに向かったところで、仕上げのコンソメをシチューに振るう。シチューのルーはキッチンにあった従来の──いえ、世界によって〝従来〟は違うのですけれど……ああいえ、もういいですわねこういうの。面倒臭いですわ。

 ともあれ。

 ホワイトシチュー用のルーや調味料類だけはキッチンにあるものを使い、シチューに入れる具材は硝子の世界から持ち込んできた硝子の野菜を細かく砕いたものにしました。

 硝子の体ではない、生身の体で硝子の食材を口にして大丈夫なのかと館長さまに問うたところ、粉雪ほどに細かく砕けば唾液ですぐ融けるとのことでした。ので、割り砕いた野菜をミキサーにかけて細かくし、さらに上から麺棒で叩いて粉雪よりも小さく細やかになるよう念に念を入れて砕きました。


「かき氷みたいですね」

「ええ……ですが硝子ですので口内を切ってしまわれぬよう、お気をつけてくださいませね」


 硝子が軽いのか、ホワイトシチューにかき氷のような色とりどりの野菜が載っているような形になってしまいました。一見ほこほこと湯気を立ち昇らせているかき氷のようで、狐につままれたような感覚に陥ってしまいます。


「熱うございますから一気に召し上がられませんよう」

「すっげえ違和感。視界がバグってるみてえだ」


 練乳の海に浮かぶかき氷にしか見えないのに湯気が出ている、というどれいさまに同意しながら席に着いて、揃って食前の挨拶を交わす。


「硝子、なのですわよね」

「ああ、と言ってもワタシたちの知る硝子とは原料が全く違うけどな。石灰や石英で作ったんじゃなくてプリズム因子という、あの世界特有の原子から成っている」

「ああ……だから生身でもギリ食べられる、ってか」

「そういうことだな。だがまあさすがにあの世界と同じ感覚でバリバリ食べると血みどろだ。少しずつ口に含んで唾液とたっぷり絡めてよく噛んで食べましょう」


 と、何やらお姉さんっぽい声色でアナウンスして、あ~んと大口を開けた。そこにどれいさまが粉雪硝子をこれでもかと盛り付けたシチューを突っ込む。館長さまのドロップキックがどれいさまに炸裂する。


「まったく! ワタシでなけりゃ口内ズタズタだぞ」

「だから突っ込んだんだよ」

「レディには優しくせよ! 紳士の基本だろう?」

「レディ(笑)」


 館長さまのシャイニングヴィザードがどれいさまに炸裂する。


「さて、我輩たちもいただくとするか」

「ええ。……これくらいならば大丈夫でしょうか」


 シチューに粉雪を混ぜ込み、ほどよく粉雪がシチューに埋もれて見えなくなったところで口に含む。熱くまろやかなシチュー越しにざらりとした硬質な感触があって少しひやりとするけれど、細かく砕いた甲斐があってか口内が痛むようなこともなく、しばらく舌の上で転がしているととろりと融けて、野菜の豊潤な味わいがシチューに絡んできた。

 これは美味しゅうございますね。泥を食んでいるような感覚で正直好ましくはないのですが、とろけた硝子から滲み出る野菜の凝縮された風味がシチューとよく絡むので美味しくはあります。

 ……けれどやはり、食感がイマイチですわね。食において食感は味、匂いに次いで重要でございますから。泥を食んでいるようなザリザリザラザラとした食感がどうも……。


「どれいさまが以前お土産にくださった宝石の世界の食材はたいへん素晴らしゅうございましたが」

「あ~、ありゃワタシが手を加えたんだ。生身じゃあ鉱物はさすがに食べられん。鉱物の体で食べるのと同じ感覚で食べられるように加工したんだ」

「ああ……なるほど」


 ……わたくしたちが知らないだけで、館長さまがこの図書館に適応させるために手を加えたものは数多にあるのでしょうね。褒められるのが大好きなくせに、こういうところは決してアピールなさらないのですよね。尊大なのか、謙虚なのか……。

 ただひとつ、確実に言えるのは。

 館長さまはご自分が楽しく過ごせればそれでよく。

 同時に、〝わたくし〟たちも楽しく過ごしていればいいと心から想っておられる。

 理不尽な魔女ではあるのですけれど、存外優しい御方なのですわ。


「ああ……それと柊どれい、メイド。次は()()世界に行くぞ」

「あの世界……ああ、飯テロ世界でございますか」


 地球系列平行世界第一種 №9321──通称、飯テロ世界。

 館長さまの〝お気に入り〟の世界です。同じ世界に赴くとしても違う世界線、あるいは違う時間軸を選ぶ館長さまが珍しく、時間軸も世界線も大して弄らず訪れる世界です。だからかその世界の住人とも顔見知りであるらしく。どれいさまもいい人たちだと気に入ったご様子でした。

 館長さまがお土産に買ってきてくださるあのくま型のメロンパンが美味しいのですよね。あの世界に行くのですか……なんだか、わくわくしますわね。


「実は気になっていたのです。あの美味しいメロンパンのお店……」

「ああ……〝元王様のパン屋さん〟か。ゆーちゃん元気かなあ」

「〝もろみ食堂〟も忘れずに、な!」

「それに……〝さいはて荘〟でしたか。〝わたくし〟が住んでおられる場所」

「……ん、ああ」


 わたくしの言葉にどれいさまがほんの少しだけ声のトーンを下げ、若干の躊躇らしきものを漂わせる。行きたくないのかと思えば、そうでもないらしく。


「行きたい行きたくないじゃなくて……なんか、苦しいんだよなあそこ」

「苦しい? ……雰囲気が悪い、とか?」

「そんなことはちっともないさ。むしろ、平和だ。平和で平穏で心安らぐ場所──だからこそ、苦しい」


 どれいさまの言わんとしていることがわからなくて、けれどそれから数日後──わたくしはどれいさまのお言葉を嫌と言うほど、その身で噛み締めることになりました。


 さいはて荘。


 何処よりも平和で何よりも平穏でどれよりも心安らぐ場所。

 だからこそ、苦しい。

 だからこそ──息ができなくなる。


 さいはて荘。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()





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